無記名戦旗 - no named warbanner -

重土 浄

第一話

01‐01 「戦争へようこそ」



 現在、我々の世界は2つある。


 現実の世界と、ネットワーク上でそれに重なるように存在している「メタアース」の世界だ。



 どこにでもあるような地方都市「今先市いまさきし


 早朝の通勤列車の中には会社に向かうサラリーマンや学校に行く学生たちで混雑していた。殆どの乗客が自分の携帯画面を眺め、到着までの僅かな時間を潰している。


 列車の進行速度が落ち、停車した。


 顔を上げた乗客たちは窓の外を見ると、そこは駅のホームではなかった。商業ビルの間に列車が止まっているのを確認して、乗客たちは舌打ちした。乗客の舌打ちは波のように後部車両にまで広がっていく。


 またどこかで事故が起こったのか?何分遅れるのか?憂鬱な通勤がさらに憂鬱になる。


 列車内に車掌のアナウンスが流れる。


 「現在、今先市は所属不明集団による攻撃を受けています」


 列車内の乗客たちに戸惑いの波が広がる。アナウンスが続く。


 「当列車は車両ネットワークへの攻撃の可能性があるので停止しました。運行再開は、市全体へのネットワーク攻撃終了後を予定しております」


 乗客の反応は半々だった。


 なんてこったと天を仰ぐ者と、嬉々として喜ぶ者。


 だが、両者共にその後の行動は同じだった。


 各人が自分の耳の裏に付けていた装置を起動する。耳の上から覗いているレンズが小さな光を放つと、装着者の眼前に光の帯が薄っすらと見える。


 「フェイスグラス」


 眼前に投影されるホログラムモニター。


 「うわ、まじで攻めてきてる!」


 通学中の小学生集団が窓にへばりついて空を見上げている。他の乗客たちもそれに習い、列車の窓から市の中心部上空を見上げる。


 そこには空に浮かぶ巨大な空母の姿があった。


 すでに対空防衛が始まっていた。その巨大な空飛ぶ船に向かって対空砲の射線が幾筋も上がっている。映画で見たような戦争の様子が、現実の、自分たちの住む街の上空で始まっていた。


 窓から空を見ていた一人のサラリーマンが、自分の耳についたデバイス「フェイスグラス」の投影レンズを指で塞ぐ。すると戦争の様子は消え、なにもない朝の街の姿になる。指を外すと、戦争が始まっている街の姿に戻る。指で塞ぐとつまらない普通の街の姿に変わる。


 男は死んだ目でそれを繰り返していた。


 


 「防衛ギグソルジャー募集」


 乗客全員のフェイスグラスにその文字が現れた。


 「やった!」「チャンス!」と喜ぶのは若者ばかり、小学生たちも興奮しその場で暴れだした。それより上の中高年は、左右を見回して、どう対処すべきかを図っていた。


 フェイスグラス越しに見る世界では、すでに戦争始まっていた。


 街の上空には撃ち放たれた対空砲の音が狂った体育祭の開催を知らせるかのように鳴り続けている。


 だが侵入してきた強襲揚陸艦「XSSハッキングクラフト」はまったくの無傷で、艦の巨大な影が街の中心部に落としていた。


 その空飛ぶ戦艦から射出される物が見えた。その数はどんどん増え、百本以上の筋が空に広がった。まるで巨大な蜘蛛が街を覆い尽くすための糸を吐いたかのように、その飛行機雲が市のあらゆるところに向かって広がり、落ちていく。


 「敵のギグソルジャーが投下された!防衛しなくちゃ!」


 子供が恐怖半分、喜び半分の声で叫んだ。その声を合図にしたかのように、列車内の殆どの人間が自分の携帯をコントローラー代わりにしてフェイスグラス上のギグソルジャーアプリを起動させる。


 「WAR:KER:GIG」


 アプリ開始前の様々な契約条項を読み飛ばし「同意」を押しまくる。いかなる傭兵契約かは、皆だいたい知っている。今は生存圏の防衛、自分の生活圏を守る戦士が必要な時だ。


 いち早く起動させた男のフェイスグラスの視界が、列車の屋根上に移動する。停車した列車の屋根が瞬時に展開し対空銃座が生まれ、男の視界はその射撃スコープ内に収まった。


 その銃座は上空の獲物を探し左右に回転し、飛んでくる飛翔体が視界に入った瞬間、発砲を開始した。


 その左右に、同じように砲塔が生える。


 次々と砲塔が生え、六両の通勤列車の屋根の上は砲塔でいっぱいになる。天井にスペースを取れなかった砲塔が側面からも生えて、苦しい角度から上空に向かって発砲を開始する。


 完全に戦争時の武装列車の姿となった通勤列車。耳をつんざく爆音を奏でながら空に向かって数千の弾を放ち、空に曳光弾の軌跡が何十と生まれる


 しかしそれも、フェイスグラスを使用していない人間には見えない。仮想現実を重ねがけしていない人間には、ただの臨時停車している通勤列車にしか見えない。この異様な武装列車も、その戦いも、その砲声も、フェイスグラスを付けていない人間には関係がない。


