第31話 軽業

 天幕から出ると、強い日差しにに目が眩んだ。

 まだまだ昼日中で太陽が高く輝いている。青空も広がり今日はいい天気の様だった。隣を見るとアニータは憮然としている。

 二人連れ立って出た途端に、お馴染みのブガーロ・ダッビラの顔があったからだった。

「まぁ……途中で気が付いたけど。仕事だったという訳ね」とアニータ言う。

「そんな顔をするな。悪かったよ」とブガーロ親方が何故か済まなそうに答えた。


 ブガーロ親方が付いてこいと目くばせをして、テントの裏手に歩いて行く。

「付いてこないとおいていくわよ」とアニータが言う。

「なんで機嫌悪いのさ。さっきまで喜んでいたのに」

 アニータは柳眉を逆立てて「喜んでいないッ」と言って口元を曲げた。どうやら面白くないらしい。

 

 天幕裏は予想通り楽屋になっていた。

 極端に短躯の男や逆に大女がいる。手足が揃わない物もいた。麻袋を被り顔を隠している者もいるが、皆穏やかな日差しの中で寛いでいた。

 出番待ちの芸人がジャグリングの練習をしているのが見える。そしてその先に手を取られて男に膝を付かれているアニータの姿があった。男の方はさっきまで軽業を披露していた男だとすぐにわかった。


「リカルドと言います」と男がにこやかに笑いながら右手を指し出してきた。

 色男だとジーノは思った。マリンブルーの上着、黒いショースで足を覆っている。ピンクの肌、ゆるくウェーブのかかった黒髪が垂れた目元に掛っている。にこやかに微笑みを浮かべる下唇の右に小さな黒子があった。

「……ジーノ・ロッセリーニです」と答えて、手を軽く握り返した。


「最低男のリカルド。ジーノ油断しな方がいいわよ。この男は女であればすぐに口説きにかかり、孕ませた後で捨てるの。界隈では有名な男よ」

 アニータは腕を組んで目を半眼にしていった。

「嫌だなぁ。噂ですよ、噂。僕は女性のモテるのでやっかみが多くて。実はね。僕は何年も前からアニータ・ダッビラに求婚中です。何度も何度もすべてを捧げると誓っているのですが、アニータは恥ずかしがりでなかなか頷いてくれないのです」


 リカルドと紹介をされた男は、にこやかな顔を崩さずに言う。 

 表情というよりは、こういう造りの顔なのだと気が付いた。素で笑っているように見える顔なのだ。

「あんた、今度そんな事言ったらマジ殺すから」

 アニータがリカルドに言い放つ。明らかに殺意が籠っていた。

「そもそもよ」と腰に手を当ててアニータは続ける。

「パパはこのバカがいる事を知っていて、私に半券を渡したって事でいいかしら。そうだったら、もう話してあげないんだから」


 ブガーロ親方は困ったように、

「お前、私はちゃんと言った筈だよ。ジーノ様とリカルドを引き合わせるから、軽業を見に来なさいと。お前はチケットを奪うなり飛んで行ってしまったじゃないか」と答える。


「ジーノ様、この男リカルドをご紹介いたします。元々は東のビザンツ帝国の方より来たのですが、なかなかの男でして。ご覧いただいた通り身の軽さは随一です」

 紹介されたリカルドという男は二、三歩下がって、軽く宙返りをして見せる。

「ジーノ・ロッセリーニ様。どうぞよろしくご愛顧をお願いします。リカルドと申します。ブラーロ親方にお世話になりまして、もう四年程になります。つい先ほどまでローマで仕事をしておりましたが、この度親方の元に戻って参りました」


 ―――というと、とジーノは親方に目をやり言った。

「つまり、この方も」

「えぇ、盗賊の一人になります。ヴェネツィアで一本で、あぁつまり後ろ盾無しという事ですが、仕事をしていたのですが、我らが捉えまして。そう悪い筋の男でもなかったので、ギルドに入れて仕事をしてもらっているのです」

「仕事というと」

「密偵仕事ですな。ローマもその手の仕事でした。この男は身の軽さ、人当たりの良さに加えて、変装が得意でして、この手の仕事に向いていたのです。読み書きも習熟しているので、様々なところに入り込ませることができます」


 ジーノは改めてリカルドを見て、なるほどと思う。

 中肉中背で、笑顔が特徴的だと思ったが、逆にそれ以外の印象が驚くほどない。見ようによっては農夫にも見えるし、服装によっては商人にも装えるだろうと思った。

「元々はお傍にはリカルドもお付けしようと思っていたのですが、娘が自分だけで充分だと言い張るもので……」

「当たり前でしょう。こんな男を城に入れてごらんなさいよ。侍女にすぐ手を付けて何もかもご破算になるに決まっているんだから」とアニータが言う。

「酷いなぁアニータ。そんなことはしない。君一筋だよ。こんなに何度も求愛をしているのにどうして同意してくれないんだ。君を幸せにするのは僕しかいない。君も分かっているんだろうに」とリカルドが、真顔で言う。

 

 こんな言葉を真顔で言える人種を、ジーノは始めて見た。

 アニータは顔を歪めて、ジーノの後ろに隠れる。

「あんた、本当に最低ね。私が知っているだけで、子連れであんたを探しに来た女が三人いるのよ。ギリシア、ビザンツ、そしてヴェネツィア。良くもまぁそんな。あたしの事、四人目にする気なの」

「ジーノ様、可愛いアニータは勘違いをしているのです。全て理由が有ることなので、どうかご理解を」とリカルドは言った。


 困り果ててジーノは親方を見ると、ブガーロ親方は「わざわざジーノ様にこの男を紹介したのには、訳がございましてと言った。

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