4話 元カノ、愛する妹から冷たくされる



 梓川あずさがわ みしろは、【人とは違う嗜好もの】を持って生まれた少女である。


 マイノリティに属するゆえに、彼女は幼い頃から苦労を強いられていた。


 そんなとき、すぐそばに居て、自分を支えてくれた存在。


 それが、双子の妹……夕月ゆづきだった。


『ねえさん、泣かないで』


 みしろが何か辛いことがあって泣いていると、妹はいつも慰めてくれた。


『ゆづきちゃん……』

『ねえさん。ないちゃだめだよ。ほら、笑って』


『……じゃあ、ちゅーして』


 妹は仕方ないなぁと笑うと、姉と唇を重ねる。


 心のもやが晴れて、安らかな気持ちになれる。


『これでもうへーき?』

『うん! ありがとう、ゆづき』


『じゃあかえろっか』

『うん!』


 夕月ゆづきは妹ではあった。

 しかしみしろの精神的支柱であった。


 言い換えると、みしろにとって妹はなくてはならない存在であった。


 ……だが。


『りこん? どういうこと……? おかあさん、おとうさん……?』


 両親から告げられた離婚の事実。

 一番嫌だったのは……妹と離れることだった。


『いやっ! ゆづきちゃんと離れたくない! いやっ! いやぁああ……!』


 みしろは大泣きし、わめき散らす。

 彼女を失うことはつまり、自分の【びょうき】の理解者がいなくなるということ。


 この秘密を理解して、支えてくれる、甘やかしてくれる存在が……いなくなること。


『ねえさん、泣かないで』

『ゆづきちゃん……』


 夕月ゆづきは微笑むと、姉の頬にキスをする。


 かぁ……と頬が赤くなる。


『だいじょうぶ、良い子にしてたら、きっとまたわたしたち、会えるよ』


 それは……呪いの言葉だった。


 良い子にしていたら、愛する妹と会える。

 その言葉を幼いみしろは信じた。


 ゆえに、みしろは。


『わかった……! 私、良い子にしてる!』


 天使となったのだった。


    ★


 飯田 亮太、そして梓川あずさがわ みしろの教室に入ってきたのは……。


 双子の、生き別れた妹……夕月ゆづきだった。


 みしろは歓喜した。


 大好きな夕月ゆづきとまた会うことが出来た。


 ああやっぱり妹の言葉は正しかったのだ。


 良い子にしていたから、また会えたのだ……!


 話は、お昼休み。


「ゆづきちゃんっ!」


 みしろは笑顔で、妹の元へと駆け寄る。


 夕月ゆづきは窓際の席に座っていた。


 昼休みの鐘がなると同時に、みしろは妹の元へ駆け寄った。


 そして、妹に抱きつく。

 

「ああ……ゆづきちゃん……ゆづきちゃん……♡」


 すぅはぁ、と妹の体のにおいをかぐ。

 甘い花のような香りに、みしろはトロンと表情をとろかせる。


 妹は美しく、そして【魅力的】に成長していた。


 小さい頃から変わらぬすべすべな肌。


 思わずつばを飲み込むくらい、張りのあり、肉付きの良い体。


 ぎゅー……と強く強く抱きしめる。

 恋人りょうたにすらしたことない、情熱的なハグ……。


 その様子を見て、亮太も、そしてクラスメイト達も目を丸くしていた。


「……どうなってんだ?」「……天使さまってあんな情熱的な人だったかしら?」「……わ、わからん……だが二人とも美人だなぁ」「……ああ、美人姉妹が抱き合ってるって、なんだかイケナイ感じするな」


 周りの声なんて、今のみしろには聞こえていない。


 それよりもこの愛おしい妹との再会を、心世ゆくまでーー


「やめて、姉さん」


 ……とんっ、と誰かが自分を突き飛ばす。


 みしろは思わず尻餅をついた。


「へ……?」


 誰に、何をされたのか。

 みしろは理解できなかった。


 だが、妹が自分を突き飛ばしたことに、遅まきながら気づく。


「ゆ、づき……ちゃん?」


 妹が、冷たいまなざしで、自分を見下ろしている。


 みしろは困惑した。妹の、こんな表情を……知らない。


 いつも隣にいて、朗らかに笑い、まるで【天使】のように笑って、支えてくれていた……。


 それが、みしろが夕月ゆづきに抱いていたイメージ。

 

 だが、今はどうだろう。


 夕月ゆづきは見たことのない無機質な、それでいて冷たいまなざしを向けてくる。


 ……なんで? そんな眼をするの?


 ……どうして? 突き飛ばしたの?


