第6話 羊の中の狼

「僕」はこの世界で安心して暮らせることが分かった。ググトやマサドが元々いないこの世界で・・・だが一つだけ困ったことがあった・・・・・・ググトのいる平行世界から来た「僕」の話。


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 僕は目覚めた。だがいつもと様子が違っていた。カーテンから漏れた日の光が僕をまぶしく照らしていた。僕は薄暗い地下室にいたはずだが、きれいな部屋のベッドで寝ていた。




(間違ってこの部屋に入ってしまったのか?)




 だがそんな覚えはなかった。窓から外を見ると見覚えのある光景が広がっていた。ここは僕のいた地下室のある団地の1階だった。だが何か違和感を覚えていた。何かが微妙に違うように感じていたからだった。


 この部屋にはテレビもあったし、パソコンもあった。見慣れぬ小さな画面の装置もあった。僕はそれを何とか使って、いろいろ調べた。




(やはりそうか!この世界は僕のいた世界とは違う。)




 僕はやっと理解した。今年は安治3年でなく令和3年であり、元々、ググトやマサドがいない世界だということを。


 ということは、僕はここで安心して暮らせるということだった。もう怯えることはない。


 僕はさらにいろいろなことを調べた。この世界で僕は川島渉という名前だった。地方から上京してきて1年。フリーターをしながらデザイナーを目指しているようだった。学校へ入るためか、貯金もそこそこしていた。まずはこの男になりきり、生活しながらこの世界になじまなければと思った。


 僕はまず部屋の外に出てみた。すると団地の中で会う人たちが嫌な顔もせず、あいさつしてくれた。もちろん僕もあいさつを返したが、そんなことは今までなかった。そして外に出ると見慣れた光景のはずなのに、なんだか解放感があった。


(ようし!この世界で生きてやるぞ!)僕は伸びをしてこう決心した。








 僕は町をぶらついた。いつもは夜に出かけることが多かったのであまり見ることがなかったが、昼間の世界は何もかも新鮮だった。


 通る道のそばに古い解体工場があった。夜は不気味な雰囲気を醸し出しているが、昼間は大きな音を出して活気に満ちていた。そこでは車を分解して鉄くずにしていた。


「ガシャーン!ガシャーン!」と次々に潰していく様子に僕は爽快さを感じていた。


「すごいな!」とつぶやきながらじっと塀の外から見ていた。それから商店街や公園、様々なところを見て回った。だが一番面白かったのはその解体工場だった。僕はそれから毎日のようにその工場をじっとのぞいていた。


 すると中で働いていた人がそんな僕に気付いたようだった。


「そこの兄ちゃん。」その人が僕の方に声をかけた。後ろには誰もいなかったし、やはり僕を呼んでいるようだった。


「そうだ、そうだ。君だ。」それはヘルメットをかぶった小太りの若い作業員だった。だが僕より少し年上のように見えた。


「何ですか?」僕は言った。


「そんなにここが面白いか?」その人は訊いてきた。


「ええ、いくら見ても飽きないですね。」僕は言った。


「よかったらここに来ないか?こっちの方がよく見えるぜ。」その人は僕を中に入れてくれた。世話好きな親切な人だった。僕は車がつぶされたり、部品を取り出すのを見た。見ているだけでは悪いと思って少しは手伝ったりもした。


