第10話 異世界お嬢様


 「はぁ……はぁ……、精神的自傷はこのくらいにして次は……」


 さてツェツィ―リエの過去と現在は簡単に振り返り終えた。

おそらくこれからも現世の所業と前世の価値観のギャップに苛まれるだろうが、今日はもう十分だ。


ゆっくりとベッドから起き上がる。

そしてノソノソと立ち上がり大鏡の前に立つ。

ワタクシは魔術実習で着ていた紅玉の礼装ではなく、脱ぎ気しやすい縦縞の病衣を羽織っていた。寝ている間にジゼルとラファエル先生が着替えさせてくれたのだろう。


今からしなければならないことは自分の肉体の再認識だ。

改めて鏡の前で自分の容姿を確認する。

ミスコンは優勝して当然だから他の用事を優先した、などというふざけたドタキャンの理由も一笑に付せない美少女がそこにいる。


 陶器のように透き通った白い肌、腰まで真っ直ぐに伸びた漆のような長髪、ややツリ目気味の大きな紅い瞳。背丈は百六十センチ程か、だぶついた病衣で体型はわからない。 


少し迷ってから病衣の腰ひもを解くといとも簡単に前が開けて露になった。

形の整った胸、驚くほど高い位置にしっかり括れた腰があり、腹筋は程よく割れている。

 病衣の左肩を抜いて、体を捻って腕と背中を見つめる。

剣術も戦闘も何度も潜り抜けて来た。今日だって修練場の壁に激突したのに、その白い肌はほとんど傷付いていなかった。


ただ一つ、左脇腹のほんの小さな瘢痕──五年前のあの日の傷を除いては。


全身をくまなく見回し終えてからも、なぜか何度も自分の体と鏡の間で視線を往復させてしまう。

どう見ても十五年間付き合ってきた昨日となんら変わらない自分の体だ。


「な、なのになんでこんないかがわしい気持ちになりますの?」


 頬が紅潮し体が火照る。


そんなのわかっている。オッサンが混入したせいだ。

それも混入など形容するには最早おこがましい程の分量が。


するとやはり悔しいがどうしても胸に目が行ってしまう。

大きくはないが小さいわけでもない、巨乳か貧乳かで言うと美乳。

最も限りなく正解に近い、そんな感じの膨らみだ。見た目はそうだ。

ならば──。


「ツェツィ様、ココアをお持ちしま──」


 突然ドアがガチャリと開き、お盆に湯気の立つマグカップを載せたメイドが現れた。

 ジゼルの言葉は途切れ、視線が凍り付く。

その先には半裸で自分の胸を揉みしだくワタクシの姿。

時が止まり二人は見つめ合う。


「──お邪魔いたしました」

「ま、待って、ジゼル、これは違うの!」


 間男との逢瀬を夫に覗かれた人妻のような言い訳が咄嗟に零れる。

 何が違うのかは自分でもさっぱりわからない。


「ええ、わかっております。お楽しみの邪魔を──」

「いえ、何もわかってない! これは必要なことなの!」

「ええ、ええ、必要でしょうとも、年頃なのですから」

「そうじゃなくて! 自分を確かめるのに必要だったのよ!」

「ご自身の敏感な部分をですね。大切なコトです。ちなみにジゼルのおススメは──」

「ああああああああああ! もうッ!」


 何を言っても即座に猥談に変換されてしまう。ワタクシがいかがわしいことをしていたと思い込んでいるようだ。

まあ内なるオッサンのせいで三分の二はその通りなのだが。


「何でもいいからッ! 早くお入りなさいッ!」


業を煮やしたワタクシは、思わず半裸のままドアに駆け寄ろうとする。


「ああっ、いけません、そんなお姿で出歩かれては!」


するとジゼルは慌てて自ら部屋に入ってきた。


「そう、それでいいわ。ほら、ココアを寄越しなさい。それからそこに座って」


 ワタクシは赤いソファをバンバンと叩きジゼルをベッド脇のテーブルへ誘導する。


「はい。まだ熱いのでお気をつけて」


 ジゼルは言われた通りにテーブルまで歩み寄り、ココアをワタクシの前に置く。

 ワタクシは腰紐を結び直してカップを取り、ドカッとソファに足を組んで腰掛けた。

 ココアを一口啜ると、ほろ苦さを含んだ甘いチョコレートの香りが口いっぱいに広がる。


「そ、それでツェツィ様、先程は一体何を──」

「忘れなさい」

「かしこまりました」


 ワタクシはピシャリと追求を却下し、ジゼルが即座に応じた。


「それよりジゼル、座ってワタクシの話を聞いてくださる?」

「はい、何なりと」


その言葉でジゼルは腰掛ける。

まるで怒られる前の子供の様に背筋をピーンと伸ばして。


「ジゼル、まずは謝らせて頂戴、ごめんなさい」

「ツェツィ様! な、なにを……?」


 そのジゼルにワタクシは頭を下げて謝罪した。

頭を垂れる主人を前にジゼルが困惑する。


「全部よ、今までのこと全部。あなたには酷い命令ばかりしたわね。本当にごめんなさい」

「そんな。ジゼルはツェツィ様のモノですので謝ることなんて何も……」

「それならこう言わせて、ありがとう。こんなワタクシの傍にずっといてくれて」

「ツェツィ様…………」


 我ながら照れ臭い台詞を吐けたものだ。

ジゼルの言葉が詰まる。だがそれはワタクシの言葉に照れているからではないと、ジゼルの顔を見ればわかった。


「どうしたの? 何か言いたいのでしょう?」

「……畏れ多くて言葉になりません」

「いいわ、言ってごらんなさい」

「……では、正直に申し上げまして。頂いた言葉への歓喜よりも心配の方が勝ります」


 ジゼルは少し躊躇ったあと、ワタクシの目をじっと見つめて言い切った。


「……それはワタクシが変わってしまったと?」

