⑦象人間登場

「おい、飲ませ過ぎなんじゃないのか」


 泰彦の顔が真っ赤になっていた。まだ、ウィスキーを一舐めしただけだというのにだ。

 信介の言葉に、実隆は「一口だけだよ」と弁明する。


「まあ、いい。温まってるんなら、いいのかもな。

 おでんを食うぞ」


 そう言うと、食器におでんをよそっていく。大根、卵、ちくわ、昆布、それに練り物。それぞれを入れたのち、汁を均等に注いでいった。

 そして、二人に手渡す。この寒さの中で食べる温かいおでんは格別だ。大根は軟らかく、野菜の爽やかさとともにつゆの美味しさが感じられる。卵はほくほくしているが、それでいて黄身はとろっとしていた。ちくわの濃縮された魚介の味わい、昆布の濃厚な旨味も素晴らしい。


「ぶははははは。おでんだ、気が利いてるねえ」


 何が面白いのか、泰彦は何か起きるたびに爆笑していた。

 そんな様子を眺めながら、実隆はずっとウィスキーを飲んでいる。

 信介は残ったさつま揚げを食べた。つゆに浸されたさつま揚げはカリッとした風味を残しつつ、柔らかく食べやすい。そして、残ったつゆをすする。


「あまり飲み過ぎるなよ」


 信介が釘を刺すが、実隆はムッとした様子で、

「堅苦しいこと言いなさんな」

 と言い放った。


「お前、今朝も腹下してたろ。こんな山中でまたそうなったら、こっちも迷惑なんだぞ」


「はいはい」 実隆は受け流すような返事をしたが、しぶしぶ酒を飲むのをやめた。

 信介はその様子に安堵するが、あろうことか今度はタバコを吸い始める。タバコに火を点け、煙を吐き出した。それに気づいた信介がまた声を荒げる。


「おい! テントの中で吸うんじゃねえ! 吸いたいなら外に出ろよ」


「無茶言うなよ、こんな吹雪で外に出れるわけないだろ」


「無茶はお前だ。こんな密室でタバコ吸うか」


「ぶははあっはっはっは」


 実隆がぼやき、信介が難癖をつけ、泰彦が意味もなく笑う。こうして、この日は更けていく。

 しばらくして、まだ時間は早いが、三人は眠ることにした。寝るとなると二人用のテントは狭いがどうしようもない。寝袋に入り、ひしめき合いながらも、どうにか眠ることができた。


 オローンオローン


 奇怪な音が聞こえて信介は目を覚ました。誰かのいびきかと思ったが、すでに二人は目を覚ましている。実隆がヘッドランプを発光させていたが、彼がテントの入り口を開けて見ている先には奇妙な影があった。

 まるで象の影のようであった。長い鼻が蠢き、左右に大きな耳がひらひらと棚引いているように見える。


「なんだ、あれは象か?」


 信介が思わず声に出すが、すぐさま泰彦が否定する。

「丹沢に象はいないでしょ」

 それを受けるように、実隆が口を開いた。


「じゃあ、マンモスか? 絶滅したはずだろ」


 その言葉を聞き、信介はまじまじと実隆を見る。聞き覚えのある言葉だったからだ。

 それは確かに悪夢の中で信介自身が発した言葉と酷似していた。それをなぜ実隆が口にするというのだろう。

 実隆は信介の驚愕とした様子にキョトンとしている。


 そんな中、巨大な象の影がテントに近づいてきていた。

 影はまるで、象の頭を持つ人間のような姿をしている。そんな姿のままドシンドシンと音を立てて、こちらに向かって歩いてきているのだ。


 象人間はテントの真上にまで現れ、その巨大な足を踏み下ろす。三人はテントが崩れるのを覚悟した。

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