第20話:裏切って、裏切られてばかりだ
「それで、おれに幼馴染のその子をどう思っているのか判断してほしいと?」
「そうなんだ」
この前は、いよいよ綾香のことが頭から離れなくなり、一日中彼女のことを思い出していた。
連絡しようにも連絡先を知らないし、色々と順番が逆になってしまっている感は否めない。
そこで新学期に入って早々、時雨に相談することにしたのだ。
なお、九月に入った今現在も綾香に会える気配がない。
「夜宮の言っていることはそのまま、『俺には幼馴染の気持ちなんて分からないから丸投げで』っていうことだぞ? お前に分からないことが、会ったこともないおれに分かるか」
珍しく語気を強めて突っ込まれた。
そして、その指摘は至極まっとうなものなのである。
ちなみに俺と綾香が半同棲状態にあることは伝えていない。
勘の鋭い時雨なら、深読みして付き合っているのかと言われかねないからだ。
……いや、時雨でなくとも誰にでも想像できてしまうな……。
なんだかんだで『半同棲』という言葉を使った時点で墓穴を掘ることに違いはない。
「まあでも、夜宮はその幼馴染に嫌な感情は持っていないんじゃないか? 時々、おれにこうして話してくれるだろ? その時のお前はどんな時でも楽しそうだ」
時雨の観察は正しいと思う。
一緒にいて『楽しい』と傍にいなくなって『寂しい』。
それらの感情の帰結は『友達』『幼馴染』――はたまた『恋愛対象』としてのものなのか。
俺は頭のもやもやを一つの問いに昇華させる。
「恋ってどんな感情なんだろうな」
「~っ!!」
「おいおい、そんなに焦って食べるからだぞ」
俺は弁当を喉に詰まらせた時雨に未開封のペットボトル飲料を開封して手渡す。
「はあ……はあっ……! 夜宮お前おれを殺す気か……!?」
「いやいや、普通に聞いだだけだろ。お前ほど女子にモテる男はいないし、同じ男としてそこら辺のことを聞いてみたい」
「無垢もここまで来ると厄介だな……。まあ、他ならないお前の頼みだから、おれが思う恋を教えてやる」
俺はその言葉に生唾を飲む。
これで時雨が『その人がいないと居ても立っても居られない』だとかドンピシャで『その人がいないと寂しくなる』と言えば、俺の気持ちはそういうことになるのだろう。
「例えば、何気なく挨拶されたときに鼓動が早くなったり、隣にいると幸せな感覚に包まれるとかじゃないか? 友達との違いはその人を独占したいとか、異性と話していると訳もなくむしゃくしゃするとかもあると思う。おれの場合、実際に何人かそういう奴に告白されたし……」
「経験者は語る、ってことか」
「黙れ」
冗談交じりの会話に穏やかな空気が流れる。
その時だった。
「よお、夜宮。夏休み明けでも相変わらず陰キャしてるよなあ」
俺と時雨の間に割り込んできたのは、
このクラスでカースト上位にいるクラスメイトで、朝露事件を耳にしてからは何かにつけて絡んでくる。
別に物を盗られたり、暴力を振るわれたりはないので、それほど気にしていないが、チクチクと言葉で刺してくる嫌味な奴ではあった。
「佐久間、夜宮に何の用だよ」
「用はとくにないけどよ、十文字家の坊ちゃんはいつまでこいつといるんだよ? いい加減引き立て役のそいつはいらねえだろ」
俺は佐久間の言わんとするところを理解した。
時雨は見た目はおろか、学力や運動も得意で、一番完璧に近い存在だ。
その時雨が学力も運動も平均で、前髪を伸ばした陰キャを近くにおいているのだ。
それを佐久間は『引き立て役』という言葉で皮肉ったのだ。
そして恐らくはこの学校の生徒が疑問に思っていることの代弁のように感じた。
「おれは夜宮をそんな風に思ったことはない。むしろ親友だと思っている。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「別に責めてるわけじゃないぜ。何か理由があるのかと気になったんだ。坊ちゃんがいるとそいつと話ができないからな」
「どういう意味だ」
「いいから、今だけ俺に夜宮と話す機会をくれよ」
「あ、おい――」
時雨は佐久間の迅速すぎる行動に、俺に向けて手を伸ばす。
