遊撃不動産 ~ヤメ警だらけの「夜の不動産屋」に転職してしまいました~

ゴオルド

第一部 闇賭博

第1話 キャバクラから回収

 私のスマホが鳴った。

 キャバクラばかり入ったビルの通路に、陽気な着信メロディーがやけに響く。きょうは金曜日、時刻は午後3時だ。きっと上司からの定期連絡だろう。


 康小見やすおみ市にあるキャバクラ街「新陶しんどう地区」、その新陶に建つビルの5階通路にパンツスーツ姿でしゃがみ込んで、床にこびりついたガムを金属製のヘラで剥がしていた私は、軍手を外して電話に出た。

「はい、樋元ひもとです」

「ノゾミン、お掃除、お疲れちゃん。今いい?」

 可愛らしい声。私の上司、ユウゲキ不動産の佐藤さんだ。ちなみに「ノゾミン」というのは、私、樋元ひもと希美のぞみのあだ名である。


「ちょっと待ってください、すぐメモ帳を出しますので」

 私は軍手を脇に挟んで、いつも身につけている斜め掛けのポーチ(でっかいサボテンの刺しゅう入り)から、リンゴ型のメモ帳とみかんのフィギュア付きボールペンを取り出した。

 職場で使う文具にしては少々ファンシー過ぎるかもしれないと自分でも思わないでもないが、会社命令で着ている服はグレーのパンツスーツに白シャツ、黒いパンプスという味気なさで、常々パイナップル柄のアロハシャツとビーチサンダルで出勤したいと思っている私からしたら、せめて小物ぐらいは好きにさせてほしいし、上司もそのぐらいならと大目に見てくれていた。


「メモの準備できました。どうぞ」

「今週の滞納店だけどね、SKビルのロッソ、それとシャイニングがまだ入金がなかった。あと協和ビルの和遊、丸本ビルの……」

 佐藤さんが魔法少女みたいな声で読み上げているのは、本日の期限までに家賃の振り込みが確認できなかったキャバクラ名だ。つまり私がこれから回収に向かうキャバクラということである。


 私の主な仕事、それは滞納された家賃の取り立てだ。


 勤め先であるユウゲキ不動産は、主に夜のお店のテナントを扱う不動産屋である。なお、うちは賃貸仲介だけでなく不動産管理業務もやっており、家賃の取り立てはこの管理業務のほうということになる。

 ちなみに店子の皆さんがまじめに家賃を払ってくれて滞納が1件もない時は(滅多にないけれど)、私はビルの掃除なんかをやって時間を潰している。ほかにも内見や退去の立ち合い、警察や保健所との連絡係、店子からの相談、清掃、電球交換、配達ミスしたおしぼり屋さんへの連絡まで、つまり何でもやっている。


「……テナントの滞納は以上かな。あと、悪いんだけど、今日はほかにもあるのよね」

 う、嫌な予感がする。

「うちの会社が所有する賃貸マンションなんだけど、3カ月も滞納している早田さんって男子大学生がいるから、そっちも様子を見にいってくれる?」

「マンションですか……」

 ついうっかり不満げな声が出てしまった。正直行きたくないのだ。テナントと違って一般人相手の取り立てはどうも気が引ける。

 何カ月も住居の家賃を滞納する人は、大抵が重めな事情があるものだ。ビジネスライクな話ができず、湿っぽい話になりがちである。私は食べる物にも困っている人に家賃を払えとは言えない。立場上は言わないといけないんだけど。

「電話もつながらないし、親御さんも息子さんと連絡がとれずに心配しているの。万が一ってこともあるから調べてきて。グランドメロウの803号室」

 孤独死を匂わせるようなことを言われて、逆にほっとした。強硬に家賃を回収してこいと命じられるより、生存を確認してこいと言われるほうが気が楽だった。住人は男子大学生とのことだから、自室で亡くなっている可能性はきわめて低いだろう。


 通話を切ってビルを出ると、秋の日差しはすでに黄色みを帯びていた。日が落ちてしまうまでに、滞納テナントを先に回っておかなければ。キャバクラは夜になるとオーナーは帰宅してしまうし、店長は黒服業務をこなさないといけないので、お家賃の話ができなくなるのだ。