 「あれ、撃ち落としたらいくらかな?5千エント?」


 ギグソルジャーアプリを起動し、携帯で対空砲を撃ち続ける小学生の質問に、隣の二十代のサラリーマンが興奮気味に答える。


 「もっと高いよ!10万エントは確実」


 その答えを聞いて小学生集団は歓喜して撃ち続ける。その額を聞いた中年サラリーマンたちは、涼しい顔を装いながら、必死に照準を定めようとしていた。


 しかし携帯のチープな操作性では、いくら撃っても空中から落下しつつ軌道を操作している飛翔物には当たらなかった。


 ビルから生えている対空砲塔の弾幕もかいくぐられ、逆に飛翔体からの攻撃でビルの砲塔は破壊され、その爆音が列車内にも届いた。


 「あれ・・・やられたらどうなるの?」


 爆音に怯え消沈した小学生の質問に、先程のサラリーマンは答えなかった。


 母船から放たれた大量のギグソルジャー達が対空防御網をかいくぐり次々と地表に降り立つ。そこからが彼らの本番が始まる。地上に降りた兵士たちが手持ちの銃を撃ちまくり、そこから被害を広げてゆく。


 市のいたる所から爆音が響き、爆炎が立ち昇っている。攻撃が本格化しだしたのだ。


 市役所、学校、病院、各種ライフライン施設に敵ギグソルジャーたちが殺到し破壊している。防衛側、この市内にいるギグソルジャー達も応戦に向かうが、突然の奇襲を受けたため戦力が整っていない。数的に圧倒され次々と敗北していく。


 列車内にとどまり動けない乗客たちに打つ手は少ない。降下した敵兵のすべてが地上に降りてしまったため、対空銃座は役に立たなくなった。幾人かが自前のギグソルジャーアプリで臨時雇いの兵士として市内に向かうが戦況は芳しくないようだ。やることのない人たちがネットで情報を探ったが、敵陣営が作ったクリッピングフィールドで外部のネットからこの市内だけ隔離されていて、情報が入らない。市外から助けを呼ぶこともできない。目に入るのは個人発の悲鳴のような書き込みばかりだ。


 突然、止まっていた対空砲が鳴り、何事かと発射した奥の車両をドア越しに覗くと、突然、隣の車両の屋根を突き破って何かが飛び込んできた。


 フェイスグラスの作る映像はリアルそのもので、その音も完全な立体音響だ。その映像と音だけで、車両内の殆どの人間が腰を抜かしてしまった


 「敵のギグソルジャーだ…」


 敵の飛翔体の一つが、この列車内に落ちてきたのだ。


 乗客全員が恐怖している。それはネットワークで繋がった敵の幻。映像も音も作られた存在でしか無い。だが、その破壊力は本物なのだ。


 ゆっくりと立ち上がった敵兵は、モンスターと兵士が描け合わさったかのような巨体だった。その異様な姿もただのアバターでしかないが、その幻影の向こうにはこちらに対して害意を持つ本当の人間がいる。


 頭の高さは穴の空いた天井すれすれ、その高い位置からゆっくりと怯える乗客を見下ろし、なにかに満足したかのように頷いた。


 それはまるで「今から殺すけどいいよね」という了解を取ったかのような人間的な動きだった。


 そしてゆっくりと下腕に埋め込まれた刃物を伸ばした後で、無抵抗な乗客への攻撃を開始した。


 刃物は幻影である。


 ネットワーク内「メタアース」での姿をフェイスグラスで現実と重ねて見ているだけである。


 しかし、その刃物が現実のサラリーマンの胸を貫いた時、メタアース内にある彼の個人情報は破壊された。全てのパスワード情報は書き換えられ、あらゆるサービスが利用不能になる。彼の持っていた仮想通貨の情報も爆裂し、彼の生まれた瞬間から収集された生体データも思い出の画像も、彼の生涯をサポートする予定だったコンシュルジュアプリも死滅させられた。


 敵兵の刃物はウィルスの鋭利な切れ味で彼の持つ携帯のシステムを分断し破砕した。携帯は断末魔の破滅音と共に小さく火花を出し沈黙し、接続されていた彼のフェイスグラスの端末も続けて攻撃を受ける。


 耳裏に装着されたフェイスグラスの立体スピーカーは、切断された首からほとばしる血流の様な音を立て、投影レンズはエラーを起こし真っ赤な光を放ったまま機能停止して死んだ。


 光と音のショックと、自分の半身とも言うべき携帯とその生涯情報を破壊されたショックが合わさり、その男は真っ赤な光と音を出しながら列車の座席に崩れ落ちた。


 敵ギグソルジャーはそのまま、抵抗不能の乗客たち、学生からサラリーマンまで、次々と手にかけていった。列車の端にたどり着くまでに休みなく刃物を振り下ろし、列車の扉を開け、次の車両にその巨体を移した。


 彼の背後には、全乗客の壊れたフェイスグラスから放たれる赤い光に照らされ真っ赤になった車両と、死んだような表情で崩れ落ちた人々が見えた。


 小学生も、若いサラリーマンも、中年の通勤客も、固まったままその敵兵の姿を見ていた。


 低い天井に頭を着けながら敵ギグソルジャーは再び車内の様子を眺めた。小さな獲物の群れ。一山幾らの存在を見下し、自分の財布に入る報酬の額を計算しているかのようだった。


 列車は停止したまま動かない。乗客たちに逃げ場はなかった。


 乗客たちは皆、自分の携帯を胸に抱き、自分の半身「個人情報」を守ろうとしていた。


 しかし無駄なのだ、いくら体やケースで守ろうと敵の刃は現実を切らない。情報の世界「メタアース」の彼らを切るのだから。


 敵兵が一歩進み、一番近い獲物に目を向けた。


 小学生の子供だった。



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