第16話 愛しています、だけども~裏切られた時の棘は未だ抜けず~




 喉に、心にへばりついていた物がゆっくりと落ちていくのを感じた。


 本当は呼びたかった名前。

 愛していると、言われたあの日から、口にしたかった名前を、私は漸く口にできる。


「アザレア……さま」

 でも、名前だけでは呼べなかった。

「ふむ、今はそれで良しとしよう」

 満足そうな陛下――アザレア様の声。

 体にまとわりついていた髪の毛がしゅるしゅると、体から離れていく。

 お腹を触ってた手も離れて、その手で私の手を握ってきた。

「他の者がいる時ならまぁ我慢はできるのだが、二人っきりになってもいつまでたっても『陛下』ばかりで私の名を呼んでくれぬからな。つい私も其方の名前をそのまま呼んでしまっていた。本当は其方の兄が其方を呼ぶように呼びたかったのだがな」

 体を触られる。

 手が布越しになぞってくるのが分かる。

「リチア、私の愛しい妻」

 アザレア様の吐息が酷く熱いものに感じられる。

 ぞわりとするが、不快感とは違う。

「アザレア、様」

「――私の可愛いリチア」

 うなじに口づけをされたのが分かる。

 いや、口づけというか、食むような――甘噛みされているのが分かった。


 唇、舌、歯の感触が伝わる。

 布越しに胸をなぞられる。


「安心せよ、其方が望まぬならせぬ。愛でるだけだ」

「……アザレア様の、本心は?」

「まぁ、正直に言ってしまえば……そうさな。リチア、私は其方とまぐわいたくて仕方ない」

 正直すぎる。

 威厳とか色んなの放り投げて自分の願望言っちゃってるよこの御方。

「……そんなにですか?」

「うむ。ただ配下達は其方が私の子を宿すのを楽しみにしてるようだが、私はそれを急ぐつもりはない。第一、子を宿したら其方は一年以上は確実に辛い状態に陥る。妊娠とはそう言うものであろう? 子を胎内で育て、産み、育てる。育てている間も心身への負担はかかり、出産時もどんなに術で軽減しようとも苦しみはつきもの。そして産後は出産時の傷で体が本調子に戻るのには時間がかかる。故に、私は気軽に其方に『私の子を産んでくれ』など言えぬ」

 アザレア様がそこまで考えているとは思わなかった。

「だから、私は其方に子を産んでくれとは言えぬ。私がその苦しみを肩代わりできるならともかく、できぬから私はそれを求めぬ」

「……アザレア様は子は欲しくないのですか?」

「んー……欲しくない訳ではないが……それよりも私は其方との時間を大切にしたい」

「……あの、私がその……子どもを……」

 上手く言葉にできない。


 あるのだ。

 子どもを生せない夫婦が。


 私が子どもを宿すことができないなら、私の意義は――


「リチア。其方は要らぬ心配ばかりする。自分が原因で子どもができなかったら――など、どうにでもなる。他の国ではどうなのか知らぬがこちらではそういった類の治療方法はいくらでもある」

