ググトのいる街

広之新

第1話 日常の違和感

「ピピピピピッ!」


 目覚ましの電子音が鳴った。俺は布団の中から手を伸ばした。だが目覚まし時計はそこにはなかった。


「ピピピピピッ!」


 止まらない目覚ましにたまらず、俺は布団をはねのけてテーブルの上を見た。目覚まし時計はいつもより30センチほど左に置かれていた。


「どうしてここにあるんだ・・・」


 眠い目をこすりながら時計を見た。


「8時だって!」


 それを見て急に目が覚めた。確実に遅刻だ。ちゃんと7時半にセットしていたのに、なぜ8時なんだと怒りを覚えながらも、さっさと服を着替えて外に出た。早く大学に行かないと・・・。

 独り暮らしでワンルームマンションの一室に住む俺だが、こんな失敗はしたことはなかった。俺は駅に急いだ。


「どうなってるんだ?」


 駅前は人通りが多かった。普段ならこんなに人がいることはなかった。


「何かイベントでもあるのか?こんなに人が集まって・・・危ないな・・・」


 俺はいつもの癖で危機感を覚えていた。気になって大きく辺りを見渡してみた。多くの人たちは特にどこに集まるというわけではなかった。通勤や通学のために駅に来ているだけだった。


「う・・・ん・・・」


 俺は言い知れない違和感を覚えていた。何かが違う。何かがいつもと・・・


「そうか!それか!」


 俺は思い当たった。確かにそうだった。


(マサドがいない!)


 まさしくその通りだった。近くにマサドがいれば俺にはちゃんとわかるはずだった。


(一体、どうしたんだ。これだけの人がいるんだ。どうしてマサドが一人もいないんだ!)


 俺は少し驚きながらも不可解に思った。


「まあいい。たまたまだろう。早く行かないと。」


 俺は考えるのをやめて、そのまま駅の建物に入ろうとした。その時だった。


「うわー!」「きゃあ!」大きな悲鳴がした。

「現れたか!」俺は急いでその方向に走った。多くの人たちが逃げてきていた。

「助けてくれ!」血だらけになった男が叫んでいた。その後ろに奴がいた。

「やはりググトか!」


 俺は緊張した面持ちで辺りを見渡した。突然起きた惨劇に人々は逃げ惑っていた。中には腰を抜かして動けない人もいた。


「シェルターに!なぜシェルターを起動しない!」俺はシェルターのスイッチを探した。だがなぜか、どこにもそれはなかった。

「なぜないんだ!このままではググトの思うがままだ!」俺は奴の方に進んで行った。ググトに咬みつかれて血を吸われた男はもうぐったりとなっていた。もう助からないようだ。奴は満足せず、目を動かして次の獲物を探しているようだった。


「待て!これ以上、お前の好きにはさせない。」俺は言った。

「邪魔だ。俺の食事を邪魔するな!」そのググトは言った。その声は不気味に低くこもった声だった。俺は迷った。こんな事態になっても誰一人、マサドは駆け付けて来ない。こうなったら俺一人で片付けるしかない。

