第13話 王女の初恋

 アビドスに来て瞬く間に天才職人とまで言われ、職人としての名声を欲しいままにしたアルウは、今やアビドスの職人社会で時の人となった。

 アルウのオシリス像や他のどの石像も、繊細かつ斬新に制作されていた。その秘密はエジプトの伝統的な技法に加えて、密かにアマルナ美術からヒントを得た独創的な技法をアレンジして編み出した彼の独創的な技にあった。

 像の全身には特殊な調合によって作られた鮮やかで深みのある色彩が施され、独特な技法によって彫られ色づけられた瞳は神秘的な輝きを放った。顔全体は特殊な工法で研磨されていたので、鼻や唇は優美さと気品に満ち溢れていた。体の肉体表現は、力強い線とソフトな線との絶妙なコンビネーションで凹凸と弾力を表現したので、いまにも手や足が動き出し心臓の鼓動さえ聞こえてくるようだった。

 アルウが描く神々のレリーフは、繊細で優美な描写にもかかわらず斬新な色彩で大胆に描いたので、見る人の魂を揺さぶり恍惚とさせたのだ。

 アビドスの職人達の誰もがアルウの才能に驚嘆し、神の手を持つ若者と褒め称え、畏敬の念を持った。そして彼を伝説の巨匠イルティセンを凌ぐ天才だと称えるのだった。

 アルウは若いながらも王族や大神官から絶大なる信頼を受け、次期アビドスの職人長はアルウが異例の抜擢をされるのではないかと早くも囁かれはじめた。

 やむ終えない理由からとはいえ、子供の頃に貧困から盗みをして泥棒の汚名を被ったことは、その罪は赦されたが、アルウの心に深い傷跡を残し暗黒の闇をつくっていた。ところがいま、アルウの汚名が返上され名誉を回復すると、彼の心に光が差し込んだ。長く辛かった暗黒のトンネルからようやく抜け出し、アルウの心に光が満ち溢れた。

「ティアに結婚を申し込もう!」

 アルウは親方から一時帰宅の許可が降りたら、すぐにティアに求婚しようと思った。そしてアビドスに連れてきて一緒に暮らそうと思い心は躍った。

 そんな矢先、アルウの工房に急な客人が訪れた。年は十三か十四歳ぐらいの少女だが身なりから明らかに高貴な家柄の娘だった。

「お邪魔していいかしら」 

「どうぞご自由に」

 あまり気にもとめず、アルウは素っ気ない返事をして、テキパキと弟子達に様々な指示を出した。

 少女はアルウの態度など気にもならないようで、ノミや金槌やノコギリなど、様々な音で騒々しい工房の中を楽しそうに見学して回った。

 数分後、少女は再びアルウが制作している作業場に戻ってくると、

「オシレイオンに納めるオシリスを見たいわ」

 澄んだ瞳を輝かせながらリクエストした。

 どうやら少女の目的はオシリスの像のようだ。

 アルウは相変わらず少女には目もくれないで、

「オシリスは一番奥のアトリエで制作中だよ」

 と素っ気なく返事して、黙々とオシリスのレリーフの下絵を描き続けた。

 そんなアルウの態度にもかかわらず少女はとても嬉しそうに、

「ありがとう」

 とひとこと礼を言うと、弾むように奥のアトリエに駆けていった。

 それからアルウは少女のことなどすっかり忘れて制作を続けた。そして自分の制作のかたわら、時々、指示を仰ぎにやって来る弟子達に様々なアドバイスを出しているうちに、少女が来て小一時間が経っているのに気がついた。

「そういえば、さっきの女の子……」

 気になったアルウは制作の手を止め、絵筆や刷毛を作業台の上に置くと、制作中のオシリスがあるアトリエの中を覗きに行った。すると、もうとっくに帰ったとばかり思っていた少女が、玉座に腰掛けたオシリスの前に跪き祈りを捧げているではないか。