「……」

 アザレア様が態々嘘をつく理由はないから、おそらく真実なのだろう。

「リチア、私は其方が誰よりも愛しい。初めて見た時から、其方は他の者達と明らかに違っていた。だから私は其方に興味が湧き、そして惹かれたのだ」

 アザレア様の手が、私の体を触る。

 肌を撫でる。

「子は欲しくないわけではないが、どちらを取ると言われたら私は其方を選ぶ。子に関しては、できたらその時だ。それよりも私は其方がいればいい」

「……」

「リチア、こちらを向いてはくれぬか?」

 アザレア様に言われて、なんか嫌ですとか言う気にもなれなかったので、大人しく体を動かしてアザレア様を見る。


 褐色の肌、赤紫色の宝石の様な目、黄金よりも美しい金の色の髪、今まで見てきたどの男性よりも美しい顔。

 多分、女性でも、アザレア様より綺麗な存在は居ないのかもしれない、そう思う位綺麗。


「どうした、私の顔をじっと見て」

 アザレア様が笑う。

「いえその……」

 アザレア様が綺麗すぎて、どうしても自分が見劣りしてしまう。

「……その、アザレア様はとてもお綺麗ですから……私はその……」

「そのような事か」

 アザレア様は楽し気に笑って私の頬を撫でた。

「リチア、其方は愛らしい、それで良いではないか」

「……その、可愛いとか愛らしいとか……まるで私が子どものように聞こえて複雑です……」

 本当これ。

 可愛いとか、愛らしいとか嬉しいのだけども――非常に綺麗で美しくて大人な感じのアザレア様とかに言われると……子どもっぽいと聞こえる不思議。

 そして複雑になる。

「それでは私がまるで幼子に性的な欲求を持つ輩のようではないか。まぁ、そのような性癖を持ってて幼子に何もせぬ輩もいるから性癖は否定せぬが、実際やるような罪人連中と一緒にするな」

 むにーと頬をつままれる。

「いひゃいれしゅ」

「……まぁ、年齢的に考えると其方は確かに幼子みたいなものだが……別に其方を幼子や少女……そういった風に見ているわけではないぞ?」

「ほうれしゅか」

 漸く頬をつまむのをやめてくれた。

「リチア、私はな。其方だから愛しくてたまらないのだ。恋しくてたまらないのだ。むしろ其方とまぐわいたいのを我慢している私の理性を褒めて欲しい位だ」

「え゛?」

 私は変な声をあげてしまった。

 でも、我慢してると言われても、分からない。

「こうすれば分かるか?」

 にやりと笑われて、抱きしめられて、そして理解した。

「ギャー!!」

 思わず色気のない悲鳴をあげる。

「そういう事だ、私の理性を褒めて欲しい」


 上手く言葉を紡げない。

 顔が熱い、心臓も五月蠅い。

 頭の中がもう酷い有様。


――え、もしかして私の事目を離せないってアザレア様の部屋で寝る様になるから、ずっと?――


「其方が想像している通りだとも」

 意地悪気に笑うアザレア様。

「だが、私は其方を無理に抱こうとはおもわぬ。何度も言うがリチア、其方に魅力がないとかそういうものではない。私は其方が私とそういった行為をしたい、と思った時に私はしたいのだ」

「……」

「――と、此処迄言ったから今言うぞ、今日其方がしてもかまわないと言っても私は拒否する」

「……え?」

 アザレア様の言葉が何か上手く呑み込めない。

 アザレア様のため息が聞こえる。

「リチア、私は其方との付き合いは短いが、それでも分かるぞ。其方焦りと責任を感じてしてもかまわないとか思ったであろう?」

 アザレア様の指摘に、何も言えない。


 事実だから。

 そう思ったのだ。


 やはり、私はまだ心にしこりが残っている。

 あの男の言葉が。


『だってお前はさせてくれなかったじゃないか』


 そう、約束を忘れた馬鹿な男の言葉が。


 だから、焦ってしまう、責任を感じてしまう。


 私なんかを、そこまで思って大切にしてくださったという責任、罪悪感。

 もし、私がアザレア様と夜伽をしたくないと駄々をこねていて――綺麗な方が現れてアザレア様の心がそちらに行ってしまったらという焦り。


 怖いのだ、私は。

 后になったとは言え、式を挙げたわけではない。

 私は不安で仕方ないのだ。


――あいしています、アザレアさま――

――おねがいです、どうかすてないで――

――わたしは、がまんいたしますから――





 一歩踏み出せたと思った。

 あの男への未練は立ち切れたはずだった。

 だけども――


 あの男につけられた傷は、まだ私を苛む。

 まるで茨の棘のように刺さって、取れない。

 私は、まだ、裏切られた時の呪縛から、抜け出せないのだ――





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