第15話 化け物と呼ばれる力(3)


 気づけば、俺は崖の下であおむけに倒れていた。

 木々の葉の隙間から見える空は大半が橙色に覆われていて、その端では薄紫色になっている。

 目覚めてすぐはなぜ自分がここに寝転がっているのか理解できなかったが、体中の痛みや、すぐ横にそびえている急斜面の崖を見て意識を失う前の記憶がよみがえり、すぐに「なんで俺生きてるんだ?」という疑問に変わった。


 その後は体が動かせない分混乱する頭をフル回転させていたところを、自分を探してくれていた大人たちによって家まで抱えてもらうことになった。


 しかしその道中で俺だけではなく白蓮の姿もなくなったことを聞いて、身体の血の気が滝のように流れていく感覚に頭の中が白くなり、危うく抱えてくれていた大人の背中から崩れ落ちそうになった。


(俺の、せいだ……)


 自分の家の中で知らせをまっていると、間もなくして白蓮が見つかったという知らせを受け良かったと安堵しかけた。でもその後に大人の口から続いた白蓮の様子と、化け物だと皆が口々に言いあいつを忌み嫌うようになった姿を見て、しばらく心が奈落の底に落ちた気分になった。


 それからというもの、白蓮は村に降りなくなった。村人たちも子供たちを無駄に怖がらせるようなことを言って山に近づかせなかった。

 確かに、白蓮の不思議な力は人間のそれと違っていることに怖くないと言えば噓になる。でも、自分がそこまでひどい傷を負わなかった、なにより死なずに済んだのは白蓮のおかげなんだ。俺があいつを巻き込んだ。あいつは自分を犠牲にしてでも助けてくれた、本当に優しい奴なのに。それがわかっていて、でも声だかにそのことが言えない自分がひどく憎かった。


(俺がもっと強く鍛えていれば少しは変わった……?)


 暗い気持ちを自分の中から追い出すように、何よりもし『次』があるのなら今度こそ誰かを巻き込まないように。そう決心して、俺は日々鍛錬を積むようになった。

 時には適当な理由をつけて、怖がる友人たちを引き連れて白蓮の様子を見に行ったりもした。一緒に暮らしていた婆さんも亡くなり一人静かに暮らす白蓮の姿を見て、罪悪感がずっと胸の中をくすぶっていた。


 そんな中、化け物の噂を聞きつけた他の村のやつらもこっそり山に入って勝手に怖がり逃げていく姿を見ているうちに憤りも感じてきて、いつしかあいつが傷つかないならこのままひっそり過ごさせてやった方がいいんじゃないかと思うようになって、近づく輩は皆忠告して追い出すようになった。


 だから、翔輝とかいうやつも同じように追い出そうとした。本当はなんとなく他の村のやつらとは違うことくらい見ていて分かっていた。白蓮もどこか気を許しているようだったから。でも、なんだかそれが悔しくて、あの時は強く追い返そうとした。だって


「お前は許されない」


 頭の中に声が響く聞き慣れた言葉。まだ声変わりが始まったばかりの未熟な声。

 誰かに似ている。


(……あぁ。自分か)


 ふさぐ気持ちからとうとう自分の心の声まで聞こえたか。思わず自嘲する。


「あいつはお前を憎んでいる。お前があそこに隠れようとしなければ、はくは人に紛れて生活ができたかもしれないのに」

「…そうだ。俺があの時、あんなところにいなければ、はくは――」

「優祥」


 優しい声音、そして聞き覚えのある声に思わず肩が上下する。そして頭を下げていたために自分の足しか見えていなかった視界をゆっくり持ち上げると、漆黒の空間を背景に人が立っていた。


「え…、はく…?」


 白蓮は呆ける俺を見て微笑んでいた。

 久しぶりに見るその表情にいつもなら心躍らせるが、今はなぜかその真逆の心地が心を占める。


「もういいよ」

「え?」

「もう深く考えてくれなくていいよ。もう十分だから」

「十分…?」

「うん。ずっと罪悪感を抱えてくれてたんだね」


 白蓮はゆっくりと歩を進めさせながら近づいてくると、すっと静かに座ってきて思わず数歩後ずさる。その瞬間、少し白蓮の顔に影が差して焦るが、すぐにやや悲しげなほほえみを向けてきた。


「私、嬉かったんだよ。優祥が頻繁に遊びに来てくれてたの」

「嬉し、かった?」

「うん。おかげで少し元気になれた」

「……俺を憎んでいないのか?」

「だからさっきからそう言ってるでしょ。まったく、優祥はほんと責任感強いよね。…あぁ、そうだ。優祥の心も軽くなる方法を一つ教えてあげる。もしそれでも気が引けるというなら…――」