 マンションに行くのは、夜のお店まわりの後でいいだろう。


 私はメモ帳を確認した。ここから一番近いキャバクラはシャイニングか。歩いて5分もかからないだろう。



「こんにちは。ユウゲキ不動産です。おじゃまします!」

 大声で挨拶するのと同時にキャバクラ「シャイニング」のメタリックなドアを開け、勝手に中に入った。


 薄暗いビルの通路とは対照的に、室内はとても明るかった。営業時にはオフにする照明を全部点灯させているせいだろう。おかげで店の真実の姿が無防備に晒されていた。ソファは変色しており、絨毯とカーテンは色褪せ、パーテーションと呼ばれる衝立ついたては黄ばんで曲がり、無断でいつの間にか張り替えられてしまった壁紙のつなぎ目はズレていた。見るからに安っぽくて、くたびれている。しかし、これが夜になって営業用の照明にすると、たちまち店内はゴージャスなホテルのスイートルームのように見えてくるのだから、まるで魔法である。


 店で一番大きな客室エリアに足を踏み入れると、ガラステーブルの上にスポーツ新聞を広げて、ピーナッツの殻をむいて食べながら談笑している男性2人組が、私に気づいた。

「お、ノゾミンじゃん」

「ユウゲキの子だよな、どしたの」

 太ったオールバックの50代ぐらい男がオーナー、細身で同じ髪型の30代ぐらいの男が副店長だ。私は20代で年下だから基本彼らはタメ口である。

「店長さんはご不在ですか? ちょっとお話ししたいことがあるのですが」

 私がそう尋ねると、副店長が慌てたようにピーナッツから手を離した。

「店長はきょうは休みだよ。子供の運動会があるって」

「あ、そうなの?」と、オーナーが言うと、副店長は何度も頷いた。

「俺も店長と話したいことがあってさ。なんだよ、子供の行事の日と当たるなんてついてないなあ。まあ、来る前に連絡しなかった俺も悪いんだけどさ」

「はは、いや、ほんとついてなかったですね。いつもは店長いるんですけど」

 副店長の慌てっぷりが奇妙だった。口から出る言葉全てが言い訳くさい。


 そういえば、ここ最近、ここの店長をこのビルで見かけていないような?

 私は暇なときはビルの清掃をやっているから、昼にビルを出入りする人間は大体把握している。会えば挨拶するし、世間話をすることもあるから記憶に残るのだ。

 さらに言うと、私は別のキャバクラでここの店長を見かけたことも思い出した。キャバクラ店長同士というのは不思議なもので、敵対関係になることもあれば、友情が生まれることもある。ここの店長も友だち付き合いを始めたのかなと思ったのだが。

 なにやら裏がありそうだ。


「でもさ、子供の運動会なんだったら夜は出勤できるよな?」

「どうですかね。多分休むんじゃないかと」

 いやいや、とオーナーは手に付いた殻を払って、苦笑いを浮かべた。

「俺だってさ、仕事を休むなとは言わないよ。家族は大事にしなきゃな。でも店は毎日開けなきゃいけないわけだからさ」

「ですよね。いや、いつもは店長いるんですけど、今日はたまたま」

 副店長の慌てぶりから察するに、おそらく店長は欠勤が続いているのだろう。それをオーナーは知らず、副店長は隠したがっている、ということだろうか。

 私が副店長に視線を送ると、彼は素早くまばたきしただけで、意味のある視線は返ってこなかった。とぼけているのだろうか。


 ユウゲキ不動産で見聞きした過去の話などから推測するに、店長は他店で黒服のバイトをしているのではないかと思う。きっと何かしらのトラブル(たとえば愛人から高級バッグを買ってくれなきゃ不倫を暴露すると脅されている)があって、緊急事態に陥っているのだろう。もちろん私の勝手な推測だけど。家賃の滞納もそれ絡みなのかな。家賃分を横領しちゃったとか?


