第22話:一緒に、寝よ?

結局あの丘の上には幽霊などいなかった。

やはり、噂の真実は見間違いということになるのだろう。


旅館の部屋へ戻った俺たちは神経衰弱や七並べといったトランプゲームで遊んだ。

王道なはずのババ抜きは一度もやらず、遊んでいる間中、俺の膝の上に座っていた綾香にそれでいいのかと突っ込みを入れたところ、「ここが落ち着くから! ババ抜きやりたくないから!」と言われたものだ。


日付を跨いだ辺りから眠気に襲われ、ふかふかなベッドに潜り込んだ。

普段の安物のベッドとは異なり、包み込まれるような柔らかさだ。

綾香はもう少ししてから眠ると言ったので先に寝付こうとしたのがなかなか眠れない。


それから三十分は経過しただろうか。

隣りから小さく声が聞こえてくる。


「……まだ起きてる?」

「ああ、起きてるよ」

「ふふ、だろうと思った」


綾香の方へ身体の向きを変えると、薄いナイトガウンを羽織っている彼女が視界に入る。

そして、白磁の太ももが露わになっており、目のやり場に困った。


……やっぱり向かないほうが良かったかもしれない。


「もしかして、わたしのことを意識してるの?」

「っ! そ、そうだよ! 俺だって一応男子高校生だし……。それに部屋だってお前が一緒がいいっていったからこうなったわけだし……」


綾香は可愛いなあ、とくすくす笑うのだ。

そのまま、俺の長い前髪をスッと掻き分けて瞳を見えるようにする。

俺が綾香に八つ当たりしたときと同じような強烈な眩しさは、明かりが消されていたことで感じなかった。


「わたしね、今日という日が――ううん日付が変わっちゃったから昨日か。一生忘れられない思い出になったんだ」

「それは俺だって同じだ。生まれて初めて一番楽しいって感じた時間だったと思う」


瞼を伏せれば、たくさんの綾香との思い出ができていた。

まるで俺の失われた中学三年間の青春を凝縮して取り戻すように。


――そうだ。綾香に伝えなければいけないことがあったんだ。


「そういえば俺、綾香に絵を描いてほしいって言われたよな」

「うん」

「実は俺の通う夕凪高校の文化祭は少し変わっていてな。普通の学校とは違ってクリスマスイブとクリスマスの二日間に開催するんだそうだ」

「なんか夜宮くんの口ぶりだと今まで知らなかったみたい」


俺はそうなんだよ、と笑っておいた。

高校は都内でもできるだけ朝露中学に離れた場所をと、行事や偏差値といったものは眼中に入っていなかった。


「それで、時雨の方から一枚大きな舞台で使う絵を描いてほしいって言われてるんだ」

「ええっ……!?」

「驚いたか?」

「驚かない方がおかしいって! あ、ごめん。夜なのにうるさくして……」

「気にしなくていいさ」


綾香は続きを促す。


「それで、時雨からの絵の依頼を受けようと思うんだ」

「いいんじゃないかな。夜宮くんが絵を描けなくなったのは不幸にもお父さんの失踪と朝露事件が立て続けに起きたせいだもん。夜宮くん自身の意志で描きたくないと思ったわけじゃない。だから、わたしも楽しみにしてていい?」

「もちろんだ。むしろ、俺から見てほしいって頼みたいくらいだ。でも、あの頃ほどのクオリティは出せないかもしれないなあ……」


一生懸命に練習していた頃の感覚はどうあがいても取り戻せないだろう。

感性……も鈍った気がするし、腕自体も落ちている。

それでも綾香と時雨という俺を信じてくれる二人のために、絵を描きたい。


「質なんて問題じゃないよ。わたしも、そして多分時雨さんも絵を一生懸命に心を込めて描く夜宮くんの作った作品を見たいんだよ。学校のみんなを見返してあげようよ!」

「はは、頑張ってみる」


俺から伝えたいことは今のところすべてだ。

眠気ゲージが七割がたまで上昇しつつある。

綾香は急に視線を下に落とすと、前髪が零れ落ち、俺からはその瞳が見えなくなる。


「ねえ」

「ん?」

「――よ」

「もう少し大きな声で頼めないか?」


何か変な言葉が聞こえた気がしたが、聞き間違いだと判断し、再度の意思疎通を試みる。


「――一緒に、寝よ?」

「……は?」


聞き間違いではなかった。

ばっと顔を上げた綾香の頬は紅潮していて、それがどういうことを指すのかをはっきりと理解しているように思える。

でも、それならなぜ……?


