第24話 モーゼ

 セティ王には二人の王子がいた。一人はラムセスで、もう一人はモーゼという名の王子だった。モーゼは社交的な兄ラムセスとは違って、繊細で思索にふけることが多く、読書と瞑想を好んだ。

 その彼が最近珍しくそわそわしている。アテン教徒が、エジプト各地に祭られている神々の像やレリーフを破壊したり、アメン教徒の家を襲ったりする無差別テロが多発していたからだ。

「アテン信仰とはどういったものですか」

 王様もお后様も、家臣の誰一人として答えようとはしなかった。

「アテン神もエジプトの神々の一柱ではないですか? なぜアテン教徒とアメン教徒は憎しみ合うのですか?」

 モーゼの疑問は尽きない。

「彼らはアテン神を唯一神とする狂信的な集団だ。決してかかわるでない」

 王様はそう釘をさして自分の部屋に戻った。

「唯一神」

 モーゼはその言葉が耳に木霊して消えなかった。

 ある晩モーゼが思索に耽っていると頭の中で声がした。

「アマルナへ行け」

「廃墟となった都になにがあるのでしょうか?」

「行けばわかる」

「あなた様は」

「……」

 神は名のってくれなかった。ただそれだけを言い残して声は消えた。

 翌日さっそくモーゼはアマルナの廃都に旅立った。誰にも相談せず、誰一人として従わせず、たった一人で旅立った。

 アルウとの悲劇的な再会と別れをしたティアは、アマルナに帰って来ると、ますます心の拠り所をアテン信仰に見いだしていた。それに伴い彼女の周囲には狂信的なアテン信徒が集まるようになり、彼女もまた好んでそういう過激な信徒を周囲においた。

 だが、アクナテン王以来、四代にわたってアクナテンの血族に仕え、熱心なアテン信者でもあるラモーゼ一族は、信仰のためなら手段を選ばず、一般市民にもテロを繰り返すティアの取り巻きを嫌悪した。

「ティア様、なぜあの者達を傍に置くのですか。彼らはただのテロリスト。真にアテン神を信仰しているとは思えません」

 だがラモーゼの諫言も虚しく、

「彼らは熱心なアテン信者。テロリストではありません」

 とティアはまったく聞く耳を持たなかった。

 さらにラモーゼを中心とする古参の家臣団を苦しめたのは、アテン過激派グループの最高指導者ルカウの台頭だった。ルカウは黒魔術を操り邪魔者を全て排除してきた隠れセト信者だった。

 ラモーゼは悩み苦しんだ。熱心なアテン信者の振りをしているが、ルカウの野望は明らかだ。奴はアテン革命で王朝を滅ぼそうとしている。しかも名目上の女王としてティア様を据え、自らはアテン教最高指導者として君臨し実権を握るつもりなのだ。

 我々古参の家臣団はルカウの血の革命などには協力できない。かといってアテン教団の実権はルカウ過激派グループの手中に。ティア様がルカウグループに取り込まれている限り我々は行動を共にせねばならない。このままではティア様は、冷酷なテロリストという汚名を着せられてしまう。

 だが、ラモーゼの苦悩もむなしく、ルカウ・グループに取り込まれたティアは、ルカウから完全にマインドコントロールされてしまっていた。

 そんなある日のこと、ティアは廃墟と化したアマルナの宮殿跡に不審な人影を見つけた。

「そこでなにをしているのですか」

 ティアは廃墟にたたずむほっそりして優しそうな青年に声をかけた。

「わたしにもわかりません」

 青年は微笑んだ。

「からかうのですか」

 ティアがムッとすると、

「神に導かれたのです」

 青年は正直に答えた。

「神に?」

「はい」

「あなたの神の名は?」

「それが教えてはくれませんでした」

「名は?」

「モーゼです」

「モーゼ」

「あなたは?」

「ティアです」

 青年は名前を聞いて驚いた。

「まさか君がアテン過激派の頭だなんて」

「あたしたちは過激派ではないわ。唯一神アテンを信仰する平和の義勇軍です」

「平和の義勇軍がどうして民家に火をかけたり、一般市民をアメン教徒との争いに巻き込んだりするのですか?」

「あの人間達は一般市民の仮面をしたアメン過激派分子だからです」

「だから一般市民じゃないっていうのか」

「そうです」

「ならば一般市民でなければ人を殺してもいいのか?」

「大義のためなら」

「大義、君たちの大義とは?」

「唯一神アテンによる世界の統一です」

「アテン信仰とは一神教なのか」

「その通りです」

「大義とはいえ、なぜエジプトの神々の像やレリーフまで破壊する?」

「偶像はまやかしの神。真の神アテンに偶像はありません」

「偶像はまやかし」

「アテン神のみが真の神ということです」

 モーゼはアマルナに呼ばれた意味を悟った。

 そうなのだ。エジプト宗教界の堕落、腐敗の原因は、神官らが私腹を肥やすために神託や偶像を口実に、王家や市民から財産を巻き上げているからだ。

 確かにアテン信徒らのやりかたは間違っているが、この娘の言葉の中にも真理はある。

 モーゼが気がつくと彼の周りには沢山の子供達がいた。

「この子達は?」

「狂信的なアメン教徒から親兄弟を殺された遺児です」

「アメン教徒がそんなことを」

「あいつらこそテロリスト」

 ティアたちはアメン教徒の犠牲になった子供達をこのアマルナの宮殿跡で保護する活動もしていた。

「いかなる理由があろうとも人を殺してはいけない」

 そう言ってモーゼは目を瞑り神に祈った。

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