「お前を始末する!」俺は言い放った。ググトは血を吸い終わった男を放した。


「エネジャイズ!」俺は静かに言った。それで俺はマサドに変わった。


「お前一人か!まずはお前を始末してからゆっくり食事とするか!」ググトは襲ってきた。俺は身構えると、奴の触手を避けた。そしてチョップで叩き落とした。

「ぬおー!」奴は悲鳴を上げた。だが思いがけないところから触手を俺にぶつけてきた。

「うわっ!」俺は吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。そこに奴が触手を伸ばしてきた。

「C級のくせに・・・」俺は転がって避けると立ち上がった。


(ググトでもこいつはC級なんだ、俺一人でも大丈夫だ。)と焦る自分に言い聞かせた。

 奴はまた襲ってきた。俺はジャンプして触手を掻い潜ると、奴の懐に入ってその口を思いっきりパンチした。


「ぐわーっ!」奴は悲鳴を上げた。

(これならいける!)俺は思った。だがそこがいけなかった。油断した俺の背後をまた奴の触手が殴打した。


「うっ!」俺は声を上げて倒れ込んだ。その隙に奴は逃げて行った。

「待て!」起き上がった俺は奴を追った。しかし奴はもう人たちに紛れていた。

「逃したか・・・」俺は元の姿に戻った。周囲の人たちはその俺を好奇の目で見ていた。

(どうしたんだ?マサドだぞ。そんなに珍しいのか・・・)俺は奇妙な気分に襲われた。



 街は大騒ぎになっていた。電車は止まり、仕方がないのでマンションに戻った。テレビをつけると、どのチャンネルでも今朝のことが報じられていた。


「駅前に正体不明の化け物が急に現れました。男性が襲われ死亡・・・」


 偶然、撮られた映像も不鮮明ながら映し出された。

 それを見て、俺は不思議な気持ちになった。

(ググトにやられたんだ。そんなこと今までいくらもあったことだろう。今日に限ってこんなに報道するなんて・・・。しかも化け物と呼んでいやがる。どうみてもググトだろう。今までのと違うのか・・・)

 俺はテレビを消してベッドに寝そべった。

(一体、どうなっているんだ。いつもと何かが違う・・・。一体、何が起きたんだ?)考えてみても答えは出なかった。

(とにかくググトを取り逃がしてしまった。奴は必ず、また人を襲う。)俺は確信していた。


 生態系の中で人類の上位に位置するのがググトだ。太古の昔から人を襲い、その血をすすって生きてきた。知能は人類より少し上ぐらいだが、体力は比べ物にならない。だが狩猟生物のため数を増やせず、地球上では数の多い人類が優位に立っている。そのためググドは人類に擬態し、生きるために人々を襲っている。人類はそのググトの影におびえて生きねばならなかった。

 人類の文明が発達し、様々なググトの対策が取られるようになった。だがどれも有効な手となりえなかった。その中で一定の効果を上げたのがマサドだ。

 志願した人をググト戦闘用に改造したのだった。普段は社会生活を行わせ、ググトが現れた時に変身して戦って撃退するというものだった。改造された人はそれと引き換えに長くは生きられないし、ググトにやられてしまうこともあった。

 俺は志願してマサドになった。ググトを決して許せないからだった。マサドになった俺は遠くからでもググトを探知できるようになった。ただ人に擬態しているときは近くにいなければ見分けがつかない。その時は一種のにおいというか、気配が感じられる。

 そして味方のマサドもある程度の距離の中ではわかるようになった。だが今朝はそれを感じることはできなかった。

(この町に一匹はググトがいる。こいつを排除しなければ・・・)俺は立ち上がって外に出た。



(奴を早く見つけなければ・・・)俺は町を当てもなくさまよった。風は冷たく俺に吹きつけていた。この世にあいつさえいなければどんなに幸せだったかという思いが、頭をよぎっていた。以前からそんな空想に俺は浸ることが多かった。

 その夜、町をさすらう俺は


「あっ!」


 と急に感じた。この先にググドがいることを。擬態していた奴が人を襲うために、あの悪魔のような姿を現したはずだった。


「ぎゃあ!」続いて悲鳴が聞こえた。


 俺はその方向へ走った。しばらく行って角を曲がると、そこには血だらけの男が倒れていた。もうググトの姿はなかった。

「遅かったか!」俺は歯ぎしりした。

(奴め!俺に見つからないように人を襲おうとしているのか!)奴が近くにいるのは確実だった。俺はあちこち走り回った。


 夜の町に、何も知らずに歩いている人たちはいた。

(この中に人に擬態したググトがいるかもしれない。)俺は一人一人に近づいて気配を探った。怪訝な顔をして嫌がられたり、そばに来るなと怒られたり、変質者扱いされたりもした。だが自分がマサドだと言うわけにいかなかった。もし擬態したググトが聞いていたら、すぐに逃げてしまうかもしれないからだった。