「寝よ……って俺のベッドで綾香も寝るってことか? それはつまり――」

「そういうこと。お願い、わたしの初めてもらってくれる?」


そのほぼ直球な物言いに、思わずせき込んでしまう。

つまり、それはあの、そういうことで――。


――結論。


「ぜ、絶対に無理だ!」

「……わたしじゃ釣り合わない、かな……?」

「そうじゃない! 綾香はもっと自分を大切に考えるべきだ。第一、俺たちは付き合ってさえいない幼馴染だぞ!? あのボロアパートで半同棲しているような時点で間違っている気がしなくもないが、今の言葉は明らかに順序を混ぜこぜにしてるだろ……!」


そこで俺は口を慌てて抑える。

衝撃すぎてそこそこ大きな声を出してしまった。

綾香の瞳は熱に浮かされたようにトロンと潤んでいる。


「お願い……。わたし、夜宮くんのことが好きだよ。ずっと、ずっと昔から好きだった……!」

「お、俺だって好きか嫌いかで言ったら綾香のこと、好きだし。でも今そういうことするのは違うだろ。お前だって後悔するよ、きっと。俺なんかが相手なんてさ」


顔を上げた俺が見たのは瞳一杯に涙を浮かべた綾香だった。

必死で何かに縋り付こうとする彼女に幼気いたいけすら感じさせる。


「あ……! えっと……泣かせるつもりとかじゃなくて……! 俺が言いたいのは綾香のことをすごく大事に思ってるってことだよ! お前には幸せになってほしいし、お前自身もそう思ってるだろ?」


俺はそこまで言って幼い頃、引っ越し際に彼女とした約束のことを思い出す。

もしかしたら、それが大元の原因で、何かに火がついてそれが溢れだした?


「もし、幼い頃にした約束のことを指しているなら――」

「それ以上は言わないで! わたしは本当に、本当にあの時の約束にすがってるんだ……。だから、そんなことは言わないで」

「ごめん」

「ううん、わたしこそ面倒くさかったよね。ごめんね。それにありがと」


一瞬、落ち込んでしまったかと手を伸ばしかけたが、次の瞬間にはいつもの綾香の笑顔に戻っていた。

今まで一度もそんなことはなかったというのに、今に限って情緒が不安定になる彼女にどうしたのかと聞きたかった。

でも、そのことには首を突っ込むなとばかりにまくしたてる。


「よし! 気を持ち直して今日は夜宮くんのベッドで寝るぞー!」

「何も持ち直してないじゃないか……」

「大丈夫! ただ同じ場所で眠るってだけだから!」


これはもう何を言っても引き下がりそうにない。

俺は小さく呆れたようなため息をつくとともに幼い頃の兄貴分でいた俺に戻った心地がした。


「分かったよ。それにしてもお前は外見は成長したのに、中身はまだまだ子供だな」


俺は俺に全力で返ってくるブーメランを綾香に放つ。

綾香より数百倍は俺の方が子供だ。

そんな返しに、いつもの綾香なら「ひどいなあ」と言ってかわすのだが。


「むぅ! わたしはお子様じゃありませーん! わたし知ってるんだからね! 夜宮くんが本棚の裏にエ――」

「わー! 待った待った! それは俺の沽券に関わるから!」

「ふふふ、わたしの勝ちね」


どうやら俺に返ってきたのは、ブーメランに添えて特大の爆弾だったらしい。

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