「きみ!」

 急にアルウから声をかけられた娘は、祈りから我に返ると振り返り、ゆっくり立ち上がった。

「あれからずっとここで祈っていたの?」

「オシリスと話をしていたのよ」

「オシリスはなんと?」

「それは秘密よ」

 少女は微笑んだ。

「これは失礼しました」

 少女のお茶目な返事にアルウは笑った。

「もう完成しているように見えるけど、どこが未完成なの?」

 少女はオシリスに向きなおり、玉座に腰掛けていても四メートルはありそうな大きな石像を見上げた。

「実は完成しているんだ」

 アルウは少女の隣に並んで立ち一緒にオシリスを見上げた。

「え、じゃ、どうしてオシレイオンに納めないの? あたしはいつになったら拝めるのか待ち遠しくて、わざわざテーベから訪ねてきたのよ」

「オシリスから許可が出るのを待っているんだ」

「許可?」

「うん」

 そう言ったきりアルウが黙ってオシリスを見上げるので、少女も同じようにオシリスを見上げた。

「オシリスから許可は下りた?」

 少女がアルウの横顔を見つめながら問いかけると、アルウは黙って首を左右に振り、

「まだ駄目だって」

 そう言ってオシリスを見つめ続けた。

 すると少女は、

「あたしには何も聞こえないわ。どうしてあなたにだけオシリスの言葉が聞こえるの?」

 と少しムキになって訊いてきた。

「感じるんだ」

 アルウは真剣な眼差しで少女の黒い瞳を見た。

「感じる……」

 少女はきょとんとしてアルウを見上げた。

「神様と話したい時は、まず心を感じることだよ。無心になってね」

「無心って何も考えるなってことよね?」

「まぁそんなとこだね」

「無心になれば神様の言葉が聞こえてくるの?」

「そうだよ。だから聞き取ろうと思わずに、ただ、感じるんだ。ほら、さっき君が真剣に祈っていたように」

 アルウの話を理解したのか不明だが、少女は腕を組みし、オシリスを見上げながら暫く考え込んだ。それからなにかしら感じるものがあったのか、真顔で〝うん〟と頷いた。

 少女は改めてアルウにむきなおり、

「あなたの言うとおり、オシリスは駄目って言ってるわ」

 そう言ってアルウを驚かせた。

「おお、きみ凄いな」

「あたしも案外やるでしょう」

 少女が腰に手をあてると、

「やるねー」

 アルウは腕組みして大げさに感心して見せた。

「ほんとはね、言葉なんて聞こえないんだけど、でもあなたから言われたとうり感じようとしてみたら、言葉では言い表せない何かを感じたの」

「それでいいんだ」

「ほんとに」

「ほんとさ。そうして心を開いていると、いつか必ずオシリスの言葉を受け止めることが出来るようになるよ」

「ほんと! あたしがんばるわ」

「がんばらなくてもいいんだ、自然のままでいることが大切なんだ」

「はい!」

「うん、よくできました」

「失礼よ。子供扱いしないで!」

「あ、これは失敬」

「あたしはレディーなんだから」

「畏まりました。お姫様」

「いいわ。赦してあげる」

 少女は目を輝かせてアルウに微笑むと、顔を見合った二人は楽しそうに笑った。

 二人がふたたびオシリスを見上げていると、

「それにしてもこんなに大きな石をどうやってこの部屋に持ち込んだの?」

 少女は出入り口の方をみては、その扉より遙かに大きな巨石が目の前にあることが信じられないようだった。

「実は、このオシリスは十四個のパーツで組み立てられているんだ」

「弟のセトに殺され、14個に切断されたからね」

「その通り」

「あ、でもまったく繋ぎ目がないわ」

「それはね、オシリスから教えてもらった方法で、巨大な一塊の大理石を切断したからなんだ」

「オシリスはどういう切り方を教えてくれたの?」

「それは秘密さ」

「もう意地悪!」

「だってオシリスから、他の誰にも教えちゃ駄目だって口止めされているから」

「じゃ、無理ね」

 案外物わかりの良い少女だ。

「だから、このオシリス像のどの部分の切断面も完全に一致しているから、石の細かな粒子のズレもないんだ」

「粒子?」

「うん。ほら」

 と言ってアルウは手のひらに収まるぐらいの大理石の塊を二個ほど少女の目の前に差し出した。

