第11話 悪霊

 ディスピアチェーレの森は、ロッセリーニ市城郭を出て馬車で小一時間出れば着く、市民にとってもなじみの深い森だ。樫や欅が多く育ち、鹿やウサギが多く育つ森として知られている。


 “伯の秋の狩り”は、ロッセリーニ市にとっては一種の年間行事の一つになっている。本来は収穫祭の事前準備として、祭りに必要な獲物や秋の収穫物を集めに行くために、ロッセリーニ伯自身が森に入り、その随行として多くの市民も一緒に森に分け入った事が始まりだった。秋の収穫祭はこの狩りを開始として10日程続き、市民は日ごろの厳しい日常の慰めとする。

 

 今回長兄アルベルトが命じられたのは、つまりは、その“伯の秋の狩り”の事前視察だった。伯自身が出向くためには、たくさんの確認事項が必要になる。お付きや其れぞれが騎乗する馬。宿泊するテント。野営の準備。そしてそれらを陣取れる場所。更には、不用意な道の崩落や危険がないかのチェック。

 本来は手透きな騎士に任せていたが、アルベルト自身が狩り好きであるため、自らその視察に赴きつつ、狩りを楽しみたいという趣向になったわけだった。


 ジーノ自身も、それこそ子供の頃はこの森で一日を過ごしたこともある思い出深いところだった。近所の子供を引き連れて、森の中でキノコやウサギを採り、家に帰って小さな鍋をしたものだった。

 今はそんなノスタルジーに浸ることもできず、ジーノは苦虫をつぶしたような顔で、丸太に腰を掛けて小さな焚火を囲っていた。具体的に言えば、荷物番をしていた。

 

 アルベルトとピッポの兄弟は、野営地に着くや否や取り巻きを連れて狩りに出ている。従者を含めれば15人ほどの大所帯になっていた。それぞれ小さなテントを持ち込んで、狩り道具や鍋と言った道具類を持ち込んでいる。色とりどりのテントに旗まで立てて飾り立てている。


ジーノは一人でほとんど何も持たずに、小さな馬を借りて一番後ろからついていき、一番最後にキャンプに入り、そしてやる気もなさそうに荷物番を買って出た。アルベルトとピッポはひとしきり貧相な馬と、そのやる気の無さをからかった後で、そそくさと森の中に入っていった。


 狩りになんて来るよりは街で遊んでいた方がよっぽどましなのだが、父親にあぁ言われてはしょうがない。


 問題はひとしきり騒ぎが終わり、退屈し始めたあたりが危ない。

 大抵は最初はからかい混じりに石などぶつけてくるが、その内に犬をけしかけられる。去年は最後に矢を射かけられた。笑い事ではなくもう少しで死ぬところだったのだ。

 

 顔を覆って小さな煙を立てる熾火を眺めて、どうすれば無事に自分の部屋まで帰れるか考える。森の中というのがどう考えても、不利なシチュエーションだった。今も昔も森の奥まで行けば人気が無くなり、そこは法も規則も及ばない所となる。評判のいいこの森であってさえ、行方不明者は毎年必ずあるのだ。


「どうしたものか…」

 呟きながら火を眺めているとだんだんと眠気が押し寄せてくる。厚手の長いマントを用意しておいてよかったと思った。毛布にくるまっているようなもので、ぽかぽかを温まる。初秋の森など夜になってしまえば、凍えるほど寒くなるに違いない。

だんだんとウトウトとしてくると、意識がぐらりと揺らいだ。首がガクリと落ちた所で、目を開けるとお馴染みの顔があった。


 落下防止の手すりに背中を持たせかかるようにして、ルイスさんが本を読んでいる。目覚めた自分も手すりにつかまっている所で目覚めた。


「ふふっ。佐藤素一。今度は死にかけてはいないようですね? 先ほど小窓で確認をして置きました。今のあなたは小さな焚火を眺めて、自失している所でした。今回は少し時間があるようですよ」


 ルイスが目で小さな窓を見たので、寄ってカーテンの隙間から見てみる。ジーノ・ロッセリーニが頬に手を当てて、何も考えたいないかのように炎を見ているのが見えた。


「死んでない!」

 少なくとも死にそうな目にあっていない! 感動的だった。

「全くです」

「実はルイスさんが俺のことを殺そうとしているのだと思っていました」

「そんな失礼な」

「いや、だって会うたびに死にかけているのっておかしくないです?」

ルイスは軽く頷いて「今回はその謎が解けそうに思えましたよ」と言った。


「つまりですね」とルイスさんは白い腕を組みながら言った。

「ジーノ・ロッセリーニが、意識を失っているとき、ジーノとしての自意識と言ってもいいのですが、それが失われているとき、佐藤素一としての意識がこの図書館に浮かび上がってくるようです。あの状態は瞑想に近い状態だと思うのですが、限りなく意識を無に持っていくことと引き換えに、あなたがここに現れるという事でしょうか」


 今一つ本当らしく聞こえない。

「さっぱり論理的とも思えないですど」

「論理的であることが全てではありませんよ。そもそも今起きていることは論理の話では考えられないじゃないですか」

「そりゃそうですけど…」

 不思議だ。自分が死んでいるというのも不思議だが、この不思議図書館で、この不思議人物と普通に話している自分がおかしくてしょうがない。


「とにかく、どうすればあなたはここに来られるかが、少しわかったわけです。何時も死にかける必要はないという事はないという事ですよ。ジーノとしての意識を手放せば、ここには来れる。どういう関係なんでしょうね。やっぱり意識だけになっている佐藤素一が、ジーノ・ロッセリーニに憑りついている…」

「いや、止めてください。人を悪霊みたいに」


 でも、この状態はどうなんだろうと。佐藤素一は思う。悪霊といっても過言ではないような気がしてきた。自分は何の意識もせずに中世に暮らしていた人物に憑りついた悪霊ではないと、いったい誰が証明できるというのか。


「佐藤素一。今のうちにちょっと対策をしておいた方が良いのでは? あなた、と言ってもジーノ・ロッセリーニの方ですが、たぶん今あまり良い状況になかったと思うのですが」

 ルイスは少し眉を顰めて言う。

「随分詳しいじゃないですか」

 そう言うと、ルイスさんは申し訳なさそうに、「いや、ここ数年で最も面白い珍事なものですから、あなたの動向から目が離せなくて…。申し訳ないですが、注目しているのです」と、苦笑しながら言った。

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