第8話 終わる世界とバースデイ

 午後十一時。

 楢久保先輩と別れ、終電に乘るためふらつく足取りで小走りに駅を目指す。


 交差点でちかちかと青く点滅する歩行者信号をぼんやりと眺める。


 心は満足感で満ちていた。

 誰もが夢見る幸せな日常、そんな世界をオレはエロゲで作り上げて見せる。


 そう決意を固めていると歩行者用信号機の下で笑う亜麻色の髪の少女が目に入る。


「ん? 美咲か? 大学生してんなぁ」


 美咲はオレの姪っ子だ。

 昔は姉貴の代わりに、よく親代わりをしてやったものだ。

 美咲は今春高校を卒業し、実家から離れた大学の理工学部に進学した。

 初めての一人暮らしを謳歌するハズだった美咲は、たまたま大学近くに住んでいる叔父であるオレの家に転がり込んできた。


 探す時間は十分あっただろうに、いい物件が見つからなかったと言って。


 サークル勧誘の食事の帰りだろう。美咲の周囲には大学の先輩と覚しき男たちがいた。その元締めらしきイケメンが大袈裟な身振りで何かを話し、美咲が小さく笑う。


「「「おつかれ~」」」


 定番の挨拶で一団が解散する。だが、イケメンだけは美咲の傍を動かない。

 何かを話し、イケメンが美咲の腕を掴む。美咲は抵抗の意を示す。

 それでも、イケメンは美咲を雑踏へと連れ去ろうとする。


 美咲の口が明らかに『やめて』と動いた。


 オレはそれを見て思わず駆け出そうとする。

 だが歩行者用信号は赤に変わっていた。


「おいおいおいおい! 美咲に何してくれとんじゃあぁ!」


 オレの叫びは雑踏に押しつぶされて向こう岸には届かない。


 横断歩道を待つ人々も、誰も止めようとはしない。

 美咲はイケメンに引きずられるように遠のいていく。


 オレは目の前を通り過ぎていく車の群れと、一向に青にならない信号機をもどかしく見つめる。


 くそッ! 変われ、変われ、変われ、変われ、変われ!


 祈りが届いたのか、遂に歩行者信号が青へと変わる。

 その刹那、オレは駆け出した。


「アンタ、あぶねえぞッ!」


 誰かの声。

 だが、そんなものに構ってはいられない。

 一刻も早く美咲を助けるんだ!