「はい、お目覚めになられてからのジゼルにかけるお言葉は、まるで別人のようです」


 やはりジゼルはワタクシの変化に感づいている。

流石に誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきただけのことはある。

例えどんなに辛く当たられようとも、奉仕に感謝を述べられずとも、まだジゼルにとっては目覚める前のワタクシがツェツィ―リエなのだ。


でも、例えジゼルがそう思うとしても、他の誰がなんと言おうとも、今ここにいる。

ワタクシこそがツェツィ―リエだ。

前世を思い出し、人間一人、三十年分の経験を得て、協調を覚え、常識を悟り、人の痛みと傍に居てくれる者の尊さを知ったこのワタクシこそが。


だから示さねばならない、ワタクシがワタクシになった理由を。

ジゼルの信頼は何としてでも取り戻す、今までの彼女の奉公に報いるためにも。


だが前世のオッサンの記憶を取り戻したなどと話すのは混乱させるだけだろう。

……というか、ワタクシがオッサンだったなんて絶対に知られたくない!


「夢をみたのよ。とても長い夢。そう、今のワタクシの人生よりもずっと」


 ワタクシは甘苦いココアを一口飲んだ後、ポツリポツリと話し出す。


「夢の中のワタクシは、まさに負け組でしたわ。そして今のワタクシの倍ほども生きておきながら、力もなく、才もなく、金もなく、友もなく、子もなく、立場もなく、実績もなく、結局何も成せぬまま失意のうちに死んだの。全く無様ったらないわ」

「それはお可哀そうに……」


「でも、夢はあった」

「え?」


「そう、夢。自分の理想。生きる原動力。今のワタクシに無いものですわ。臣民の期待通りの、お父様の望み通りの道を、ただただ言われるがままに歩んでいるこの勇者の娘には」

「そんな……」


「夢の中のワタクシは何も手に入れられなかったけれど、何も持たないままに自分の理想を精一杯追い求めて生き抜いた。その一点に於いては見上げるべき存在でしたわ」


 黒く濁ったココアを見つめながら話し続ける。


「でも目覚めてみれば、ワタクシには力も、才も、金も、貴女も、若さも、立場も、実績もある。夢の中のワタクシが欲し、終ぞ手に入れることの無かった全てが。なのにワタクシがしていることは何? その恵みを当然と享受し、敷かれた道を歩むだけ。他者を見下し、自らを示威し、あなたやパメラを傷つけてばかりいる。全く恥ずかしいったらないわ」


 ワタクシは半分以上残ったココアを一気にグイッと飲み干す。灼熱が喉を通り過ぎていくのをグッと我慢する。

黒い沈殿の間からマグカップの真っ白な底がほんの少しだけ覗く。


「だからワタクシやり直すことにしましたの。せっかく自分の恵まれた環境に気づけたんだもの。これからこの力を正しく使って、皆を幸せにする生産的なコトをしてみせますわ」


 空になったマグカップをテーブルに置き、ワタクシは前を向く。

気づくと向かいのソファでじっと話を聴いてくれていたジゼルは、その大きな瞳から滝のように涙を流していた。


「ジ、ジゼル?」

「申し訳ありません、まさか頭を打っただけでこんなに立派になられるなんて……」


我に返ったジゼルは慌ててハンカチを取り出して目尻を拭う。


「こんなことならもっと早く頭を打たせておけば──」

「ちょっと」


「──まあそれは冗談ですが、ジゼルが感動しているのは本当にございます」


 ジゼルは涙を拭い終えるとハンカチをしまいワタクシを見て微笑んだ。


「ツェツィ様の望むようになさってください。例えそれがどんなことでもジゼルは御供いたします」


 ひとまず説得成功か。ジゼルはワタクシの変化を受け入れてくれたようだ。

 なんだか途中に不穏なニュアンスがあったがそれは気にしないでおこう。


「ありがとう、ジゼル。それでここからが本題なのだけれど、皆を幸せにする生産的なコトとは言ってはみたものの、何をすればいいのかわからなくてね、ジゼルに相談したいの」

「ツェツィ様のしたいことは無いのですか?」

「そう思って考えてみても、お父様の望み以外でワタクシがしたいことなんて、服を買うこと、試合に勝つこと、魔物を倒すこと、相手を論破すること、格下を支配すること……。そう、どれも他人を蹴落とす非生産的なことばかりなのですわ。だから他人の意見を聴こうと思うの。ジゼルはワタクシにどうして欲しいかしら」


 ジゼルは軽く握った右手を口元にあて少し考え込んでから口を開く。


「やはりツェツィ様にして頂きたいことはツェツィ様がしたいこと以外ありません」

「相変わらずの忠臣っぷりは嬉しいけれど、それじゃ相談の意味がないじゃない」

「でしたら、例えば──夢の中のツェツィ様は何をしたかったのですか?」

「夢の中のワタクシ……?」

「はい、夢を持っていらっしゃったのでしょう? 何も持たないままにそれを追い求め続け、終には野垂れ死ぬことも辞さなかった理想を」


 そうだ、何でそんな簡単なことに気づけなかったんだろう。

勇者の娘というこの世界の役割に囚われすぎていたせいだ。

現代日本とこの世界の文明レベルがあまりにかけ離れすぎていたせいだ。

実現できるわけがないと考える前に諦めてしまっていた。


「ありがとうジゼル。貴女のお陰でやりたいことが今ハッキリと見えましたわ」


やりたいことなんてずっとあるじゃないか。

まさに皆を幸せにする生産的なコトが!


「ワタクシ、エロゲを作りますわ!」

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