あなたの応援が何よりの力となる

 学生時代、それまで仲良くしていた子からある日突然見えない壁を感じた。


 反応が薄くなって、避けられるようになって、遊びの誘いにも乗らなくなって。

 投げたボールをキャッチせずはじかれている感覚だ。


 よほど空気が読めない人間でもなければ、そこで距離を置かれているのだなと嫌でも理解する。

 くっついていた磁石が反発し合うように。

 友人どころか、話そうと思えば話せる単なるクラスメイトにすら戻れなくなるのだ。


 しゃべりづらくなった原因は分からない。

 理屈では説明できない、なんとなくでくっついたり別れたりするのが思春期特有の人間関係だから。



 ……で、まあ。

 それに近い空気が、最近の私と狭山さんに流れている。


 さすがに学生ほど露骨じゃないから、たまに他愛ない話題で盛り上がったりはする。

 なんだけど、それはあくまで向こうの機嫌次第って感じだ。


 こんな面白い話がありますよ、と他人に声をかけるのは余裕があるから。

 私から話しかけた場合、その多くは目を合わせようとしない。返事が乾いている。


 自分の世界に予告なく踏み込まれて、仕方なくTVインターホン越しに応答するかのように。


 同じ女性社員の川角さんや本庄さんがいかなるときでも受け答えに愛想がこもっているぶん、余計に意識してしまう。温度差を。


 でも社員さんと話しているときは楽しそうなんだよなあ。本当に避けたいならお昼もハブっていいはずだけど、そういうことはしないし。


 私、何かしましたか?

 気にしなければビジネスライクでやっていける些細な変化でも、それまで優しい人だと思っていたからこの落差はでかい。


 お昼を一緒にして、打ち解けたと思っていたのは私だけだったのだろうか。

 それとも、もう入社してふた月も経つから素に戻ったのだろうか。


 疑問は晴れないまま、社長面談の日がやってきてしまった。



 社長とは面接時にオンラインで話したっきりだ。こうして実際を顔を合わせるのは初となる。本社は関西だし、関東までは遠いから仕方ないけどね。


 午後から一人ずつ呼び出して隣の応接室で話すらしく、社内は張り詰めた空気に包まれていた。


「社長面談って、主にどういった内容なのですか?」

 給湯室でお弁当を温めている途中、本庄さんと鉢合わせた。

 ちょうどいい機会だし、去年受けているであろう彼女に尋ねてみる。


「工場長同席のうえで、入社してから仕事でどれほどの成果を上げたか、現時点で抱えている不満はないかとかのストレスチェックもあったわね……社長は社員の動向までは詳しく知らないから、工場長が素行と毎日の生産数を本社に伝える形だったの」


 基本的には軽く雑談するだけなのでそこまで構える必要はないわ、と本庄さんは励ますように言ってくれた。


 でもそれって、もとから優秀な本庄さんだから社長もそれなりに信頼を置いているんだと思うんだよね。

 まあこの人は普段からいろいろやってもらってるし大丈夫だろう、って。


「不安?」

 いまいち自信が持てない私に感づいたのか、本庄さんが距離を詰めてきた。鼻先数センチまで。


 ち、近い。

 もう彼女を”そういう対象”として意識している身としては、あっという間に頬に熱が集中してしまう。


「大丈夫よ」

 温かい言葉と共に。背中に腕が回されて、私は抱き寄せられていた。

 嗅ぎ慣れてしまった、落ち着きをもたらしてくれる香水の匂いが強くなる。


「上里がこれまで頑張ってきたことは、みんな口に出さないけど知っている。その働きがもし社長に伝わっていなかったとしたら、遠慮なく相談して。全力で工場長に抗議するから。あなたはこのふた月何を見てきたのですか、って」


 密着している私に聞こえるくらいの、静かな声。

 なのに言葉のひとつひとつに力強さがあって、揺らいでいた私の心に支柱となって深く沈んでいく。


「それに、あなたの言葉はいつも励みになっているわ。たった数日で3枚も上げられるなんて、遅筆のわたしにはありえないことだったのに。でも、次も頑張ろうって描けてしまうの。いくらでも。誰かが応援してくれるって、こんなにも嬉しくて活力がみなぎるものだったのね」


 だから、わたしもここで応援している。

 弾んだ小声で、少し痛みを感じるくらいに回された腕に力がこめられる。


 さっきの台詞の内容を説明すると、本庄さんが再熱した絵の趣味についてだ。


 泊まりに来たあの日から数日経ったけど、それまでに本庄さんがイラストサイトにアップした枚数は3枚になった。


 順調に閲覧数も評価数も伸びていて、好調な滑り出しにほっとしている。

 上げると決めたのは本庄さんの判断で、理由が『そのほうが現状の画力を知れるから』らしい。


 楽しく描きたいのであれば数字の上下が気になってしまうネットよりも個人で描くのがずっといい。

 けど、本庄さんは画力の向上を目的としてあえて厳しい世界に飛び込むことを選んだ。


 それも、一番過酷とされるオリジナルジャンルで。


 漫画が描けたり個人ゲームの制作ができるならアピールの幅は広がるけど、一枚絵のみで成り上がっていくのは難しい。


 最近は同人誌の規制が厳しくなったからオリジナルに流れたプロもいっぱい見かけてきたし、ますます新規には狭き門となってしまった。


 まったくの素人が注目を集めるなら、二次創作から入るのが無難だ。

 元となる作品があるのだから1からデザインを考えなくていいし、人気ジャンルであればあるほどファンの数も多い。


 投稿してもすぐに新着からは流れてしまうのだから、見てもらうための導線に人気ジャンルに手を出す人もいる。


 私も最初はとある人気ゲームにハマって、ファンアートを漁るために登録したようなものだから。


 さて見るだけの私に何ができるかといえば、応援することであった。

 絵を描く人の中には『誰からも反応がないから』といった理由で筆を折ってしまう人もいるのだという。


 そんなこと、私は知るよしもなかった。

 絵描きさんはみんなお絵描きが大好きで、ネットに上げるのも商業の宣伝か自己満足でやっているとばかり思っていたから。


 ぴたっと描くのをやめてしまった人はリアルが忙しくなったか、描くのに飽きたか、病気や怪我で描けなくなってしまったか、訃報かのいずれかだと思っていた。


 だから、私のコメントなんかでちょっとでも本庄さんの励みになってくれたら嬉しい。


 これは義務感ではなく、自覚した感情を含めて表現するなら”好きな人の気を引きたい”が近いのか。

 実際、上げた絵はどんどん光の当て方が自然になって上達しているのが分かる。


 当たり前ではあるけど。神と崇め称えられる方々も、かつてはこうして地道に枚数を重ねて応援を受けながら成り上がってきたのだろう。


「ありがとうございます。これで何を言われても立ち上がれそうです」

 心から慕う人から贈られる言葉は、何よりの励みとなる。

 大丈夫、伊達にこの名前には生まれていないのだから。


 ここが社内ということも忘れて、私はしばしの間抱擁を受けていた。

 ドアは閉まってるからせーふせーふ。


「一応ボイレコは持参しておくといいわ。持っていなかったらわたしのものを貸すけど」

 本庄さん、抜かりねえ。


 確かに言伝じゃ、どうしたって人は自分に都合がいいように記憶を捏造しがちだから。

 生のやり取りを残しておいたほうが、第三者目線で公平な判断を下しやすくなる。

 ドラレコみたいに。


 お礼を言って、私はペン型の録音機を受け取った。ワンタッチしておくことを忘れずに、胸ポケットへと刺しておく。


 そして私は、午後の社長面談で思いもよらない言葉を受けることになったのであった。

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