「美咲ッ!」


 道路の中ほどで叫んだ声が漸く向こう側の美咲に届く。

 驚いたように美咲は目を見開く。


 瞬間、大きな音が耳を劈く。

 それは車のクラクション。


 猛然と迫り来るトラック。

 鋼鉄の死神が真横にまで迫り視界がヘッドライトの光に満たされ真っ白に染まる。


 甲高いブレーキ音が響き、金属と肉がぶつかる鈍い音が鳴る。


 白に支配された視界が暗転し、フワッとした浮遊感。


 そして、地面がオレを乱暴に歓迎する。



 痛みはなかった。



「おじさんッ!」

「おいッ! 轢かれたぞッ! 信号無視だッ!」


 美咲が悲鳴を上げる。

 雑踏からはまた別の誰かの声。


 そうか、オレは轢かれたのか。


「うわっ、ヤッバ。人死ぬの初めて見た」


 イケメンが軽薄そうに口にする。

 美咲はイケメンをキッと睨みつけ、その腕を乱暴に振り払って、横たわるオレに走り寄ってくる。


 人にぶつかるのも意にも介さず真っ直ぐに。


 美咲がオレの視界に入る。

 その顔は血の気が引いて青ざめている。


 美咲はスカートが汚れるのも気にせず跪き、オレに顔を寄せた。 


 彼女の長い亜麻色の髪が、オレの頬を撫でる。


「美咲、大丈夫か?」


 そう喋ったつもりだが上手く言葉が出ない。

 だが美咲はオレの言葉を聞き取ってくれた。


「うん、大丈夫。ありがとう。助けようとしてくれたんだね」


 横断歩道の向こうのイケメンは人だかりを気にし、美咲を諦めて雑踏に消えた。


「誰か救急車呼んでッ! ハ、ハンカチ……ああ、もうッ」


 美咲はポシェットのハンカチを探そうとし、すぐに諦めて自分の上着を脱いだ。

 そして、泉のように血の溢れ出るオレの腹に上着を強く押し当てる。


「み、美咲……」


 オレはなけなしの力を振り絞ってそんな美咲の手を握る。

 美咲はぎゅっと掴んでくれる。


「大丈夫! 絶対大丈夫だから! おじさんはこんなんじゃ死なないんだから!」

「ありがとな、お前のお陰で人生楽しかったよ……」

「バカッ! それじゃこれでお別れみたいじゃんッ!」


 美咲の手が真っ赤に染まる。オレの視界はもうぼやけてきた。

 痛みはないが、悪寒が全身を支配している。血が流れすぎたのだろう。



 ──もう助からない、そんな実感があった。



「おじさんは書いて、書いて、書いて私を楽しませるのッ! 笑顔にするのッ!」


「すまねえ、責任取れなかったな……」

「そうだよバカッ! 私との約束も守らずに死ぬなんて許さないんだからッ!」


「……真っ直ぐ進め。美咲なら大丈夫だ」

「ヤだッ! おじさん、死んじゃヤだぁッ!」


 最期に見えたのは泣きながらも懸命にオレを介抱する美咲。


 最期に感じたのは美咲から流れた涙がオレの頬に落ちた温もり。


 最期に、オレの意識は遠くへと流れて、消えた。


          ◆◆◆


 まどろみから覚めていく。


 オレの目尻には涙が溢れ、その雫が頬を伝う。

 ぎゅっと拳に力を込めるとオレの手を握り返す感覚が伝わってくる。


 そして、オレの名を呼ぶ誰かの声が耳朶を打つ。


 目を開けると、一人の少女がオレの手を強く握っていた。


「よかった、目を覚まされたんですね!」


 亜麻色の髪をした少女は、オレの覚醒を確認すると勢いよく抱き着いてくる。

 紅い服を着た少女の豊満な胸がオレの身体に当たって潰れる感触がする。


「こら、美咲ッ! 年頃の女がこんなオッサンに抱きつくんじゃねぇ!」

「え? み、みさき? オッサン?」


 咄嗟に美咲の肩を持ってオレから突き放す。

 美咲は涙を零したまま戸惑いの声を上げた。


「ほら言わんこっちゃない。こんなにオレの血で汚れて」


 オレは自分から離れた彼女の紅く染まった服を見て言った。


「血? 血なんて倒れられた時から一滴も──」


 美咲はひどく困惑している。

 まあ当然だ、致命傷を受けた人間が生き返ったのだから。


「ああ、そっか、オレ助かったんだ……」


 頭は痛いが、息はできるし声も出る。

 悪寒は消えたし、腹の痛みもどこへやらだ。

 オレは自分が生きていることを確認し安堵した。


「オ、オレ? 一体どうされたんですか?」


 改めて美咲の方を向く。

 美咲が着ている紅い服はまごうことなきゴシックスタイルのメイド服だ。


 血で紅いわけじゃなかった。


 オレの口から素直な感想が口を突いて出る。

 

「美咲、コスプレか? 紅いメイド服なんて珍しいな。でも、すごく似合ってるぞ」

「ああ、頭を打たれて混乱していらっしゃるのですね。学園に入学し紅玉にクラス分けされてから二ヶ月、ジゼルはいつもこの紅いメイド服を着てお仕えしております」

 

 褒め言葉の返事はオレの正気を疑う言葉だった。


 心外だ。

 この日本でそんな服をいつも着ているヤツがいたら、正気じゃないのはソイツに決まってるのに。


 いや、それより──。

 

「ジゼル……?」

「はい、アナタの、アナタだけのジゼル=リーベルトです」


「ジゼル=リーベルト…………やっぱりいつも通り設定が凝ってるな、美咲」

「また、みさき、ですか? 先程からジゼルをどなたかと間違えていらっしゃるようですね。ジゼルはそのみさきという方ではなくて──」

「はいはいストップね、ジゼル。人の意識を確認する時は、名前を聞くのが鉄則さ」

 

 美咲──ではなくジゼルと名乗った少女の言葉を誰かが遮る。


 声の方を向くとぶかぶかのベレー帽を被り白い羽の生えた幼女が宙に浮いている。

 明らかにCGではないソイツを見て、思わず幼女を吊るすワイヤーを探す。


 だが、そんなものはどこにも無かった。

 

「え、夢?」

「うん、まだ夢と現実の区別がついてないようだね、さて、君の名前を教えてくれるかな?」


「オレの名前──」

「うん、出てこないか。コレは重症かもね。じゃあ右を見てごらん」

 

 幼女に促されるまま右を向くと、大きな鏡が目に入る。

 


「え? これが────オレ?」

 


 そこに三十路のオッサンの姿は無い。

 代わりに漆黒の長髪をした紅い瞳の美少女がいた。

 

「そう、その鏡に映っているのがキミだ。さて、もう一度問おう。キミの名前は?」


 空飛ぶ幼女がもう一度オレに問いかける。


 オレはエロゲライターで美咲の叔父の──。


 いや、違う。そうだ、オレはオレじゃなくって──。



「──ワタクシはツェツィ。勇者の娘、ツェツィーリエ=フォン=ノイエンドルフ」

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