「兄ちゃん、暇なのか?仕事は?」その人が訊いてきた。


「ええ、フリーターです。」僕は答えた。


「それならここで働いてもないか。給料もいいし。」その人は言ってくれた。


「いいんですか?」僕は聞き直した。僕は向こうの世界では何もできなかった。働くっていうことの新鮮さが僕にはうれしかった。


「ああ、いいんだ。人手が足りなくて困っていたんだ。それにお前のことが気に入ってな。多分、社長に言ったら一発OKだ。」その人は笑顔で言った。


「お願いします。」僕は頭を下げて言った。


「そう言えば名前を聞いていなかったな。俺は白石廉次だ。兄ちゃんは?」


「僕は川島渉です。」僕は答えた。


「そうか。渉。頼むぞ!」廉次さんは僕の肩をポーンと叩いた。








 僕はそこの社長さんに会ってここで働くことになった。この社長さんもいい人だった。僕が調べた「川島渉」の経歴の履歴書を出すと、


「君も地方から出て来たのか。そうか。私もそうだ。腕一本でここまでやってきた。しっかり頑張れよ。困ったことがあったら、私でも廉次でも誰でもいいから言うんだ。みんないい奴だから相談に乗ってくれる。」社長さんは言った。


 確かにそこで働く人はいい人ばかりだった。


「ここはこうだ。」「こうやってやるんだ。」ろくに仕事もできない僕にいろいろと教えてくれた。僕は少しずつ仕事を覚えていき、少しは役に立つようになってきた。


 そうなると廉次さんは自分のことのように喜んでくれた。


「お前を弟のように思っているぜ。」とかわいがってくれた。休みの日には車で海に連れていってくれた。僕は初めて見る風景に驚きながら、興奮していた。


(海って広いんだな。これが潮のにおいというやつか・・・)




 ただ居酒屋に連れて行ってくれたときは困った。いわゆる歓迎会というやつだった。


「さあ、飲め!たくさん食べろ!遠慮するなよ。」と廉次さんは言ってくれたが、僕はここの食べ物を食べられないし、酒も飲めなかった。


「すいません。僕はアレルギーなんで・・・食べられないんです。」と苦しい言い訳をした。


「そうか。それはすまなかったな。まあ、付き合いだと思ってくれ。みんなもお前と話したいと思っているし。」廉次さんはすまなそうに言った。


「いえ、いいんです。日頃は忙しくて皆さんとあまり話せないから。」僕は言った。僕の周りにいる人はいろんな話をしてくれた。それは僕が経験したことがないようなことだった。この世界では何もかも自由にできるようだった。向こうの世界とは違って・・・


 そうやって僕はこの世界で充実した毎日を過ごしていた。








 だがある日、僕はあるニュースを目にした。朝の駅前に化け物が現れ、人を襲って血を吸っていたというのだ。しかも黒い影が現れてその化け物を退治したというものだった。




(ここにもググトとマサドがいる!)




 僕は戦慄した。この世界にもやはりいたのだ。しかし冷静に考えてみればそれはあり得ることだった。自分が来ているほどだから他の者も来ていても不思議はなかった。


 僕はその日から注意して辺りに目を配るようになった。数は少ないとはいえ、我が身に恐怖が迫っているのは確かだった。周囲の人はそんな僕の異変に気付き始めていた。特に廉次さんは、


「どうしたんだ?最近。心配事があるのか?顔色が悪いぞ。」と心配してくれた。だが自分のことを話すわけにいかなかった。








 ある日、僕が夜に出かけて食事を済ませた後、


「きゃあ!」と悲鳴を耳にした。僕は緊張した。そして建物の陰からそっとその方向を見ると、やはり人をつかまえて血をすするググトがおり、それにマサドが姿を現した。


 僕は急いで走って団地に戻った。


「気をつけないと・・・」僕は息を切らせていた。








 僕が実際に困っていたのは食事だった。日中はそんな暇はないから、やはり夜しかなかった。しかも気を付けて遠くに行くようにしていた。3日に1回は食事をとらないと空腹になるから、毎日が大変だった。




 僕は几帳面で丁寧な方だった。すべて残さず賞味した。その食事の後を見つからないようにちゃんと始末することを忘れなかった。本当なら若い方がいいんだけど、できるだけ見つからないようにするため野外にいる奴を狙った。そういうのはやせて栄養が悪く、年老いていた。うまくはなかったけど我慢するしかなかった。あいつから見つからないようにするために・・・




