第02話




 ガタンと揺れた馬車の中でセレスティアは目を覚ました。


 うたた寝をしていたようだ。抱えた荷物と腰の剣をそっと確認し異常がないことにほっとする。

 フードを深く被り直して自戒を新たにした。女一人旅なのにこんなところでうたた寝なんて不用心だ。乗合馬車でスリなどいないだろうが、これからは気をつけないと。


 早朝に屋敷を抜け出し、食料を買い込んだ後に乗合馬車で街を出た。


 今頃屋敷は大騒ぎかもしれない。父の性格から捜索隊が出されているだろう。追いつかれる前に街を出なければならなかった。とりあえずフォラント領から出るべく北に向かう馬車に飛び乗った。そこから従兄弟のグイリオが住む隣領に向かえばいい。彼はいつもセレスティアに理解を示してくれた。今回も力になってくれるだろう。


 だがここで問題が起こった。


 密かにコツコツ貯めた金貨でしばらくは大丈夫だろうと思っていたが誤算があった。


 まず金貨が受け入れられないこと。朝市で食料を買い込もうと立ち寄った店でそう指摘されてハッとした。そう言われれば確かにそうだ。

 こんな大金でお釣りが出せる店などまずない。金貨を使えば身元もバレる。手持ちの少ない銅貨で支払いを済ませ慌てて街を離れたのだ。


 これはまずい。身元がバレないようどこかで両替するにもそうとう大きな街の両替商に立ち寄らなければならない。そこに辿り着くまでとなると一気に懐が寂しくなってしまった。

 師匠とともに街に出たことはあったから買い物はできる。だが師匠から渡された金を店に出しただけだ。

 所詮自分は辺境伯爵令嬢か。自分の世間知らずと痛感した。


 女一人旅。これも人の目を引いた。隣の親子が話しかけてくれたがそれ以外は奇異な視線を向ける。犯罪者か家出娘、駆け落ちだと疑われているのだろうか。

 それにこの容姿だ。醜いというわけではないが何かと目を引く。同性からは凛々しくてカッコいいとよく言われるが。女性にしては背の高いせいか、自分に向けられる視線が痛いような気がして乗合馬車の奥でフードを深く被り丸まっていた。


 陽は高く登り隣町まで道中の半分を過ぎたあたりで再び馬車が大きく揺れて止まった。

 乗客がどうしたのかと立ち上がり前方の様子を窺っている。セレスティアも遠巻きに外を見やったがどうやら馬車が渋滞しているようだ。


 街道沿いで馬車が渋滞。魔物が出たのだろうか。



 フォラント領はアドラール帝国の一部だ。

 そして帝国内でも魔物が現れる。魔物は基本人と交わらないのだが山から降りてくるものがいるのだ。


 魔物は稀に人々に襲い掛かったが、その場合速やかに帝国軍が討伐隊を編成する。危険度が高い魔物には帝国の将軍が討伐に参加することもあった。

 一般民もそれに備えているし、商人であれば移動の護衛などを雇い自衛している。

 よって魔物が出ても小物であればそれほど問題にはならない。日常茶飯事とも言える。


 話を聞いていれば魔物ではなく狼の群れが出たようだ。すでに追い払われたようなのだが商人の荷馬車が橋の上で襲われたため、馬を失った馬車で道が塞がっているという。横転した荷馬車から荷物もこぼれているらしい。


 セレスティアは歯噛みする。急いでいるのに運の悪い。馬車は折り返し街に帰るという。それは困る。乗客も困った様子だがセレスティアを除く全員は一旦戻るようだ。


「旅賃の返金はできないがいいのか?」


 御者の老人がそういうが仕方ない。御者が金を持っているはずもない。


「構わない。ここから街道沿いを歩けば明後日にはドーレに辿り着く。」


 セレスティア一人が降り、乗合馬車は折り返し帰っていった。


 荷物が散乱した橋を歩いて越える。どうやら狼の仕業というには間違いなさそうだ。足跡があちらこちらに残っている。

 商人の護衛から気をつけるよう声を掛けられフードを目深に被り手をあげて応じた。


 予想外に一人で歩くことになってしまった。同じように徒歩で向かう一行が居れば同行させてもらえないか声をかけてみようか。こういう場合一人は良くない。

 橋の近くに狼の死骸はなかった。追い払っただけならまだ近くにいるかもしれない。


 夕日が長く差しだし、これ以上進むのは今日は無理だろうと思ったところで道が二股に分かれていた。街道と細い道。旧街道だろう。予め準備しておいた地図を見て確認する。


 街道は盗賊が出る可能性もある。夜を越えるなら旧道の途中の方がいいかもしれない。夜が明ければ本道に戻ればいい。そう思いセレスティアは野営のために人けのない旧道に足を向けた。


 旧道のため道は放置され整備もされていない。昔の名残のレンガの朽ちた様が時間の経過を感じさせた。あと数年もすればこの旧道も森の深淵に沈むことだろう。

 旧道とはいえそれは鬱蒼とした森の中を歩いているようだった。辺りに明かりもない。うっすらと夕陽の光が木々の間から差しているだけだ。


 荒れた薄暗い道を一人進みながら、少し不味かったかな、と思い心細さから身震いしたところで、突然目の前に白いものと黒い塊が現れて足を止めた。


 それは闇から飛び出したように突然目の中に飛び込んできた。大きくて白い四つ足の生き物が目の前で身を低くしている。

 セレスティアは距離をとったまま大木の影に身を隠しそっと様子を窺った。腰の剣に手を添えていつでも抜刀できる体制を取る。


 こちらに背を向けた白い獣が出した唸り声は威嚇。唸り声と共に殺気をその身に纏う。

 そして正面には狼の群れ。数は見えるだけで十近くいる。先程の商隊が追い払った群れかもしれない。明らかに白い獣の方が体が大きかった。


 その唸り声に狼たちは慄いていた。白い獣が庇うように前に出る。


 庇われたものは黒い濃いローブを頭からすっぽり被り手に杖をついている。後ろ姿であったが背が高くない。だが子供というには大きい。青年と少年の間だろうか。


「いけ」


 小さい囁きとも取れる声に白い獣が応じた。


 白き獣が飛ぶように跳ねて狼の群れに突っ込む。そして易々と先頭にいたリーダーと思しき狼の喉に噛みついた。狼より優に大きい体で狼の喉笛を噛み砕く。


 甲高い声をあげてもがく狼の体を横に投げ捨てる。白い口元が赤く染まっていたのが目に鮮やかだった。獣はその血をぺろりと舐め上げる。

 同様に数匹を易々と血祭りに上げていく。半数ほどになった狼たちは散り散りに逃げていった。


 その間、ローブの子供は微動だにせずその場に佇んでいた。


 信じられない光景をセレスティアは息を呑んで見ていた。

 狼を狼が屠る。そのようなことがあるのか。そもそもが狼は人に慣れない。あのように飼い慣らすなどあり得ないのだ。それ以前にあれは狼だろうか。白い狼など聞いたことがない。


 そんなことを立ち尽くしたままぼんやりと考えていた。

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