 しかし擬態したググトは見つからなかった。俺はもうくたくたであきらめてマンションに向かった。ググトによる被害者がまた出たと思うと気が重かったが、


(マサドは他にもいるはずだ。奴が現れても近くにいるマサドが奴を止めてくれるはずだ。)


 と自分に言い聞かせた。ただ俺は気になることがあった。誰かが俺の後をついてきている気配があった。


(一体、誰だ? ググトの擬態した奴か? マサドの俺をつけてどうする・・・)


 俺はつけてくる者の見当がつかなかった。ググトは改造された人間であるマサドの血を嫌っていたし、自分たちを排除しに来るマサドに近づきたいとは絶対に思わないだろう。

 俺は振り返った。するとそこには見知らぬ男がいた。その男は何か言いたげに俺に近づいてきた。


「誰ですか?」俺は尋ねた。男はそれに答えずに近寄ってきた。そこで俺は確信した。

(ググトだ!)俺は身構えた。やられる前にマサドになって倒さねばならないと。


「あんた一人かね?」それは低くこもった声だった。今朝、駅にいたググトに間違いなかった。

「それがどうした!俺はお前を排除する!」俺は言った。

「俺も一人だ。おかしいとは思わないかね。」男は言った。


 不思議なことに、男はこの俺を前にしてもググトの姿になろうとはしなかった。俺に何か大事なことを伝えたいのかもしれなかった。


「それはそうだが・・・」


 確かに今朝からおかしなことが多かった。俺は奴の話に引き付けられそうになっていた。だがこれが奴の罠かもしれない。油断したところを襲ってくるのかもしれない。何せ相手はググトなのだから・・・。


「周りをよく見ろ!お前も気づくはずだ。」


 男は意味ありげに言った。だが俺はこれ以上、ググトの手に乗るわけにはいかなかった。


「そうだな・・・」俺は考えるふりして、いきなり

「エネジャイズ!」とマサドになった。そしてすぐに擬態したままのググトに強力なパンチを放った。

「ぐぐぐ・・・」男は悲鳴を上げてググトの姿になった。俺の攻撃にたまらず逃げようとした。

「今度こそ逃がすか!」不意の攻撃がうまくいってググトは弱っている。今がチャンスだった。

「フルパワー!」俺は走って行ってググトに必殺のキックを食らわせた。その威力は強烈でググトの体に穴を開けた。

「ぐぐうっ!」ググトの動きは止まった。奴は泡になって溶け始めた。死ぬときは自己溶解によって消えていくのが常だった。


「俺は、いや俺とお前はこの世界で異質なものなのだ…今にお前にもわかる・・・」ググトはそう言って消えていった。

「ググトは倒した。これでよしと。」俺はほっとしていた。これでこの町も少しは安全になった。


 だが妙に奴の言葉が気になっていた。今日は他のマサドを見ていないし、近くにいる気配もない。ググトも奴だけだった・・・。

 俺はまたマンションへ帰ろうとした。もう朝日が昇って辺りが明るくなっていた。


「もう朝か・・・」


 考えてみればおかしな1日だった。起きた時から・・・。俺は郵便受けの新聞を抜き取った。やはり昨朝の駅前の事件が大きく載っていた。

「これは片づいたっと。」俺はそう言って新聞から目を放した。だがその前に気になる文字が目に飛び込んだ。


「令和3年?なんだこれ?」俺は気が動転した。


 俺は辺りを大きく見渡した。やはり何かおかしい。いつもと同じように見えるがどこかが違う。俺が感じていた違和感はこれだったのか!


「今年は安治3年のはず・・・令和ってなんだ!」


 俺の中で奴が言っていた言葉が脳裏によみがえった。


「俺とお前はこの世界で異質なものなのだ…」



「俺は飛ばされたんだ! 俺の住む世界とは違う平行世界に!」俺は確信した。


 俺は茫然として新聞をバサリと落とした。辺りは不気味なほど静まり返っていた。

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