俺はその手を取ろうとしたのだが、運動部の力には抗えなかったのと、金魚の糞の俺が離れると、すぐに他のクラスメイトが時雨に群がったことで、その姿は見えなくなる。
まるで漫画のような人気ぶりだ。
俺は教室を強制退出させられて、グイグイと校舎の屋上まで連れてこられてしまった。
「人は――いねえな」
腕を離すとズカズカと接近してくる。
両手が握りこぶしを形作っており、明らかにサンドバッグにされるのだと身構えた。
「わりいっ!」
「……え?」
俺が固く閉じていた目を開くとそこには深々と頭を下げる佐久間がいた。
何が起きているのか理解できない俺は呆然と立ち尽くす。
「実は俺、朝露事件のことを噂に聞いたからお前に絡みだしたんだ。で、その理由はお前に嫌がらせがしたかったからじゃない。――これ」
佐久間はポケットから折りたたまれた紙を手渡してくる。
開くと、中身は朝露中学時代に二宮愛理にあげたものと全く同じ、夕暮れの教室で笑う彼女の絵だった。
さらなる訳の分からなさによって、困惑に拍車がかかる。
「これは、どういうことだ……?」
「まあ、落ち着いて最後まで聞けって。俺はお前の友達だった二宮愛理に片思いしてた男だ」
その間の抜けた自己紹介に全身を駆けていた思考の熱が抜けていくのを感じる。
俺は先を言うように促す。
「俺はお前や二宮の通っていた朝露中学の隣りの学校に通っていたんだけどよ、近くに二宮の家があって小さい時から遊んでたんだよ。で、知り合いだったってわけ。まあ、あいつ活発で可愛かったからな。俺が惚れるのも無理ない話だって」
「……俺は佐久間の惚気を聞かされに来たのか」
「いやいや、そういうわけじゃねえって! まずは俺と二宮との関係性を知ってほしかったんだよ! んじゃすっ飛ばして朝露事件のあとの話だ」
どっかりと胡坐をかいて座した佐久間に合わせるように、俺は屋上のフェンスにもたれかかる。
二宮があの後、主犯格の男と付き合ったとは聞いている。
だがそれより後の話は聞いたことがなかったので気になったのだ。
「一言で言うと、あいつは死んだ」
呑気に歌を歌っている鳥の鳴き声や校庭で息抜きをする生徒たちの声が途方もなく遠くに聞こえた。
時が止まったかのよう、という形容は今のようなときに使うのだろうとこの時初めて知ることになった。
『一言で言うと』という枕詞に違わず、端的な信じがたい告白を耳にして声を出せない俺の代わりに佐久間は続きを話す。
「二宮の死因は自宅での首つり自殺だ。なんでそんなことをしたと思う?」
「俺には……分からない……。だって――だってあいつは最後に『悠斗と関わらなければよかった』って言ったんだ! その程度の関係だった俺に分かるはずがない……っ!」
混乱状態の極致に立たされた俺は、当事者ではない佐久間に激白した。
あるいは二宮が死んだことに対する拒否反応の表れだったのかもしれない。
「……ああ、本当にそういうことだったのかよ。お前の認識だとこうなってるわけだな――『二宮愛理は俺のことを裏切った』」
図星をつかれた俺はヒュッと気道が狭まるような心地がした。
それを見て佐久間は俺の胸ぐらをつかみ、そのままフェンスに叩きつける。
とても運動部に所属する彼に抵抗するだけの力はなかった。
「お前がそう捉えんのも分からなくはねえよ? 当時はお前だって冷静な判断だってできなかっただろうからな。でもよ、あの後一度でもあいつの――愛理の気持ちになって考えたことがあるのかよっ……!」
「お前……二宮からすべて聞いてる……のか……?」
「ああ、そうだよ! 質の悪い噂の真実も、あの時にお前に残した言葉の真相もなあ!」
俺は佐久間に投げるように手を離されると、地面に倒れこむ。
「ゲホッ……ッ」
「俺も夜宮にこうしてる辺り、お前と大して変わんねえくらいねじれてっけどよ。今のお前を見てるとあいつの言葉だってまともに伝えられやしねえ! 入学してからお前が朝露事件の関係者だってことを知って、俺は憎かった。ただひたすらにお前が憎かった。でも、お前が悪いわけじゃねえってのは知ってる。だからこそ、四月からの半年弱を見てたが、とても目を向けられる有様じゃあねえ。他の奴らに好き放題言われても感情を押し殺して否定の一つもしねえ。挙句、十文字のボンボンに守ってもらう始末だろ? お前はどう思ってんだよ?」
