第9話 幼馴染み

「ああ、そうだったわね。あたしは宇津木うづき果乃かの

 

 キュウリもとい、長ナス、じゃなかった米ナスの子は、眼鏡をクイッと持ち上げて宇津木果乃と名乗ってくれた。


 二つに束ねただけのおさげ髪は、おしゃれでしているというより邪魔だからそうしているだけみたいで、黒縁の大きめな眼鏡と相まって真面目な委員長みたいな感じに見える。


「ていうか、アンタも清掃作業のはずでしょ?」

「そんなことまで知っているの?」

「当然よ。クラス中がアンタの噂でもちきりなのよ? すごい美じ――、んんっ。……入学初日に問題起こして生徒指導室に連れて行かれてたって。気が付いてないの?」

 

 保健室での一件の後、生徒指導室に連れて行かれるところを誰かに見られていたのだろうか。吐いた直後でふらふらだったせいもあり、ちっとも気が付かなかった。


 今日だって親しく会話を交わす相手もおらず、クラス中を野菜畑だと念じながら過ごしてやり過ごしていた私が、まさか噂の的になっていただなんて気が付くはずもない。


 なるほど。

 それで懸念していた男子生徒が話しかけてくることもなかったのだろう。そう言われて思い返してみれば、男子生徒に限らずクラスメイトみんなから一定の距離を置かれていたようにも感じる。


 さらにまだ授業らしい授業が始まっていないことも相まって、無言で俯き瀬尾せお悠理ゆうりの秘密について考えをめぐらせていたのだ。

 たとえ生徒指導室に連れて行かれるところを目撃した誰かと目が合ったとしても、クラスメイトの顔も名前も把握していないのでわかるはずがなかった。


「気が付かなかったわ……。やっぱり人が多いと噂の早さも違うわね。さすが都会だわ……」

「はあ? こんな田舎町のどこが都会なのよ?」

「すぐ側に山もないし、イノシシも走ってないわ」

「ちょっと待って。……え、イノシシ? イノシシってあの猪のことよね? え、どんなレベルの田舎なのよ……?」

「どんなって、そうね……。イノシシは森で、私は集落で共に生きてるわ」

「どこのもののけの娘なのよ!? ふざけないで!」


 ふざけてなんてない。紛れもない事実だ。小学校のグラウンドにはシカが出ることもある。


「会いに行けるわよ? トラクターに乗って」

「友達感覚っ!? そ、そんなことより! 清掃作業もしないでアンタは何やってんのよ?」

「私はあの人のことが気になっ――、そうだわっ! 宇津木さんもあの人、瀬尾悠理の秘密が気になっているんでしょう?」


 そうだった、宇津木さんは私と目的を同じくする仲間だった。


「は、はあ!? き、きき、気になる、って、な、なな、なに言ってるのよっ」


 あいかわらず面倒そうに掃き掃除をしている瀬尾悠理の後ろ姿を指差すが、宇津木さんはプイッとそっぽを向いてしまう。


「だって、そのカメラで瀬尾悠理のこと撮っていたでしょう?」

「ち、ちがっ! あ、あたしはお花を撮ってただけで……」


 慌てた素振りで花壇にカメラを向けて長いレンズをくいくい動かす。

 先ほどからしきりにアピールする花壇には、丁寧に畝が作られて何かの芽が出ているけれど花はまだ咲いていない。


「しゃがみ込んで隠れながら撮っていたでしょう?」

「だから違うってば!」

「あっ! そういえばタケお婆ちゃんから越してくる前に聞いたわ。都会には盗撮してネットの海に写真をばら撒く、パパラッチっていう恐ろしい活動家がいるから気を付けろって」

「なんなのそのお年寄りの誤情報!?」

「パパラッチ活動、略してパパ活って呼ばれてるって」

「それ何もかも間違ってるからね!?」

「宇津木さん、パパ活中だったのね……?」

「誤解を招くようなこと言わないで!?」


 話にだけ聞いていたパパ活中の人がこんな間近に実在するなんて。さすがは都会だ。


「でもそのカメラにパパ活の証拠が残っているんでしょう?」

「残ってないわよッ!」


 私がカメラに伸ばしかけた手を、すごい勢いで宇津木さんが遮って掴みかかる。


 瞬間――


 瀬尾悠理に触れた保健室での出来事が脳裏に鮮明によみがえる。


 もしかして、この宇津木さんも瀬尾悠理のように見た目が女性に見えるだけでじつは男の子なんてことはないのだろうか?

 私が知らないだけで、都会にはそんな人がじつはたくさんいたりするなんてことはないだろうか?


 ――けれど、やはり拒絶反応は起こらない。平然そのものだ。


 顔を真っ赤にして語気を荒げ、私の手を掴んで離さない宇津木さんはおそらく女の子で間違いないのだろう。


 しかし、瀬尾悠理の件があったばかりだ。


 ……確認する必要がある。


 掴まれた手とは反対の手を伸ばし、宇津木さんの胸に触れてみる。


「ちょおっ!? んなっ、なにしてんのよっ!?」


 手っ取り早く、いわゆる鷲掴みで確認してみた。


「――良かったわ! 下着もきちんと着けてるし小さいけれどちゃんと胸もあるわ! 間違いなく女の子だわ!」

「見たらわかるでしょ!? バカにしてんのっ!?」

「念のために確認を」

「確認しなきゃわかんないほど小さいって言いたいの!? ケンカ売ってんのアンタ!?」


 私の手を払いのけて、胸元を固くガードする宇津木さんの姿に安堵の息を漏らす。


「あの人、瀬尾悠理にはおっぱいが無かったから」

「あるわけないでしょ!? 瀬尾くんは、……あんな、か、可愛らしい見た目だけど、れっきとした男の子なんだから!」

「知っているの? もしかして詳しいのかしら?」


 瀬尾悠理の秘密を探りたい仲間だと思っていたら、どうやら私よりも多くの情報をすでに掴んでいるみたいだ。


「そりゃあ、小中と同じ学校だったし、……幼馴染み、みたいなものだし」


 伏し目がちに言い淀みながら宇津木さんはゆるゆると俯く。


「じゃあお友達なのね。でも、だったらどうして盗撮、じゃなくてパパ活なんて」

「だからパパ活は意味が違うから言い直さないで!? いや、盗撮でもないからね!?」

「でも隠れていたってことは気になってることがあるんでしょう? ちょうどよかったわ。私も気になっているの。それじゃあ一緒に行きましょう」

「いや、別に隠れてなんて、って、ち、ちょっと?」


 宇津木さんは困惑してるみたいだったけど、ここでこれ以上の問答を繰り返していても何もわからないままだ。


 私は宇津木さんの腕を引っ張り、思い切って瀬尾悠理に近付くことにした。


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