第18話 いーてぃー

 あたしと瀬尾せおくんは幼馴染みとは言っても、いわゆる幼馴染みという言葉の響きから多くの人が想像するような、距離感の近い親身な付き合いを続けてきたわけではない。

 いっそ普通の知り合いと言ってしまった方がよっぽど語弊がない程度の関係だ。


 お互いの自宅は確かに近い。

 けれど、よくありがちな家が隣り合っていて、二階の自室の窓を開けると隣接する幼馴染みの部屋の窓が――、なんてことあるわけもなく、五軒隣のはす向かいだった。それでも徒歩1~2分だから十分近いと言って差し支えないと思う。


 でも、ただそれだけだった。

 もちろん子供が同級生ということで親同士は仲が良いのだが、だからといって瀬尾くんとあたしも仲良しになる理由にはならない。


 小学校低学年の頃は、なんなら一緒に登下校していたくらいなのに、いつからあたしは距離を取り始めたのだろう?


 いつからあたしはこんなに理屈っぽくなってしまったのだろう?


 いつからあたしは瀬尾くんのことを目の端で追うようになったのだろう?


 いつからあたしは、こんなに、こんなに――


 そんなわけで幼馴染みとは言っても、どこまでも希薄な関係でしかないあたしが知っている限りにおいてさえ、瀬尾くんは『男らしくない』と言われることに過剰すぎる反応を示す。


 その結果どうなるかというと、

「やってやらぁっ!」

 と売り言葉に買い言葉でわかりやすくキレるのだ。


「触ればいいんだろ? いいよ、べったべたに触ってやるよ! ボクがれっきとした男だってその体に嫌ってほど味わわせてやるからな!!」


 少年漫画とかで一番最初にボコボコにされる、モヒカン頭でヒャッハーとか叫んでそうな雑魚キャラのテンプレみたいなセリフにしか聞こえないけどいいのだろうか?


「……ふーん? あーんなに嫌がってたくせにほんとに出来るのかしらー?」


 しかもよりにもよって、そんな瀬尾くんの変化をこんな時にばっかり敏感に感じ取った惣引そうびきみさをは、ほんの少し見下すようにつんと顎を逸らせてここぞとばかりに煽り始める。

 

「できらぁ!!」

「へえー、ほんとかしらー?」


 たったの一言で完全に立場が逆転してしまった。

 九死に一生を得たみたいに煽りまくるせいで、もはや趣旨が変わってきているようにしか見えないのだが、癇癪を起こした小さな子供みたいにプリプリ怒る瀬尾くんは踊らされていることに気が付く様子もない。


「男に二言はないっ! 手でいいんだよな?」


 さっさと出せと言わんばかりに瀬尾くんがずいっと距離を詰める。


 すると、今の今まで煽り散らしていた勢いはどこに行ってしまったのか、惣引節はビクッとたじろいで半歩後退り、一度大きく深呼吸をしておずおずと手のひらを差し出す。


 隣で見ているあたしでもわかるくらいふるふると小刻みに震えている。


 あれだけ煽っておきながら何を今さらオロオロとか弱いフリしてんのよ……?


 けれど、さすがにその挙動不審な態度に気が付いたのか、瀬尾くんは瀬尾くんで今までの威勢が嘘みたいに一気にしぼんでしまい、それでもそろそろと差し出された手のひらへと伸ばした指先から躊躇をにじませる。


 女のあたしでさえ見惚れてしまいそうなほど、この女の白くほっそりとした指はほとほと安直な表現だが白魚のような美しさだった。


 そんな指に触れるために伸ばされた瀬尾くんの指もかすかに震え、なんだか宇宙人と指と指で触れあって心を通わせ、指先から光が放たれてる超有名な映画のポスターを見てるみたいだ。


 ちなみに、あの超有名なポスターの指で触れ合うシーンは映画内には存在しないらしい。


 もちろんそんなことは今の状況に一切関係なく、役にも立たない雑学を思い浮かべているうちに、瀬尾くんの指先が弱々しく惣引節の指に音もなく触れる。


「んぅっ……」

「へっ、変な声出さないでくれる!?」


 ピクッと身体を強張らせて吐息にも似た声にならない声を漏らす姿に、あたしは堪らず声を荒げてしまう。


 一体何を見させられているのよこれは? すごく高度なプレイの一種なの?


