第32話 絶望

 ――ちくしょう。


 なんだよこの様は。こんな様で良いはずない。絶対に良いはずがない。


 足の震えは止まってない。踏ん張ってる力を抜いてしまえば脆く崩れ落ちるだろう。


 だからって言われっぱなしで済ませるもんか。


 何か、何か言い返してやる。男らしく、一矢報いるような何かを。


 ――ちっくしょう!


 思いに反して奥歯がぜんぜん噛み合わない。吐き出そうとする息でさえ喉に引っかかるみたいで、声なんてまるで出てきそうもない。


 何でもいい、何か一言だけでも言い返すんだ。


 何か、何か、何か――


「な――」

「やかましいんよねぇっ!! あんたぁええかげんにしんさいよっ!! あんたなんかにウチらぁのなんがわかるんね? どぉよぉにもならんのよねぇっ!! じゃけぇ、こがぁにしんどぉてもこらえてきとんよねっ!!」


 ――お、おおぅ……、って、……え?


 ボクを遮って繰り出された、まさしく絶叫と呼ぶに相応しい惣引そうびきの声が背後から轟く。


 ……いや、惣引の声、だったの? え、本当に?


 そう思わせるに十分すぎるほど、まったく予想だにしていなかった訛り、方言なのだろう。おそらく。


 完全に勢いに飲まれ、呆気にとられて発しようとした言葉を見失ってしまった。


 ここまでの惣引の喋り方といえば、おかしな言動に目を瞑りさえすればたどたどしさは感じるものの割と丁寧な口調だったと言える。それが、とんでもなく独特のイントネーションで流暢に聞き慣れない方言を繰り出してきたのだ。


 確かに地元が田舎だのと言ってはいたけれど、あまりに突然すぎる勢いと訛りの強烈さも相まって、後半は何を叫んでいるのかまるでわからなかった。いや、もちろん前半だってほぼわからなかった。


 けれど、もうとにかく最高潮にめちゃめちゃ怒っているってことだけは、その怒声で疑いようもなくびしびし感じ取れた。


「……っ」


 ボクの背後で、アイツがどんな顔してるのか気になった。


 ただ、背中に触れられた手の感触からあいかわらず小さく震えていることを伝えてくる。それが、恐怖によるものなのか怒りによるものなのかまではわからないけれど。


 見事なまでに意表を突いてきた惣引の、あまりにも強い語気を目の当たりにしたセンパイは、ボクに勝るとも劣らないほどはっきりと面食らって絶句していた。


 しかし、言葉としての意味は理解が難しかろうと、何事か自分が罵られたのであろうことだけは無駄に察したようで、圧倒されていたのもほんの束の間だった。


「あぁ? なに言ってんだ? 何語なんだよそれ? お前もちょっと顔が良いからって調子に乗ってんだろ?」


 それまでボクに対して繰り返していた、取り合う気もなく一方的に小馬鹿にしてたような口調とは打って変わって、完全に恫喝するみたいに鋭く睨め付けて低く唸って見せる。


「……そがぁなことないわいねっ!」


 ボクとセンパイが一瞬言葉を失うほど強烈な語気を吐いてみせたにもかかわらず、剥き出しにされた敵意を前に竦みあがったのだろう、ボクの背中に触れた手にギュッと力を込めて、やっぱり聞き慣れない方言で何事か言い返した。

 たぶん否定したのだろう。


「男に対して拒絶反応があるって? なんだそりゃ? どうせ構ってちゃんのキャラ作りで、心配して寄ってくる男をパシリにでもしようとしてるだけだろ」

「……っ」

「ほぉーら、拒絶反応だかなんだか知らねえけど、どーなるのか見せてみろよ」


 やめろよ! どうなるのか見てしまったら、ただでさえ酷いこの状況がさらに地獄に変わることになるんだぞ!?


 きっと竦んでしまっている惣引に掴みかかろうと、センパイはもはやボクには一瞥すらくれずに強引に押し退けてくる。


 途端に、腹の底からカッとただならぬ勢いで熱いものが込み上げてきた。


 一応断っておくけど、込み上げてきたっていっても、アイツの代わりにボクが吐きそうになったわけじゃない。


 ここまでまるで良いとこ無しだったボクの、折れかけていた心がついに奮い立った。


 ――それだけは絶対にさせない。


 ボクを押し退けたセンパイの腕に渾身の力を込めてがむしゃらにしがみ付く。


 あれだけ息巻いたくせに、固く目を閉じ肩を竦めて、触れられてしまう恐怖で動けないでいたアイツの目と鼻の先、すんでの所でセンパイの腕を辛うじて食い止めた。


「何にも知らないくせにっ、自分じゃどうにもならない、どうすることも出来ない苦しいことに、それでも諦めず懸命に立ち向かってるやつを馬鹿にするなっ!!」


 センパイの腕に絡みついてぶら下がるみたいな、あまりにも滑稽で不格好な体勢だった。


 見ようによっては、まるで恋人に別れを切り出されて、ヒステリックに金切り声を上げながら追い縋っているみたいな無様な格好だったかもしれない。


 けれど、そんなことはもう気にならなかった。


 込み上げてきた、ありったけの思いの限りをぶちまけてやった。


 拒絶反応を治そうと、手段はどうあれ必死で立ち向かってた惣引を、その口から語られた理由を信じてやれなかった。


 どんなに、どれほど手を尽くして説明しても信じてもらえない絶望を、他の誰でもないボク自身が一番知っていたはずなのに。


 昨日の、夕日を背に受けたアイツの絶望を湛えた表情がはっきりと浮かび上がる。


 わかってもらえない。

 信じてもらえない。


 そんな途方に暮れる絶望感を、アイツの濡れた瞳が否応なく思い出させるんだ。


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