「……知らない。俺は、知らないんだっ……!!」
痛い。痛い痛い痛い。
もう手は離されたというのに、身体中が痛い。
肉が裂け、骨を砕くような強烈な痛みに失神することすら許されない。
「なあ……今何を考えてる? 頼むから、教えてくれよ。そうじゃなきゃあいつが報われ――」
「おい! 夜宮から離れろ佐久間!」
狭まった視界に入るのは時雨だ。
膝に手をつき、息を切らせながら屋上の扉に手をついている。
「チッ……時間切れだ。お前がもう少しまともなら、あいつの言葉を伝えられたってのに」
佐久間はそう吐き捨てると、時雨が代わりに駆け寄ってきた。
「夜宮、大丈夫か!?」
「……」
俺は頭を抱え込んでしまう。
何が、俺の何がいけなかったって言うんだ。
父さんがいなくなって。
二宮に裏切られて。
俺だって、好きでこんな風になったんじゃない。
行き場のない汚い感情が透明な涙になって頬を伝う。
「よる……みや……?」
♢♢♢
「ダメだ夜宮っ!!」
おれがクラスメイト達の囲いを抜け出せたのは夜宮と佐久間が教室を出て行ってから十分後のことだった。
それからどこに行ったのかを他クラスの生徒から聞き出して、屋上に着いた時、明らかに夜宮の様子がおかしかった。
フェンスに力なく項垂れ、それを複雑な表情で見下ろす佐久間。
反射的におれは佐久間を糾弾した。
彼は機嫌悪そうにこの場を去り、おれは一向に動かない夜宮を心配し声をかけるが返事はない。
それどころか、ふらりと立ち上がるとフェンスをよじ登り始めたのだ。
「お願いだからやめろよ! 夜宮!」
おれは必死で夜宮の身体にしがみつく。
この手を離したら、今の彼は躊躇なく飛び降りる。
そう、直感していたから。
「放せ! 放せよ!!」
「っ!」
手を振り払おうとおれは足蹴にされるが、食い下がる。
そう、何度だって。
おれは夜宮に助けられた。
だからこそ、その恩を返さなければならない。
それが本人の望まないことだとしても、絶対にこの手を離さない。
「……!」
「あ……っ」
♢♢♢
「なんで邪魔をした……! 俺に、もう生きる意味はないというに……っ!!」
俺は力なくその場にへたり込む。
傍には俺のズボンの裾を握りしめたまま、動かない時雨がいた。
もう、本当にダメかもしれない。
幼馴染の綾香を傷つけ、友達だと言ってくれた時雨を傷つけ。
過去はどこに行っても俺に付きまとい、解放してはくれない。
――それなら、俺はせめて誰も傷つけないように全員を突き放すしかない。
「もう、放っておいてく――」
ピシャリ、と乾いた音が屋上に響いた。
次いで確かな熱感と共に自分の頬が平手打ちされたことに気づく。
「夜宮は何も分かってない……! そうだ、分かってないんだよ……っ!」
俯いて震えながら言葉をぶつけてくる。
「お前が生きる意味がお前自身に見出せなくても、おれはお前がいることを望んでいる……! あの時だってお前は助けてくれた。今だってお前がいてくれるだけで、こんなにも心が満たされる……! もしお前がいなくなってしまったら、おれは多分おれじゃなくなる。お前の話に出てきた幼馴染だって、きっと悲しむに決まっている! お願いだ、夜宮。死んだら、お前を大切に想っていた人まで殺すことを忘れないでくれ」
「なら――なら俺はどうすればいいんだよ……! 俺には何もない……裏切って、裏切られてばかりだ……」
時雨はすっくと立ちあがる。
すると力強く言って見せるのだ。
「おれに考えがある。――だから、今までお前に起こったことのすべてを話してくれ」
♢♢♢
「お帰り、夜宮くん」
数日後、俺が帰宅すると何事もなかったかのように綾香がベッドに座っていた。
俺はその姿に――一か月弱ぶりの彼女に深く頭を下げる。
「すまなかった」
「……え?」
「あの時、俺は朝露事件のことを思い出して勝手にイラついて勝手に八つ当たりした。お前は何も悪くないのにだ。それでも、お前は俺との海の約束だけは守ってから距離を置いたんだろ? 本当に――」
