第三章 大空洞

①雪山

 雪の感触はまだ柔らかかった。

 その雪をしっかりと踏みしめつつ、信介しんすけは歩いていく。登りに差し掛かると、蹴り込むように勢いよく雪を固め、階段を作るように進んだ。

 信介の固めた道を泰彦やすひこ実隆さねたかは進んでいく。


「なんだってこの季節に雪が降ったんだろ」


 実隆は何とはなしに呟いた。

 それに対し、泰彦は気持ちが昂ったように語り始める。


「クトゥルーと関連して考えるなら、イタカの存在を考慮したほうがいいかもしれない。雪や霧とともに現れるという、インディアンに伝承されるウェンディゴと同一視される旧支配者だよ。

 うちの寺に訪れた相談者が見た悪夢にも、風と共にいずこへともなく連れ去られるというものが何件もあってね。これはイタカが出現した際に起こったという前例があるんだ」


 それに対し、信介が茶々を入れた。


「おいおい、随分と流暢に喋るじゃないか。クトゥルーが出るってビビりまくってたくせに」


 信介の言葉に、泰彦は青ざめる。思い出したくもないことを触れられたかのようだった。


「勘弁してくれよ。クトゥルーが怖いのなんて誰だってそうでしょ。あれが目覚める時は人類が滅亡する時なんだ」


 急に話の規模が大きくなる。だが、信介も実隆も人類の滅亡だなんて言われてもピンとは来ない。突拍子のないことを急に言い出すのだなという程度に聞いていた。

 泰彦は話すのに夢中になり過ぎて滑りかけることもあったが、それを信介が手を伸ばし、実隆が後ろから支えて、二人掛かりで止める。


「泰彦と最初に会った時、邪神の復活がどうの言ってたろ。そういうのすでに予感してたんじゃないのか」


 信介が問いかけると、泰彦の目が泳ぐ。


「あー、あれね。俺は邪神の復活なんかには絶対関わりたくないからさ、関係しているかどうか確かめたんだよ。その時の信介の話からは、関係なさそうに思ったんだけど」


 泰彦は今回の山行にはクトゥルーが関係することはない、そう考えていたようだ。

 しかし、その予想に反して、信介は丹沢に来た途端、クトゥルーに関する悪夢を見始めたのである。


 とはいえ、泰彦以外はそのことに対して気も止めずに、先を急いでいた。

 やがて、稜線を登り切り、降りに差し掛かる。信介はかかとから雪を踏みしめ、今度は降り階段を作るようにして、小刻みに歩いていく。やはり、残りの二人は信介の固めた道を歩くようにして進んでいった。

 泰彦は何度か滑ったが、大事には至らず、その黄色いジャケットとボトムズが泥だらけになっただけで済んでいる。


 やがて、谷底に差し掛かるような場所で、古ぼけ、荒れ果てた祠を発見した。誰も参ることのないままに、朽ち果てている。

 本来は目的地の一つだったが、丹沢に長居したくない一行にとっては通過点のはずだった。


 しかし、強烈な違和感が彼らを襲う。純白の雪原の中にあって、祠の周りだけが真っ黒な水溜まりのようになっているのだ。

 黒い水溜まりはまるで生き物であるかのように脈動し、ズルズルと近づいてきているように見えた。

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