第15話




「辺境伯に確認したんだ。あなたの母君に犬歯があったかどうか。なかったと断言された。」

「犬歯?」


 いきなり歯の話になりセレスティアは面食らってしまった。


「ティア、あなたも犬歯がない。これは珍しい遺伝なんだ。あなたの母方のデリオス家に問い合わせたけれど一族にそういう遺伝があると返答が来たよ。あそこは同族婚が多い。血が濃いんだ。だが叔母君には犬歯があったという。稀に違う遺伝をもつ子が生まれるが、そういうところでも叔母君は嫌われたのかもしれないね。」


 母方の一族は犬歯がない。それなのに叔母には犬歯がある。それは生まれつきでどうにもならないのに嫌われる。


 親に似ずに毛色の違う子供が生まれる。妖精のいたずらに例えて取り替え子チェンジリングと呼ばれる事もある。

 それが実子であってもその言い訳の元に自分と違うからと迫害する。

 自分も母に似ていなかった。自分のせいではない。だから身に染みてわかる。辛いことだ。


「デリオス家一族から外に嫁いでも犬歯のない子が結構な数で生まれているそうなんだ。つまり犬歯がない、というのは優性遺伝子。そして辺境伯には犬歯がある。辺境伯のご両親も犬歯があった。」

「‥‥ええと、それは重要なこと?」

「うんとても。」


 セレスティアは自分の歯を触って確かめる。そう言われれば確かに犬歯がない。気にしたこともなかった。

 セレスティアは激しく混乱する。ということは?


「叔母君と母君は姉妹。だけど叔母君は珍しく犬歯を有しフォラント家が犬歯を有する家系である以上、叔母君と辺境伯との子供には必ず犬歯が出る。ここでは犬歯は劣性遺伝子となる。」

「ごめん、よく‥‥」


 イデンシ?レッセイ?なにそれ?

 頭が更に混乱してきた。


「遺伝とはそういうものなんだよ。ここではそう理解してくれればいい。」


 カールがセレスティアに優しく微笑んだ。


「ティア、あなたに犬歯がない。母君にもなかった。これは事実。遺伝上、叔母君があなたの母ではありえない。つまりあなたは母君の本当の娘と僕は断言する。記録からはわからないけれどこれは間違い無い。だから一つ目の説は無くなるんだ。」

「‥‥‥それは‥」


 カールがあっさりと肯定した。私が母の娘だと。あまりに母に似ていない自分は本当に母の娘なのか、ずっと自分を苛んできたことなのに。


 安堵する一方で———


 では‥ではやはり‥‥


「‥では叔母は私を殺そうと?」

「それがそうでもないんだよ。」


 カールがついとセレスティアに顔を向ける。


「ティアから聞いていた叔母君の人物像と仮説がどうしても合わないんだよ。何かすっきりしない。それがどうにも気になってね。色々調べたけどダメで、手詰まりで仕方なく弁護士を叩いてみたんだ。」

「弁護士?叩くって?」

「叔母君の遺言を扱った弁護士の口を割らせようとしたんだ。だけど、これもなんとも固くて何を言っても脅しても守秘義務を貫いてね。困ったよ。良い弁護士だった。」


 セレスティアは耳を疑った。

 弁護士を脅した?どうやって?


「それって犯罪じゃあ?」

「まあこちらも急を要したから仕方ない。超法規的措置?」


 しれっとそう言うカールにセレスティアは唖然とする。これは普段からやっている口振りだ。


「埒が明かないからあなたの一筆を見せたらやっと応じてくれた。あまりティアの存在は出したくなかったんだけど仕方ないね。」

「え?一筆?」

「委任状」

「は?!」


 イニンジョウ?ええ?!


「サインをもらった書面があったでしょ?」

「え?あれ?!委任状?知らなかった!って委任状じゃなかったよね?それって文書偽造では?」

「使うつもりなかったんだけどね。念のためで用意したんだ。まあ結果オーライだね。」


 結果オーライ?使い方が違う!犯罪だよそれ!


「でもこれが当たった。代理人権限で全ての資料が解放されてそこでやっとわかったよ。叔母君は死の間際に遺言状の書き換えを試みたんだ。」

「書き換え?遺言状の?」

「うん、しかし残念ならがそれは法的に成立しなかった。」


 自らの死を悟り弁護士を呼んだが間に合わない。命の灯火が消えるその間際、切羽詰まり仕方なく使用人の立ち会いの元に遺言状の訂正を行った。これが不十分だった。


「病に臥して別荘に引きこもっていた叔母君の使用人は老夫婦のみ。この二人とも文字を解さなかった。よって遺言状訂正の立ち会い条件を満たせなかった。」

「え?それじゃあ?」

「病んだ体ではそこまで考えられなかったんだろうね。遺言状は訂正出来たと安堵して叔母君は息を引き取ったと立ち会った老夫婦から聞き取れたよ。」


 そしてカールは懐から一枚の紙を取り出してセレスティアに差し出した。


「叔母君の最期の直筆。弁護士から預ってきた。大変残念だが法的に有効にできなかった、あなたが受け取るのがふさわしいだろう、と。」


 セレスティアは震える手でその紙を受け取った。

 だいぶよれて読みにくいその文字は確かに懐かしい叔母のもの。



 “‥‥土地の相続者はセレスティアのみとする。セレスティアに幸あれ。”



 視界が霞む。鼻の奥がツンと痛み目から熱いものが溢れ出した。

 瞬きだけでは堪えきれずそれは頬を伝い幾重にも流れ落ちた。


「おそらく叔母君は葛藤したことだろうね。当初は強い憎悪で復讐を考えた。だから遺言状も作った。でも自分に似たティアにその境遇を重ねたのかもしれない。生きるための術をあなたに教えたのも自分のようにはさせないためだった。復讐も本当。あなたを愛したのも本当。長い葛藤の末に最期の最期で復讐を捨てた。そういう事だと僕は思う。」


 残念ならが意図に反し復讐は残ってしまったけどね。カールがそっと呟いた。


 直筆を抱きしめ俯くセレスティアはカールの言葉で救われていた。叔母の想いが伝わった。


 愛されていた。愛してくれていた。

 それは確かに自分が愛した師匠だ。

 これで叔母も初めて救われたのではないだろうか。


 肩をそっと抱かれる。その腕に甘えるように身を任せれば抱きしめられた。

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