「ちょ、ちょっと待ってってば! 夜宮くんが何の話をしてるのか分からないよ……」
「ここ一か月弱、何も言わずにいなくなった理由の話だけど……。俺の態度に嫌悪感を抱いて出て行ったんじゃないのか……?」
綾香はそれを聞いてもキョトンと、まるで眼前にいる俺が珍獣であるかのような視線にいたたまれなくなっていた。
やがてポン、と得心のいった様子で手を打つと、申し訳なさそうに頬を掻く。
「あ、あ~……そのことなんだけど、ごめんね。別に夜宮くんがっていうことじゃないんだ。夏休み期間に海に行った日の日付、覚えてる?」
「八月十二日、だよな……?」
「そう。その次の日から何の日かは分かる?」
「……お盆、か」
すっかりそのことを失念していたことを思い出す。
でもそれならそれでおかしい。
お盆は基本八月十三日から十六日だったはずだ。
綾香は九月の新学期が始まってから数日後にこうして戻ってきた。
「そうそうお盆。今日まで会いに来れなかったのは、わたしが両親に無断でこっちに来ていたってことで怒られてたのと実家でやることが多かったっていうのが主な理由だね。伝え忘れてたのはわたしのうっかり……」
俺の顔色をちらりと窺う彼女に、俺は安心して思わずしりもちをついてしまう。
「俺、お前に嫌われたと思ったんだ。あれだけひどい言葉をかけられれば、誰だって嫌いになると思う。でも、お前は違うんだな」
「わたしはそれくらいじゃ君を嫌いになんてならないよ? むしろ、そうやって素の感情をぶつける相手にわたしも含まれててすっごく安心したよ。いきなり再会して、色々な場所に引きずり回されて。挙句の果てに触られたくない傷を無遠慮につつくようなことをして、迷惑だろうなってうすうす感じてたから」
俺は首を横に振る。
「いや、迷惑だなんて思ってないよ。綾香は綾香で俺のことを気遣って連れまわしたんだろ? それに『絵』のことだって、本当は俺が諦めきれていないのを見透かしてたんだろ?」
「言葉にするとそれは無粋になっちゃうけどね……。こういうのは黙って気づかれずにするからいいの。本当の味方は悪役を演じてでも、その人の道を塞ぐ障害物を取り除いてあげるものだもんね」
綾香のその至言に心に響かないところはなかった。
だからこそ、正直に明かす。
「実は、綾香の気遣いを俺自身で気づけたわけじゃないんだ」
へぇ、と綾香が楽しげに俺を見る。
それは続く言葉を予期しているような表情だった。
「お察しの通り、時雨だよ」
「夜宮くん、時雨さんと何かあった?」
言ってもいいものかと悩んだが、俺は今度こそ誠実に向き合おうと決めたのだ。
包み隠さずにすべてを話す。
「……そう、だったんだ……。そこまで追い詰めたのはわたしのせいっていうのもあるよね。ごめんなさい」
「綾香のせいじゃないって。俺が情緒不安定なのは元々だ」
「そう言ってくれると嬉しいかな。それにしても夜宮くんに親しい友達がいて本当に良かったよ」
「俺に、友達がいないと思ってたのか?」
図星ではあった。
しかしそれもこの前までのことだ。
時雨は俺に腹案を話してくれた上に綾香と同じように受け止めてくれた。
これを友達と呼ばないなら、その優しさの受け手は本物のバカだ。
「だって、わたしといつもいたのはその、友達がいなくってお誘いがなかったから、でしょ?」
「言いづらそうに具体的な内容を言うのは心に刺さるぞ……」
「ま、まあまあ……それにしても、また時雨さん、かあ」
どこか思うところがある様子の綾香に、ひょっとしたらという事実を述べておくことにする。
「時雨さん、時雨さんって言ってるけど、あいつは男だぞ? もしかして女だって勘違いしてないか……?」
それを聞いた綾香はなぜか一瞬固まった。
それから「あ、あ~ねっ」と白々しく笑った後、堂々と言うのだ。
「わたしは夜宮くん以外の男の人も女の人も”さん”付けで呼ぶよ」
「そういうことか」
それを掘り下げるような真似を俺はしない。
こんな風に軽口を叩けることだって、小さな幸せの一つだから。
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