 すっと白蓮の右手が俺の頬へと近づいてくる。そして






「オ前ノ体ヲヨコセ」







 白蓮はそういうや否や、その細い手からは想像のできないほどの力で首を締めあげてきた。

 予想していなかったことに息を吸う時間もなく、すぐに肺から新鮮な空気がなくなる。


 目の前で今までに見たこともないようなゆがんだ顔で笑う白蓮の姿に、先ほどまでの寒気が気のせい出なかったことを思い知る。必死に両手を白蓮の姿をした化け物の手と首の間に挟み込み、少しでも気道を確保しようとするが、その隙間さえ作れず、ただその手をひっかくことしかできない。


(や、べぇ…、意識が)


 薄れゆく意識のなか、とうとう両手が力なく垂れさがる。


(結局こんなところで終わるのか)


 思えばここがどこかもわからない、そんな場所で一人、化け物に殺される。

 あんなに毎日鍛えても結局最期まで何の役にも立たない。もっと自分の両手両足が動けば、一撃でも目の前の化け物を殴れたのに。そう思うと、目の前がグニャリとゆがんだ。


 白蓮の姿をした化け物から黒い靄のようなものがあふれ出て、俺を包み込もうとしている様子が視界に入るが、もうどこにも力を入れることができない。


(ごめん。……ごめんな)


「は…く…」


 そんな時だった。





「優祥に触るな」





 パッと視界から黒い靄が消えたかと思うと、俺の首を掴んでいた化け物の腕が霧散し一気に空気が肺へと流れ込む。その空気の量にせ、のどが痛くなるほど激しくせき込んでいると、先程まで化け物がいた場所に別の影が現れた。


「……ハク?」


 見慣れたものより少し大きくなった背中。短い艶のある黒髪が、片耳だけにつけている玉の耳飾りを見え隠れさせるように微かに揺れている。


 先程と比べ心が落ち着く感覚と、突然現れた本物の白蓮の姿に頭が追い付かず呆けていると、俺のかろうじて出せた声に反応した白蓮は、コクッと一つ頷き返した。


「ジャマ、ジャマ…」


 男とも女ともわからない混ざった声が聞える。

 白蓮の立つさらに向こうには未だ白蓮の姿をした化け物が、なくなった腕を抑え、顔をひどくゆがめながら静かに見つめている白蓮を見返していた。


「オマエ、マタ…。嫌イ。ジャマ…。オマエモ消エロ…!」


 そういうや否やどす黒い赤色の瞳を発光させ背中から複数の黒く太い腕を現すと、一斉に白蓮へと伸ばした。白蓮はその手を難なくかわし、手持ちの札で妖の腕を消しながら距離を詰めると、とうとう妖の体にも札を貼って動きを封じた。


 白蓮は妖から目を離さないままゆっくりと近づくと、手を差し伸べた。


「さぁ、帰りましょう」

「……キエロ、キライ…!」

「ここは暗いですよ」


 話が通じていない相手に対し、白蓮はなおも手を伸ばしたまま言葉を続ける。


 何を言っても怯まず近づいてくる白蓮に流石に怯みの色を見せた妖は、小さな抵抗と言わんばかりに、後ろへ下がろうと体を左右に動かした。


「……ッ、帰ル場所、ココ。上、キライ。…行カナイ……コワイ」

「――…そう言って、また動かないつもりですか?」


 妖は目を見開く。そのどす黒い赤の瞳は小さく左右に揺れていた。


「後悔する気持ちは中に押し込めるのではなくて、前を向くためのもの。怖いからと殻に閉じこもっては意味がないと思うんです。後悔を糧に動いて進まなければ、残るのは暗くて寒い孤独のみですよ」


 白蓮は伸ばした手を少しおろしてその場にしゃがむと、小さくなろうとするかのように体を丸める妖へ微笑みを浮かべた。


「今のあなたに足りないのは動く勇気です。大丈夫。一緒にいます。責任もって連れていきますから。…もうお互いを放してあげましょう」


 1人の後悔も残さず還します、と。

 小さく、でもしっかりと言葉を続けた白蓮に、妖は静かになってただじっと見返していた。そして小さくコクっと頷き白蓮の伸ばした手をとると、目元を和らげて目を閉じた。


 妖から黒い靄が取り払われ、それらが白蓮の身体へと吸収される。代わりに妖の身体が微かに光り輪郭がボヤケてくると、ポワッといくつかの白い球体となってあたりに舞った。


 周りの黒かった背景が白く澄み切ったものに変わる中、複数の白い球体がゆっくりと、どこか楽しげに上へと上っていく。


 俺は重くなった瞼の隙間から見えたその光景を多分一生忘れないと思う。






 ☯☯☯☯☯


「これが、か」


 突如、妖が光を放ち始めたかと思えば、複数の小さな球体となって空に溶け込んでいくという神秘的光景を目のあたりにして、村の男たちは喜びの声を上げた。

 そんな中、妖がいた場所で眠るように目を閉じ横たわっていた白蓮を抱き起こす翔輝を横目に秋嵐は呟くように言う。


「妖の陰の気を吸い込み養分とする、唯一生身の身体を持った陰の化け物…」


 水晶と秋嵐の目には、喜びなどなくてどこか冷たい。2人のその言葉は、村人たちの喜びの声で静かに消えていった。


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