第4話

 私が14歳、ゴードンが9歳になった頃。彼は突然、真っ赤な顔をしてこう言った。


「も、もう、セラスとは風呂に入らない!」

「あら、どうして?」

「どうしてって、俺はもう子供じゃないし……セラスだって、その、大人だから――」


 血の繋がりはないけれど、私たちはまるで本当の姉弟きょうだいのように育った。だから、まだ10歳にも満たない弟が互いの裸体に恥じらいを抱いていたなんて――青天の霹靂へきれきだ。

 しかも、私はゴードンのオムツだって代えていたのに……何を今更恥じらうことがあるのか、心の底から不思議だった。


 ほんの1年前は「セラスちゃん」と呼んで甘えていたのに、今では生意気にも呼び捨てだ。まだまだ背は低いし体も細くて、よく学校の同級生に「ヒョロヒョロのボンボン」と揶揄されているらしい。それを知っていたところで、さすがに子供の喧嘩にまで首を突っ込もうとは思わない。

 いくらヒョロヒョロのボンボンであろうと、彼は男だ。気難しい年頃に入ったし、女の私に守られるなど矜持きょうじが許さないだろう。


「まあ、一緒に入りたくないならそれで良いけど……」


 しかし私が大人だと言うのは、語弊があった。まだまだ親に庇護されていなければ生きられないし、14歳の少女にできることなどたかが知れている。幼い頃は年齢の割にしっかりしていると褒められた私も、いつしか普通の女になってしまった。誰だってこの歳になればしっかりするのだから、もう特別でもなんでもないのだ。


 この頃になると、段々と昔言われた「父に似て生まれていれば」という言葉が効いてきた。可もなく不可もない顔立ちの女よりも、やはり見目の良い女の方が持て囃されるのだ。顔が良いだけで男も女も優しくなるし、いつも大勢の人に囲まれて楽しそうで――。きっと心ない陰口を叩かれることも、馬鹿にされることも少ないのだろう。幼い頃は両親の愛情だけで生きていけたが、世界が広がればそれだけでは満たされなくなってくる。


 唯一私が人から、特に同性から羨ましがられることと言えば、体の発育がいいことぐらいだ。幼い頃から赤ん坊の面倒を見て母性本能を刺激されまくっていたせいか、それとも、甘えん坊で悪戯好きの子供たちに乳腺を刺激されまくっていたせいか。とにかく、14歳の時点で大人顔負けの体つきにまで成長していた。


 ただ、それが自慢だったかと言うと、また複雑なところである。これで顔も美人であれば言うことなしだったのに、体つきだけ立派だと「あとは顔が良ければなあ~」なんて、かえって揶揄されやすい。いっそ体つきまで平凡だったら良かったのだ。

 もしも私が気後れするような美人であれば、跪いて愛を乞うただろうに――同じ年頃や少し上の男たちは、揃って「」と肩を撫でた。


 もちろんやられっぱなしは性に合わないので、張り手なり拳骨ゲンコツなりを食らわせて撃退していた。しかし大変残念なことに、ただ気が強いだけで「中身まで可愛げがない」と、また別の侮辱を浴びせられることになる。

 見た目の優劣がなんだと言うのか、そんなにも偉いものなのか。――とは言え私も街で人気の華やかな芸者や、顔の良い医者などを見るたびに胸を高鳴らせていたので、あまり大きな声では言えないのだ。


「……セラス? どこに行くんだ?」

「どこって、一緒に入るのが嫌だって言うから。ゴードンがお風呂に入っているうちに、ご飯の用意でもしようかと思って」


 母は今も商会の事務員として働いていて、商会長の妻との付き合いも良好なまま続いている。私は夕方になったらゴードンの家に行き、彼の宿題を見るのが日課だった。そうして一緒にお風呂に入って、肩を並べて――とは言え、まだ小さいゴードンは台所をウロウロ歩き回るだけだ――食事の用意をする。食べ終わったら彼を寝かしつけて、自宅に帰るところまでがセットなのだ。


 その「一緒にお風呂」を拒絶されたからには、手持ち無沙汰で居るよりも食事の用意をした方がいい。そう思っての発言だったのに、ゴードンはぶんぶんと顔を横に振った。


「だ、ダメだ! セラスはずっと俺の傍に居ないと!」

「傍って、どこによ。お風呂はダメなんでしょう」

「ええと……脱衣所で待っていてくれたら」

「それって結局、お風呂上りにあなたの裸を見ることになるけど?」

「あ! ――じゃあ廊下だ、廊下で俺が出てくるまで待っててくれ!」

「えぇ~……もう、なんなの? 早くしてよね」


 本当に気難しい年頃だ。甘えたいのに、素直に甘えるのが恥ずかしいのだろうか。私が渋々頷いて廊下にしゃがみ込むと、ゴードンは喜色満面で脱衣所の扉を閉めた。

 ほんの少し前まで「僕」だったのが、いまだに聞き慣れない「俺」になって。喋り方も背伸びしているのか、無理に格好つけていて偉そうになった。今はちんちくりんでも、きっとあっという間に男になるのだろう。


 弟が男に変わったら、平々凡々な私を遠ざけるようになるかも知れない。彼も今に、人の美醜が分かるようになるはずだから。寂しいと想う気持ちを抱いたのは、近く可愛い弟分に捨てられる将来を予見したせいか、それとも世の風潮を憂いたせいか。

 背中でバシャバシャと慌ただしい水音を聞きながら、私はこの歳特有の妙な感傷に浸った。

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