「ところで、ノゾミン、店長と話って何? オーナーの俺じゃ駄目なやつ?」

「えっと」

 副店長には悪いが、ここで嘘はつけない。

「実は来月分のお家賃がまだ振り込まれていなくて」

「え、そうなの!?」

 オーナーが副店長に目を向けると、副店長は酸っぱい物でも食べたような顔になった。

「いや、振り込ん……多分振り込み……何かの間違い……いや」

「どういうことだよ!? 店のことは店長に任せてるんだからさ、そういうのしっかりやってくれなきゃ困るよ。おまえも副店長なんだから責任あるからな」

 副店長は、はあ、はあ、といいながら頭を下げるばかりで、はっきりした事情説明を避けた。

「帳簿を見た感じでは、支払いに困るような状況じゃなかったぞ。なんで家賃払ってねえんだよ、ああ?」

 だんだんオーナーの口調が荒くなっていく。副店長はいまにも死にそうな顔だ。

 しょうがないなあ。

「きっとお忘れになっただけなんじゃないでしょうか。うちのお客さんって基本的にお家賃は自動振替じゃないから、うっかり振り込みを忘れることってよくありますし」

 私がそう言うと、副店長はぎこちなく頷き、オーナーは「ええ?」と疑うような声を出した。

「それでお家賃なんですけど、店長さんもいないことだし、今日のところはオーナーさんに支払っていただけませんか」

「それは構わないけどさあ」

 そこまで言って、オーナーは再度すごんでみせた。

「本当に忘れただけか? 使い込みとかじゃねえのか?」

 副店長はぶんぶんと首を横に振っている。

 オーナーはしばらく黙って考え込んでいたが、大きく息を吐くと、私に向かって、「手持ちの現金じゃ足りないから、ATMに行ってくる。悪いけどちょっと待ってて」と言って、店を出ていった。



 店内に私と二人きりになり、副店長はあからさまにほっとした顔になって、頭を下げてきた。

「ノゾミンがフォローしてくれて助かったわ」

「来月はかばえませんよ」

 私がそう言うと、再び酸っぱそうな顔をした。

「来月は絶対に滞納しないでくださいね。でないと店長はいつもお店にいないってオーナーに告げ口しちゃうかも」

「か、勘弁してよ。来月は滞納しないよう厳しく店長に言っとくから」

「店長、よそでバイトしてるんですよね?」

「……絶対内緒にしてくれよ。どうしても金が要るらしくって」

「オンナ関係ですか」

 副店長は苦笑しつつ頷いた。やっぱりか。まったくもう。

「お家賃も、店長さんが使い込んじゃった感じですか」

「どうかなあ、俺としては違うと思いたいけど……でも多分やっちまってるんだろうな」

「店長さん、このままだと水死体になっちゃいそうですね」

 店で不義理をした店長は、手足を拘束されたのちに海や川に放り投げられると聞いたことがある。もちろんこんなのジョークに決まっている。

 だが、副店長は笑ってくれなかった。


 すぐにオーナーは戻ってきた。キャバクラひしめくこの新陶しんどうの街にはコンビニも多いのだ。私は滞納分の現金を受け取り、さらに滞納のお詫びとしてコンビニで買ってきてくれたリンゴ味のグミを遠慮せずに受け取ってお礼を言うと、にっこにこの笑顔で店を出た。

 こうやってお詫びを添えてくれるところが、さすがサービス業の人たちは違うなと感心する。滞納のお詫びとして渡されるお菓子のおかげで、私はオヤツを買わずに済んでいるのである。


 その後、何店舗か回り、現金の回収を終えた。最後の店で、キャバ嬢を車で迎えにいくという運転手係の黒服と一緒に店を出て、路上で別れた。


 外はすっかり日が落ちて、空が暗くなっていた。

 見上げても星なんか見えないけれど、人通りが増え、電飾看板に電気が通り、街頭ビジョンにはにぎやかな宣伝が流れ始めた。星は上ではなく、ここにあるとばかりに輝いている。

 スマホの時計で確認してみた。時刻は夜7時すぎ。ちょうどよい頃合いだろう。

 さて、次はマンションに行かねば。まだ若いのに家賃を滞納しちゃうダメダメな男子大学生に突撃だ。


 あ、その前に一旦帰社して、マンションの鍵を取ってこないと。

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