 見てるだけなのに、こっちの顔がぽーっと熱を帯びて赤くなるのがはっきりわかる。


 瀬尾くんに至ってはなんだか興が乗ってきたのか、変な声を出したきり俯き気味に動かなくなった惣引節の顔と指先を確かめるように交互に見つめつつ、ゆっくりゆっくりと手相をなぞるみたいに指先を滑らせる。


 え、待って待って、これって良いの……? 良いのよね……?


 別に手と手が触れ合っているだけだし、何一つおかしなところなんてないのに、なんだか無性に扇情的に見えてるあたしの方がおかしいの?


 ハラハラと落ち着きをなくすあたしのことなどお構いなしに、瀬尾くんは手の平から手首に向かってそろそろと指を這わせ、意を決したように指先だけで触れていた手のひらに自らの手のひらを乗せ、やがてふんわりと包み込むように柔らかく握手をする要領で握ってみせる。


「ゔっ……」

「へっ、変な声出さないでくれるっ!?」


 握られた方とは反対の手で反射的に口元を押さえ、明らかに何かがこみ上げて来かけているくぐもった呻き声を漏らし、それを見た瀬尾くんが堪らず握っていた手を振り払って後ろに飛び退く。


 あんな、どこから絞り出されてるのかわからない声だか音だかを聞かされては当然だろう。あたしでも瞬時に距離を取ってしまう。


 振り払われた拍子によろめき膝に手をついたものの、ついた膝もガクガクと震わせてダウン寸前のボクサーみたいになっている。

 あまりに見るに堪えない惣引節の背中を、あたしは撫でるようにそっと手を添える。


 こんな吐きそうになって苦しんでいる人を、優しく撫でてやる以外にどう対処すれば良いのかさっぱりわからない。


「……かのちー」


 辛うじて聞き取れるかどうかくらいの声量でそれだけ呟くと、振り向くなり何を思ったのかガバッと勢いよくあたしに抱き付いてきた。


 ――ちょ、ちょっと? なんなのよ、いちいち行動がいきなり過ぎるのよ!


 そして、抱き付いたままあたしの胸に顔を埋めて大きく息を吸い込み始める。


 ……ちょっと待って? アンタまさか。

「はあぁぁ~……、やっぱり田舎のお婆ちゃんと同じ匂――」

「するわけないでしょバカッ!!」


 昨日の悪夢の再来だった。


 夢うつつのようにとろんとした表情を浮かべていたが、そんなのあたしの知ったことじゃない。無理やり引き剥がして力任せに突き飛ばしてやる。


 油断してた……。

 よくも昨日に引き続いてあたしからお婆ちゃんの匂いがするだなんて瀬尾くんの前で言ってくれたわね!


 確かにうちはお婆ちゃんと一緒に暮らす三世代同居だけど!

 別にお婆ちゃんにべたべたくっついてるわけじゃないし、仮にべたべたしてたとしてもお婆ちゃんの匂いなんて移るわけないし!?


 しかも昨日は帰ってから制服にこれでもかってくらい消臭スプレー吹き付けたし、良い香りが持続するタイプのちょっとお高いボディソープで念入りに身体中隅々まで洗ったし! ていうか、そもそも毎日きちんと洗ってるしっ!!


 突き飛ばされはしたものの、あのわずかな一呼吸だけですっきりとリフレッシュしたみたいに肌のつやまで取り戻したこの女は、あたしの心の中での憤慨になどちっとも気に留める様子もない。


「……え、宇津木うづきって、……お婆ちゃ――」

「違うからっ!! ぜんぜんそんなんじゃないからっ!!」

「かのちーのお婆ちゃん力を舐めないで。おかげで私はこの通り、もう大丈夫よ」

「いやちょっと待って!? お婆ちゃん力ってなんなのよ!? それだとあたしがお婆ちゃんみたいじゃないの!?」


 ああ、ほらっ! 瀬尾くんもなんだかちょっとお婆ちゃん力ってわけのわからない単語で、軽く納得したみたいな顔になってるじゃないの!?


 あと一方的にかのちー呼びを定着させないで? 不本意なフレンドリー感がぐんと上がっちゃうでしょ!?


「まだまだこれからよ。さあ、続きをしましょう」


 つい先ほどまで込み上げてきた何かを堪えつつ、声なのか音なのか判別に困る呻き声を出していたとは思えない素振りでやる気を示す。


 せめてあたしのお婆ちゃん力っておかしな誤解を一区切りしてからにしてよ!?


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