第2話 バベルの図書館

 また、おかしな所にいる。真っ白な床と壁。一瞬病院かと勘違いしそうになる。

 二重人格っていうのか。でも両方とも記憶があるってあまりないような。そんな事を想っていたが、目の前に広がる光景をみて、あぁこれも夢なのかなと思った。


 六角形の真っ白な筒のような部屋の中に気が付くと立っていた。壁は天井まである書架になっていて、そこにびっしりと本が詰まっている。


 眩暈がしてすぐ右手にある本棚に思わず手をついて体を支えた。左手の方には背の低い手すりがあって、そこから上の階と下の階が見えるが、どこまで続いているか先は見えない。つまり恐ろしく長い六角柱の円筒の中に居るように思えた。


 その無限に続く六角柱は輪切りの形で部屋に分かれて、その部屋の壁は本棚で埋まっていた。その部屋を白い服を着た美男美女が本を手に、優雅に足を運んでいた。


 おかしなことで、金髪も黒髪も赤毛もいるが、皆びっくりするような美形だ。そして長身で非現実めいて美しい男女が、手に書物を抱えながら出入りしている。


「ハハッ」


 口元から笑いが漏れた。あぁ気が狂ったのか。何が災いしたのか何ともわからないけど、中世で目が覚めたと思ったら、おかしな幻覚を見ているのかな。なんでだろ。

 

 あともう少しで正気と狂気の境界を踏み越えそうだった所で、丁度目の前で本を読んでいた、これまた美形が、目を上げて微笑みを浮かべた。


 白いワンピースのような裾の長い服を着て、長い黒髪をすべて後ろに流している。

 余りに整っていて逆に特徴のない顔をしているが、強いて言えば、目が常に笑っているような糸目が特徴と言えた。ただ肩幅が広く手が大きい。明らかに男だった。


「これはこれは珍しいお客さんだ。バベルの図書館にようこそ。でも生者ではないですね」

 

そう言いながら糸目は壁に備え付けられている書籍を又一つ抜いて、開いた。

「ふむ。佐藤素一ですね。これはようこそ。私、ルイスと申します。余り生者が来ることのないところなので、うっかりしていました。許されませ」


 ルイスと名乗ったイケメンは、まったく言いよどむこともなく言った。

 何か答えようと思ったが、上手く言葉に成らない。

「佐藤、佐藤素一でいいのか。そうか! じゃあジーノじゃなくていいんだな。良かった。じゃあこの記憶は一体。あれ? 狂ったの? 生者はって事は、死んだの俺?」


「安心なさいませ。佐藤素一。あぁいや、あまり安心できませんね。これを見てもらってでしょうか?」

 取り出した本をしまうと、ルイスは俺を本棚の隙間にある窓に案内をした。


 窓の外を見ろと促されたので、何が見えるかと思ったら、この建物の外が見えるわけではなかった。

 見えるのは、吐瀉物に顔を突っ込んで昏倒しているジーノ・ロッセリーニだった。可哀そうに金髪が汚物に塗れて、更に気道が詰まったのか、体がビクンビクンとしている。


 また混乱する。あれは俺なのか。いや僕? ただ、何となく息苦しくなってきたような。


「まだ、時間的には問題ないようですが、息が出来ねば生者は生者と言いますまい。戻られた方が宜しいでしょう。佐藤素一はどうやら入館書を持っているようですから、またまみえる事もあるやもしれません。」


 何言ってんだ。そう言おうとしたらルイスはきれいな人差し指で俺の額を軽く付いた。そのとたんに目の前が暗転した。


 なんだ。またかよ! 大声を出したつもりだったが、喉の奥から塊のようなものを盛大に吐き出し、漸く目を開けることができた。


 目を開くとあからさまに身を引いている大男二人が目に入った。周りを見ると、石造りの酒場の姿。壁の蝋燭の灯り、暗がりに潜むフードを付けた怪しい客。あぁ名前もわかる。ここは『鳶影トビカゲ亭』だ。テーブルの上にあるコップを掴んで一気飲みする。反吐塗れだが、漸く少しはっきりした。


 俺は、佐藤素一。平和な日本の大学生だった男。おかしなことだが、今は地方領主を父に持つジーノ・ロッセリーニでもある。それは完全に二つは混ざらないまま、自分の中で一つのものとなっていた。


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