第2話 神鏡強奪

 神鏡が奪われた夜について語る前に、あかしは、自分のことを簡単に説明することにした。

 朱は夏家の嫡男として生を受けた。正妻の長子であり、後継ぎとして育てられてきた。

 しかし年の離れた弟が生まれてから、風向きは変化し始める。弟・夏清なつきよは幼くして言葉を明瞭に話し、その天性の才を見せつけた。

 それだけでなく、成長するにつれて兄との出来の差が明らかとなっていく。朝廷に仕えるために必要な頭の良さもずば抜けていた。

 父も母も夏清へ期待をかけ、朱は軽んじられるようになっていく。やがて、侍女や舎人と共に働くようになった。

「俺は後継ぎという名目もなくなり、家での立場をほとんど失った。そして蔵の見張りを命じられたんです」

 夜盗が入ったのは、朱が見張りに立ち始めて数日後のことだった。

 新月の夜。朱と彼と共に見張りについていた四人の武士は、変わらず警戒を怠らずにいた。

「……なのに、賊は一人を音もなく斬り捨てたんです」

 短い呻き声を残し、一人が気配を絶った。朱が異変に気付いた時、既に三人が血だまりに倒れ伏していたのだ。

 誰何した男も殺され、朱は一人残って懸命に戦った。弟に後継ぎという立場を奪われてからほとんど鍛えられなかった刀を振り回し、賊からの致命傷を防いだ。

「それでも、無傷とはいかなかった。……これが、その時の傷です」

 朱は直衣の袖をずらし、左腕の傷を露にする。そこにあったのは、塞がったものの痛々しい大きな裂傷だった。

 よく日に焼けた肌につけられた横一文字の傷は、新たな白い肌に覆われて生々しい。

 傷を見た秋明しゅうめい冬嗣ふゆつぐが顔をしかめ、春霞はるかもわずかに眉間にしわを寄せた。

「これは……」

「酷い。朱、もう痛くはないのか?」

 言葉を失う秋明と、朱の腕におそるおそる触れる冬嗣。

 いつの間にか名前を呼ばれていて少し驚いたが、朱は些末なことだと放置することにする。そして冬嗣に「大丈夫だよ」と微笑んだ。

「確かに斬られた当時は痛みが激しくて、三日三晩程高熱にうなされました。同じような傷はこの辺り……横腹にもあるので、塞がるまで苦しかったですね」

 朱は袖を直し、右の横腹を撫でた。痛みはもうないはずなのだが、触れる度に鈍痛が走る。それが本当の痛みでなくても、頭が「痛い」と思い込んでいるのだろう。

「痛みが相当あったので、斬られた当初は七転八倒しました。賊は俺が立つことも出来ないと見るや、俺を無視して蔵に押し入り、鏡を奪って行ったんです」

 痛みに気を取られていたこともあるが、暗がりで動く賊の動きは見事だった。数人しかいなかったはずだが、素早く蔵に侵入して鏡が入っている桐箱を取り出して去って行った。

 当時を思い出し、朱は拳を握り締める。悔しさと痛みが同時に思い出され、歯を食い縛る。

「俺は、ただ地面に転がることしか出来なかった。だから、こちらの不手際であることは間違いありません。でも……」

 一つ呼吸し、朱は三人の顔を順番に見た。そして、腰を折り頭を下げた。

「俺一人の力では、鏡を取り返すことは出来ません。かといって、何処の誰でも良いという訳じゃない。……同じ四神から鏡を頂いた家の出という縁があるから、三人に頼みたいんです」

 お願いします。朱は床を見詰めたままで嘆願する。

 すると隣に風が起き、朱よりも幼い少年が同じように頭を下げる気配がした。

「……僕からも、お願いします。この国の四季を元に戻すためにも、二人の力を貸してください!」

「……」

「……どうするんだい、春霞?」

 秋明に問われ、春霞は返答に窮した。年下の少年たちから頭を下げられ、先程までの自分が恥ずかしくなってきたのだ。

「――あーくそっ」

 ぼさぼさの髪を更にぼさぼさにするように頭を掻き、春霞は「わかったよ!」と半ば叫ぶように言った。やけくそである。

「オレも一緒に行ってやる! で、さっさと取り返して帰るぞ」

「素直じゃないな、春霞」

「うるせえ。本名で呼ぶぞ、秋明」

「それは私が二人に名乗ってからにしてくれると有り難いかな」

 秋明は小さく笑うと、少し表情を改めた。

「私も、ここに来ると決めた時点で共に戦う覚悟は出来ているよ。必ず、四人一人も欠けずにやり遂げよう」

「……ふん」

「ありがとうございます!」

「ありがとう。秋明さん、春霞さん!」

 パッと表情を明るく変え、朱と冬嗣は顔を上げた。二人の前には、何処か照れた表情の春霞とにこにこと微笑む秋明がいる。

 胸を撫で下ろした朱は、「さて」という秋明の声で意識をそちらに向けた。

「改めて、互いのことを教え合おうか。……ずっとここにいるのと何だね。私の庵に行こう」

「いおり?」

「そうだよ、冬嗣くん。私は修業期間が長くてね、普段は自分の庵で過ごすことが多いんだ。ここからそれ程遠くない」

「なら、さっさと行くぞ。ここは重苦しくて面倒だ」

 春霞はそう言うが早いか、きびすを返して部屋を出て行く。彼の後を秋明が追い、冬嗣も駆け出した。

「……四神の鏡、か」

 一人残された朱は、胸の上で拳を握り締める。あの三人と共に、必ず鏡を取り戻すのだ。

「朱くん?」

「今、行きます!」

 秋明に呼ばれ、朱は三人の後を追った。

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