 僕は小さいのを取ったことはない。中には趣味でそればかり追いつめる奴がいるとは聞いていたが、僕が知っている奴の中にはそんな奴はいなかった。それに食事にするのは自分が狙ったものしかしない。むやみやたらに見境なく取るわけではなかった。それに自分の食べる量を計算していた。それ以上に取ることはなかった。大食いな奴なら1日に2つ、3つ。中には一度にいくつもとるやつもいた。僕の様に3日に1つが普通だった。中には1週間に1つでいい奴もいた。








 僕は今夜も外に出かけた。仕事を頑張ってしたためか、かなり空腹だった。少し遠くまで出かけて辺りを見た。この辺ならおあつらえ向きだと。僕は通りかかるのを待った。そう、僕は狩りをしているのだった。今夜は生きのいい獲物が欲しかった。その時、僕はそれほど多くの栄養を欲していた。


 やがて獲物が通りかかった。周りに誰もいなかった。僕は道に飛び出した。暗闇に人が立っていた。多分、若い男だ。一人だけで他に誰もいない。これは好都合だった。僕は早速、食事のために元の姿に戻った。




「ぎゃあ!」




 その人は叫び声を上げた。僕は触手でしっかり捕まえた。小太りのしっかりした体格の男だ。今夜の獲物からは十分な栄養が取れそうだ。




「いただきます!」




 僕は口で体を斬り裂いた。その時だった。かすかな月の光がその男の顔を照らした。




(廉次さん!)




 そう。僕が食らい込んだのは廉次さんだった。僕は気が動転して触手を放した。すると廉次さんは、




「ぎゃあ!化け物だ!」




 と叫んで血を流しながら逃げて行った。血の跡が点々と道にこぼれていた。僕は茫然と立ちつくして、その後姿を見送っていた。


(廉次さん。大丈夫かな。体を少し切り裂いたけど・・・)僕は廉次さんが心配になった。でも少しだけ口に入った血はおいしかった。








 その後、廉次さんは入院した。誰かが動物か何かに咬みつかれてけがをしたと言っていた。僕は相変わらず、その解体工場で働いていた。そのまま毎日がいつものように過ぎ、定期的に僕は夜に出かけ、一人の人間を狩ってその血を吸って食事をした。とにかく誰にも見つからないように死体を穴に埋めるのを忘れなかった。だからまだマサドには見つかっていなかった。




 1週間して廉次さんは退院して戻ってきた。奇跡的に化け物から逃げてきたとかで多くの人から話を聞かれていた。廉次さんは得意げにそのことを話してくれた。幸いにも、暗かったから襲ったのが僕だとは廉次さんには気づかれていなかった。


「俺が道を歩いていたら急に襲って来たんだ。すごく大きい奴で、そうだな3メートルはあっただろう。ナイフのような鋭い歯をした恐ろしい顔の奴だった。大きな声で吠えるとすぐにここ、首に食らいついてきたんだ。俺は怖かったけど反撃した。パンチして投げ飛ばすと、奴は俺を恐れて尻尾を巻いて逃げ出したんだ。俺は「待て!」と追いかけたけど、まんまと逃げられてしまった。もう少しで奴をつかまえられたのにな。はっはっは。」


 その話はかなり誇張されていた。僕は何度もその話を聞かされた。聞くたびに話は大きくなっていた。僕はその度に、


「ああ、すごいですね。」とか「廉次さんは強いですね。」とか言わねばならなかった。そうしないと廉次さんの機嫌が悪くなるからだった。


 でもよかったと思っている。頼りになる兄貴分の廉次さんを殺してしまわなくて。ググトにとってすべての人間が食の対象になるわけではない。だから友達を襲って血を吸うことはありえない。人間だって獣肉を食うが、ペットの犬や猫は食べないだろう。それと同じことだ。僕らググトは生きるためにそうしている。自然の摂理に従って・・・


 だが空腹のときは誘惑にかられる。あの時の新鮮な血の味が忘れられない。


(廉次さん。おいしそう・・・)


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