第43話 封書

「ペッシモ様、お手紙です。奥様からでしょうか」

 リカルドは手に持った小包から封書を取りだして、尊大に反り返る中年の騎士に差し出す。太い髭が目立つ、頭頂が禿げ上がった太鼓腹の中年騎士だった。



 食堂の円卓で仲間と飲みながら食事を摂っていた騎士ペッシモは、自分の剛毅さを周囲に誇示しようと、「オォ! ウチのヤツも度々かなわんな。どこかに捨てといてくれんか。全く」と言いつつ手に取り、直ぐに開けて中を改めた。



「ペッシモ様、御自慢の美人の奥様ではないですか。愛されておられますな。いや羨ましい事だ」と周囲の騎士が持て囃す。

「いやいや、そんなことは。しょうがない愚妻ですわ」とやに下がった笑みを浮かべて騎士ペッシモは言った。

 


 大きな木製のテーブル。男どもの酸っぱい匂いが籠った食堂。天井から下がる蝋燭が大量に刺さる燭台。最も上座の壁に大きなロッセリーニ領旗が掲げられている。

 まだ宵の口。騎士団は夕食を始めたところで、ここにいるのは上級の騎士共だった。



「俺のはないのか、配達夫」と早くも半ば赤い顔をしている男が尊大に言った。

「ございます。こちらは酒屋でしょうか」とリカルドはにこやかに笑い、手紙を差し出した。騎士ペッシモが難しい顔をしているのを横目に、食堂を出る。



 なぜ難しい顔をしているのかもわかる。

 手紙の内容は妻からの金策だからだ。リカルドが何故それを知っているかと言えば、ペッシモの妻が柔らかいベッドの上でその手紙をしたためた時、一緒にいたからだ。文字通り同じベッドの中に。



 小一時間程たっぷりと楽しんだ後で、ペッシモ夫人は「待って。新しい服の払いをあの男にさせなきゃ」と言いながらそれを書き、それを騎士団の配達夫であるリカルドに託した。

 


―――全く吐き気がする。

 廊下に出ながらリカルドは、この男所帯の、誰が誰より優越しているかという事が全てであるという価値観で構成されている建物が心底不愉快だと思う。



 だが、ブガーロ親方は良い立ち位置を見つけてくれたとは思う。

 騎士団専任の配達夫。

 駐屯中の騎士団員は街から少し離れたところで暮らす。しかし大半の騎士は市内に家庭を持っているのだ。その間で連絡をするには、伝言か手紙を託すほかない。

 この時代の郵便事情など知れたもので、手紙は紛失することが度々ある。火急の連絡もあるであろう騎士団には、専任の信頼のおける配達夫が必要だという事で、リカルドが送り込まれた。

  


 すでに一ヶ月ほど。

 不愉快を耐えてほとんどを団内で過ごしたが、それなりに良い事もある。

 顔見知りも多く出来、情報や動向を知れる機会が増えた。そして、相手のほとんどはリカルドに注意を払う事はない。

 優雅な生活をしている騎士共の奥方の知己も得ることが出来、更にはペッシモ夫人のような好き者と知り合うという楽しみも見つけることが出来た。

 

 

 おおよその手紙を配り終えると、その中に赤い獅子の紋章を見つけた。アルベルト・ロッセリーニの個人紋章だった。

 このひと月、リカルドはアルベルトの姿をほとんど見ない。稀に屋外にでるところで姿を見た事があるがそれだけだ。遠目にやけに背の高い男だなと思った。

 


 アルベルトの部屋は建物の上階にある。

 もちろん直接渡せることもなく、側役という者たちがいるので、彼らに手紙を託すことになる。しかしその側役も二間離れたところに追いやられている。



 軋む階段を駆け上がり廊下を行くと、奥の奥にあるアルベルトの部屋よりもだいぶ手前に、あまり感情を感じさせない気味の悪い男が棒立ちに立っていた。

 黒い髪を後ろにぴったりと撫でつけて、白い短いチュニックを着ている。タイツも白。死体みたいに見える。

 手紙を差し出すと、黙って受け取って「失せろ」と首を振った。

「……尊い方はいらっしゃるので?」とリカルドは聞いてみる。

「お前には関係のない事だ」

 手紙を受け取った男は抑揚のない言葉で答えた。

 


 ふと窓の外を見る。

 ―――おいおい。

 大きなフードのついたコートを被った男が、ちょうど階下につながる階段を降りているのが見えた。この建物はアルベルトがいると思われている部屋がドン詰まりになっているのかと思っていたが、階下に降りる階段があるようだ。

 そして、あの背の高さ。

 ―――本人じゃないのか。



 踵を返して、階段を下る。

 思いついて騎士団の厨房まで走る。近くまで来たところで、ゆったりとした歩みに変えて、何でもないような顔をして、厨房に足を踏み入れる。顔見知りに挨拶をしながら見渡すと目指す女が厨房の隅にしゃがみこんでいるのが見えた。

 

 

 手伝いの賄い婦の振りをしているが、ブガーロ親方の手の者だ。

 リカルドは、右手の人差し指と中指を立てて、自分の左目の目元を三回叩いた。

 それを見た女は剥いていたジャガイモを籠に残したまま、すぐに立ち上がって厨房を出て行く。

 


 これでブガーロ親方にアルベルトが外出すると伝わるはずだった。

 リカルドも追うように厨房を出て、小走りに建物のの裏手に回る。馬に乗られると厄介だがやりようはある。

 そう思いながら背の高いフードを探す。

 驚いたことに一人だ。

 フラフラと門から出て行こうとしている。

 


 何かこちらも羽織るものが欲しいと思ったが、急な事で何もない。しかし丁度良い事に夕闇が迫り来ている。上手くやれば姿を見られることはないかもしれない。

 伝令が伝わって上手く仲間と合流出来れば、二人で交互に見張ることが出来る。本来はそうするべきシチュエーションだ。

 


 土が剥き出しになっている道から、石で舗装された通りに差し掛かる。

 この市の王子ともいえる人間が、供連れもなく一人で歩いているのは異様としか言いようがない。

 リカルドは不意に薄気味悪さを自覚する。

 ビザンツを出て以来、おかしな事や物を死ぬほど見てきたと自負しているが、自分が今追いかけているのは一体何だろう。


 

 フードの男は町はずれの廃棄された建物が寄り集まっている一角に差し掛かっている。砂色のフードのせいかだんだんと見えづらくなる。

 盗賊の目を持つリカルドでも見失いそうな、濃い闇が迫っていた。

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