第3話:わたしのこと、覚えてる?

「あ、あの! 夜宮悠斗くんを知りませんか……?」


私立夕凪高等学校での生活も二週間弱を経て慣れるとまではいかないものの、大体の流れは掴めてきた。

取りも直さず、周囲からの居心地の悪い視線は継続していたけれど。

そんな俺は今日一日のカリキュラムを終え、自宅に帰るために正門に向かっていた。

その時にそんな言葉を耳にしたのだ。


「あの子、誰だ……?」


そこには正門から出て行く生徒に声をかけては無視をされている少女がいた。

俺は一瞥すると触らぬ神に祟りなしと、他多くの生徒と同じ行動を取ろうと思った。


「い、たた……」


だが、無視の挙句の果てにそのまま人とぶつかりそうになり、倒れこんでしまう彼女が目に入る。

普段なら絶対に知らぬ存ぜぬで通り過ぎるのだが、あまりに誰からも無視されていたので、同類相哀れむ精神を発動させてしまう。


「大丈夫か?」


俺は手のひらを差し伸べる。

相変わらず、周囲から俺に「こいつは何をしているんだ?」という視線が突き刺さるが、今だけはどうでもいい。


「あ……はい、大丈夫です……ありがとうございます」


陽光を凝縮したような純白のワンピースの裾を払い、俺の手を支えに少女は立ち上がる。

あんまり人の顔を見ることが好きではないので、少女が立ち上がったことを確認すると俺の視線は明後日の方向へ向けられる。


「そう。ならよかった。それで、夜宮悠斗なら俺のことだけど? 君は誰?」


彼女を放っておけなかった理由のもう一つは俺の名前を口にしていたからだ。

不思議なことに俺は彼女の名前を知らなければ、お呼ばれされるような義理を立てたこともない。


「っ! ここだと目立ちますし、近くの自然公園に足を運びませんか……?」

「あ、ああ。それは構わないけど……」


正門で聞き込みをしていた少女の顔をそこで初めて直視した。

絹のようなセミロングの髪を後ろに流し、すっと目元の通った可愛い顔立ちをしていたため、俺は思わず呆けてしまった。



♢♢♢



案内されるままに自然公園内のベンチに腰を下ろす。


「それで? 俺に何か用?」

「わたしのこと、覚えてますか? ううん、覚えてる……?」


唐突なその言葉を受け、より一層マジマジと見るがこんなに印象的な少女を忘れるわけはない。

こんな子が学校にいたらそれこそ熾烈な争奪戦が始まりかねない。

期待を込めた眼差しを向けてくれるが、それは俺が次の言葉を発するまでだった。


「ごめん。俺には誰だか分からないよ。会ったことはあるのか……?」

「そっか……。やっぱり、覚えてないんだ……。わたしは綾香。桜瀬綾香さくらせあやかだよ。夜宮くんの、幼馴染の」


桜瀬、綾香。

鈍い動作しかしていなかった脳が一気に覚醒したような感覚を得る。


「ああ! 綾香か!」


俺の驚いた表情を見て綾香は細眉を八の字に下げる。

傍目から見ても相当なショックを受けていることは明白だった。


「忘れてたよね、やっぱり……」

「いや違うよ! あんまり変わったから驚いて……! というかたった三年でこんなに変わるものなのか?」


今の彼女は俺の知りえた桜瀬綾香ではない。

線は細く、手足も繊細な芸術のようにきめ細やかだ。

最後に綾香を見たのは小学六年生。

その時と比較して、身体が細いのは同じだが、その発育やら雰囲気の大人っぽさが女性としての色を醸していた。

男子の理想形がクールな十文字時雨なら、女子の理想形は柔和な貝瀬綾香だろう。

わずか三年の間にこれほどまでになるとは誰にも予測できなかったに違いない。


「どう……? 少しは夜宮くんの好きな女の子に近づけたかな……?」

「う……っ!」


斜め下から覗き込んでくる綾香は、綺麗と可愛いを足して二で割ったハイブリッドだった。

女子に斜め下から覗き込まれるシチュエーションは、女子からされてみたいランキング上位を占め続けていると、どこかで聞いたことがある気がする。


……その気持ちが今、分かった……。


「た、たしかに綺麗で可愛くなったよな……」

「ふふ、よかった。頑張ってここまで来たかいがあったってもんだね」


綾香は透明なガラスのような声で笑うと胸を撫で下ろした。


「でもどうしてこっちに? それに俺のいる高校をどうやって知ったんだ?」

「こっちに来た理由は夜宮くんに早く会いたかったから。我慢の限界ってやつかな? そして二つ目はお母さんから聞き出してたんだ。夜宮くんは今どうしてるのかなって」

「そんなにまでして俺に会いに来る価値なんてないと思うぞ。この通り、大抵は一人で過ごしてる。はぐれ者だよ、俺は」


冴えない男子の自嘲など誰にとっても得がない。

嗤われるか、適当な慰めでも寄越してくるかと、捻くれた考えを持っていたのだが、綾香は首を傾げるとすぐに俺の手を握った。


「ね。わたしね、夜宮くんと話したいことがいーっぱいあるんだ。だから、これからも少しずつ会いに来るよ。じゃあね!」


するりと手が離れると綾香は何度か振り返りながら去っていった。

あまりに唐突な幼馴染との再会に驚きを隠せない。

それになぜ、綾香は都会こっちに来たのだろう。


「……小学校の頃の俺を知っている綾香なら、幻滅しただろうな」


これから先、どうなるのかは誰にも予測できやしない。

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