「お、おい夕月ゆづき……」


 すると近くで見ていた元彼の亮太が、困惑しながら、夕月ゆづきに触れる。


「どうしたんだよ?」

「なんでもないです。ただ、姉がウザかっただけです」


 がんっ! と頭をハンマーでたたかれたような衝撃が走った。


 ウザい……? 今、妹は、自分のことを……ウザいと?


 そんな……あり得ない。

 そんなこと、言う子じゃなかった。


「周りの目を気にせず、急に抱きつかれても迷惑です」


「ご、ごめんねぇ……夕月ゆづきちゃん……」


 嫌だ、夕月ゆづきに嫌われたくない。

 みしろは即座に謝る。


「ごめん? 謝る相手が、違うんじゃないですか?」


「え……? ど、どういう……?」


 みしろは気づいた。

 妹は、なぜか知らないが怒っている。


 なにに? 自分にということはわかるが、だが何をしたのだろうか、検討がつかない。


「本気で理解してないのですか……。そうですか……わかりました、姉さん……いいや、梓川さん」


「ゆ、ゆづきちゃん!?」


 なんだその突き放した言い方は。

 なんだその……よそよそしい態度は。


「わたしは今から大好きな兄さんと一緒に、食堂でご飯を食べる予定です♡」


 夕月ゆづきは亮太に抱きつく。

 そして……。


 ちゅっ……♡


「なっっっ!?!?!?!?!?!?」


 過去、最大級に衝撃がみしろに走った。


 妹が……【私の】可愛い可愛い、妹が……。


 他の男に、キスをしていた。


「何を驚いてるんです、梓川あずさがわさん? 兄妹なんだから、親愛のキスをしても当然……でしょう?」


 そう、そうなのだ。


 姉妹の、親愛のキス。

 それはでも……でも! 自分のものだった!


 自分だけのものだったのに!


「ゆ、づき……ちゃん……わた、私には……?」


 消え入りそうな声音で、恐る恐る尋ねる。


 私にもキスして? 久しぶりの、姉妹のキスを。


 そう言う意味で言った。

 この場にいる亮太もクラスメイトも、意味は通じない。


 わかるのは、妹である夕月ゆづきのみ。

 夕月ゆづきは、姉がどういう人間なのか知っている。


 だからこそ……。


「ごめんなさい。わたし、あなたとはもう……他人なので」


「…………」


 がたがた……と体が震える。

 自分の手のひらから、大切な何かがするりとこぼれ落ちていった感覚が強い。


 この感情は……喪失感。

【取られた】という感情。


「それじゃ。いきましょ、兄さん♡」


 呆然とする亮太の手を引いて、夕月ゆづきが笑顔で去って行く。


 その笑みが自分を向いていないことに、激しい怒りと嫉妬を覚える。


「どうして!?」


 どうして、自分ではなく、亮太を選ぶのか。


 衝動的に着いた言葉は、ともすれば【かくしごと】を明かすことになる爆弾。


 それでも口をついたのは、それだけ夕月ゆづきを、大事な妹を、失いたくないから。


「あなたが、兄さんを捨てたからですよ」


 妹から、冷たく突き放された。


 その言葉はみしろの心を射貫いて、立ち上がる気力を奪う。


「そん……な……」


 大好きな妹から拒まれた。

 しかも、取られた。

 よりにもよって、自分が拒絶した男に……。


「いかないで……ゆづきちゃん……いかないでぇ……」


 泣き出すみしろを、クラスメイト達は困惑顔で見ている。


 それはそうだ。

 誰一人として、みしろがなぜ泣いてるのか理解できないからだ。


 みしろがどういう人間か知っているのは、夕月ゆづきだけだ。


 知った上で、自分を振ってきたという事実が、辛かった。


 妹がどうして自分を冷たくするのか。

 どうして、突き放すのか。


 その理由を妹は……亮太を振ったからと言った。


 ああ……とみしろは嘆く。


 夕月ゆづきが怒っているのは、兄となる男に、みしろが振ってしまったから。


 その怒りが不興を買ってしまったのだ。


「私は……なんてことを……」


 ……さて、一つ誤解をたださねばならない。


 みしろがここまで嘆いているのは、【飯田亮太】を振ったから。


 よくある話だ。

 振った男が実は優良物件で、それと気づかなかった愚かな女。


 後から後悔して、もう遅かったと嘆くパターン。


 だがしかし、実は違う。


 確かに、みしろは亮太を振ったことを、今激しく後悔していた。


 だがそれは、大好きな妹を亮太に取られる羽目になったから。


 愛する妹から、嫌われることになったから。


 ……簡単に言えば。


 みしろは【×××××】なのだ。


 かくして、みしろ→夕月ゆづき→亮太という、泥沼の三角関係が、スタートするのだった。

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