「この二つの大理石、同じ材質だけど石の柄もその方向も違うから、あきらかに違う石だってわかるだろう」

「うん、そうだね」

「ところが」

 今度はさっきの石と同じぐらい大きい、一塊の大理石を取って少女に見せた。

「この一塊の大理石にこうして線を引いてハンマーで軽く叩くと」

 コツンという小さな音をたてて大理石は引いた線の通りに二つに割れた。

「わぁ!」

 少女はまるでマジックでも見せられたように目を丸くした。

「今度は、この二つの石を合わせると」

「凄い! 初めの一塊の大理石に戻ったわ」

「石切場で大きな一塊の大理石を切り出して、こうして十四個のパーツに切断したあと、この工房に持ち込んで、オシリスの姿に彫って完成させたんだよ」

「だからこのオシリス像は、まるで一塊の石から出来たように見えるわけね」

「そうさ。異なる石を組み合わせて作る方が簡単で早く出来るんだけど、それじゃ本物のオシリスの復活とはいえない。十四個に切り刻まれる前のオシリスは、この一塊の大理石のように完璧な姿だったはず」

 アルウが話し終えると、二人はあらためてオシリス像を仰ぎ見た。

 それからアルウがオシリス像の背中側に向かって歩きだすと、慌てて少女も後を追った。

 二人は歩きながら玉座に腰掛けたオシリスの腰から足元にかけてのラインや、今にも立ち上がって言葉を発しそうなほどリアルな横顔を見つめた。次に二人がオシリスの背中側に回り込むと、オシリスが頭に被っているアテフ冠と呼ばれる白い冠の一番高いところが見えてきた。

「アテフ冠の先端に太陽の円盤が無いわ」

 少女はそう言ってのぞき込もうと爪先立ちした。

「どうして光の線が沢山伸びた太陽円盤で飾らないの?」

「それはね、あの丸い球体で太陽そのものを表現したからだよ」

 たしかによく見ると、アテフ冠の先端にはピカピカに研磨された球体の大理石がのっていて、それだけで太陽のようにも見えた。

「斬新だわ」

 まだ幼さが残る少女の口元から思いがけない言葉が発せられたので、

「ぷっ、どこでそんな言葉覚えたの?」

 アルウは堪えきれなくなって笑い出した。

「レディを笑うなんて失敬よ!」

 ほっぺたを膨らませてむくれる小さな麗人に、

「あ、ごめん。いや、お姫様、失礼しました」

 アルウは笑いながら謝った。

「いいわ。あなたがアルウだから今回も赦してあげる」

 小さな麗人はすぐに笑顔になり二人は微笑んだ。

 それから二人は石像の正面に戻ってきて、改めてオシリスと向き合い、新緑の芽のように優しく明るい緑色で彩色された肌の色や、精巧に作られた色鮮やかなアテフ冠の羽、右手に握ったヘカト、左手のフラジェルムといった杖など細部に至るまで眺めた。

「はやくオシリスから許可が下りるといいわね」

「そうだね」

 二人はオシリスの前で並んで跪き祈りを捧げた。

 アトリエから出てきた二人は、工房の玄関のところまでくると、

「また見学させてね」

 そう言って少女は見送るアルウの手を取った。

「うん。いつでもどうぞ」

 アルウも少女の手を握りかえし二人は握手した。

「嬉しいわ」

 少女は大喜びし、アルウに見送られながら工房の玄関から外に出たのだが、二、三歩、歩いたかと思うと、急に立ち止まって振り返り、

「あたしはネフェルタリ」

 笑顔で手を振りながら自分の名を告げ、従者が待つ馬車に乗り込んだ。

「ネフェルタリ、まさか、王女様」

 アルウがそうと気づいた時にはネフェルタリの姿はそこになく、彼女を乗せた馬車は砂埃を舞いあげて走り去った後だった。

「王女様がわざわざどうしてわたしの工房にまで来たんだろう……」

 ネフェルタリのことが気になりながらも、アルウはすぐに仕事場に戻った。工房ではハンマーで石を砕く音や、ノミで硬い木を抉る音、職人達のかけ声など、様々な音が飛び交い、喧噪の中で彼は再び仕事に没頭した。

 アルウの工房を出たネフェルタリはなぜか、アルウのことを思い出すと胸が時めいた。

 アルウの笑顔、声、真剣な眼差し、オシリスを見上げる横顔、彼の何もかもが心地良く胸に響いた。

「どうしてこんなに心臓がドキドキするのかしら」

 ネフェルタリの初恋のはじまりだった。

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