第4話 保健室

「はあ……、どうにかならないのか? その……、なあ?」

 

 職員室で担任の多原たはらが大きなため息交じりに口にした第一声がそれだった。


 明らかにボクのこの美少女すぎる見た目のことなのだろうけど、どうにかなるならとっくの昔にどうにかしてますけど!?


 そんな軽はずみな発言で無垢な生徒がどれだけ傷付くかわかって言ってるの?

 それが原因でボクがグレちゃって、隣のギャルみたいに「多原マジキモいんですけどー! ふかしてっとタピオカ鼻に詰めてぴえんさせっぞー? 帰りにダルゴナコーヒーしばきに行くっしょー! クリームマシマシマリトッツォも追加でー!」とか言い始めたらどう責任取るつもりなんだよ!

 

 あ、一応、なんかよく耳にする単語並べてみただけだから、ギャルの皆さんがこんなこと本当に言ってるかは知らないのであしからず。

 あと、ギャルの皆さんはグレてギャル化してるわけじゃないはずなので。ギャルは種族だから、たぶん。


 返答に困って立ち尽くしていると、職員室内でも別の教師たちがデスクから首を伸ばして遠巻きに奇異の視線をびしびし送りつけてくるのがわかった。


「ほおぉ、あれが例の……。長く教師をやってますが、なかなかですなぁ……」

「えぇ、いやいや、どう見ても女の子でしょう……? 受験願書は本当に間違ってなかったんですか……?」

「あれですよ、受験時に男子の制服着てる女の子がいたせいで集中出来なかったって苦情が入った件の……」

 等々、言いたい放題だった。


 え、もしかしてボクがいたせいで他の受験生の集中を邪魔してたの?

 合格発表の張り出しの時、ボクの受験番号の前後の合格者がやけに開いてたのってそのせいなの?

 ……だからって、それボクが悪いわけじゃないよね?


 完全に無駄な呼び出しのせいで遅くなってしまった上に、いつかお世話になる時に余計な誤解を招かないように養護教諭にも挨拶しておくようにと、多原は保健室へ向かえと次のクエストを言い付けてきた。


 ボクは嬉々としてお遣いを受ける勇者ご一行様でも、モンスターのハントを生業にして素材を剥ぎ取る冒険者でもないんだよ?


 心の中でだけ文句を並べつつも、促されるがまま校内を歩いてたどり着いた保健室に入ったところ、どうやら養護教諭は不在のようだった。


 クエスト失敗! 


 なんなんだろうこの間の悪さ。どっと疲れが押し寄せるんだけど。


 この場合って待ってた方が良いのかな? てゆうか、待ってたら帰ってくるの? そもそも理不尽な理由で振り回されてるだけなんだから、もうさすがに帰って良いよね?


 はあ~……っと、長いため息を漏らしてどうしたものか迷っていると、ふわりとカーテンを揺らす風が吹き込んできた。


 春らしい陽気とはいっても風はまだ少し冷たい。


 風の吹き込んできた保健室の奥に視線を移して、――ボクは言葉を失った。


 半分だけ開いた窓のすぐ側のベッドに、差し込む穏やかな日差しを受けてキラキラと輝いて見える、とんでもなく綺麗な女子生徒が腰掛けて窓の外を眺めていた。


 妖精かと思ってしまった。

 いや、神々しいって例えの方がいくらかしっくりくるから、きっと女神だろう。

 そんな妖精だ女神だなんて安直な形容が、ちっとも大袈裟じゃないほど本当に輝いて見えた。


 長い髪がさらさらと柔らかく風にさらわれるのもそのままに、ボクに気が付くこともなくぼんやりと遠くを見つめる横顔は精緻を極める絵画みたいに整って、圧倒的な存在感を醸し出してボクの視線を釘付けにする。


 もはや使い古された言葉通りに、透き通るみたいな白い肌が今にも透けてなくなってしまうんじゃないかと、あらぬ不安さえ覚えてしまうほどのはかなげな美しさだった。


 呼吸さえ忘れて目を奪われていると、さすがに気配を感じたのか、たおやかな動作で女子生徒はこちらに視線を移してきた。


 首を捻って無言でボクを見つめ返す女子生徒の薄いキャラメル色に透ける瞳に、為す術もなく吸い込まれそうになって身動き一つ取れなくなってしまう。


 ――どれくらいそうしていただろう。


 まるで時間が止まってしまったみたいに視線を逸らすことさえ出来ずにいると、女子生徒はただでさえ大きな目にわずかに驚きの色を浮かべて見せた。

 そして、ボクから視線を外すことなく、首を緩めるためだろう大きく開かれたブラウスの襟元を両手で隠しかけて――、ふっと小さく安堵したように吐息を漏らして、やめた。


 ……え? どうしてやめるの? そこは隠そうよ?

 いや、そのままでもボクはぜんぜん構わないんだけど。

 いやいや、構う構わないの問題じゃなくって、そんなの良くない! 


 だって男のボクに対して無防備にもほどがあるでしょ。

 具体的になにが見えているわけでもないけど、胸元の、いわゆる膨らみの始まりって言えば良いのかな、なだらかな稜線がのぞきかけてるよ?


「先生なら出掛けてるわよ」


 再び吹き込んできた風に、今度は髪を耳にかけながら女子生徒はふわっと微笑みを浮かべる。


 少しだけ舌っ足らずなのに澄んで透明な声、耳にかけた髪を梳くしなやかな指先、そんな些細な一つ一つにいちいち心臓が跳ねて、胸の高鳴りを抑えられなくなる。


「あ、ごめんなさい。すぐに退くわね」


 身じろぎ一つ取れずに立ち尽くしたままのボクの姿を、体調不良で保健室にやって来たと勘違いしたのだろう。

 ベッドは二つあるのに慌てて立ち上がって近付いてきながら、親切にも手を差し伸べて促してきた。


 けれど――


「あ……」


 いきなり立ち上がって動いたせいで立ち眩みでも起こしたのか、ふらふらと覚束ない足元をもつれさせて吐息のような声を漏らしながら力無く倒れ込んできた。


 そんな倒れ込む動作でさえもどこか可憐に見えてしまい、目を奪われかけたのも一瞬、ハッと我に返り反射的に手を出して女子生徒を抱え込む。


 ――うわ、細っ! 軽っ! イイ匂いっ!!


 瞬時にそんなことが脳裏を掠める。


 ずいぶんと余裕があったみたいに見えたかもしれないけれど、実際はあまりに突然すぎる事態に的確な行動なんて取れるわけもなく、どんなに細かろうが軽かろうが、ましてやイイ匂いがしていたところで、倒れ込んでくる勢いにあらがえるはずもなく背中から床に倒れて強かに後頭部を打ち付けてしまった。


 ゴツンと鈍い音が耳の奥で響き、駆け足で追いかけてくるみたいにジンジンと痛みが押し寄せてくる。

 漫画やアニメならここで男らしくしっかりと抱き留めてみせるのだろうけど、実際には絶対に無理だよ。咄嗟に手を出せただけでも褒めてもらいたいくらいだよ。


 背中越しに伝わる冷たい床の感触と同時に、ボクに覆い被さって倒れ込んでいる女子生徒のほのかなぬくもりを感じる。

 いまいちカッコはつかなかったけど、ボクが下敷きになったおかげでとりあえずは無事みたいだ。


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