第五章(1)…… 到着


「出入り口はひとつなんだから、そこさえ押さえてればいいのよ」


 アカネが宣言した。立体駐車場のビル正面に全国展開の喫茶店があったので、二階の窓際に接する二名席のテーブルを陣取る。


「私は怨霊持ちに見られても問題ありませんから、念のためにあっちで見張りに立ちますよ」


 スマートフォンに繋いだイヤフォンを右耳に突っ込み、通話を装う。周囲を気遣いながら、修哉は小声を出した。

「じゃあオレはただ待機するだけ?」

 本当に任せても大丈夫だろうかと思っていたら、見抜かれてしまったらしい。


「なあに、むしろ我々のほうが適任ってもんです。あれだけデカいのを背負ってりゃド素人でも見逃しようがありませんよ」


 強面に似合わぬ破顔を向けられて理解した。これは勝手に行動しようとする者をそれとなく諫める態度だ。

 このふたりにとって、自分は半人前としか見られていない。悟ったとたん、修哉は喉まで出かかった会話を飲み込むしかなくなった。


「できればシュウには、あまり疲れないでいてほしいのよね」

「そんなに警戒しなきゃいけないんですか」

 真正面からアカネに指を突きつけられる。

「午前中から夜まで集中力が続くわけないもの。体力はともかく、精神が疲弊すればつけ込まれやすくなるの、あれだけの目にあったのにもう忘れてる?」


「兄さんは接触を避けるべきでしょうな。姿を見られないように――」

 思案顔から二重の目蓋を開き、グレが真剣な口調になる。「そうですね、壁向こうにでも待機してもらったほうがいいでしょう」 

「そうよ、顔覚えられてたら面倒だし」


 矢継ぎ早に畳みかけてくる。神妙な面持ちでふたりに迫られて、思わずたじろぐ。


「……わかったよ」

「私はあそこにおりますから」


 グレは窓から見える先を指さした。人通りは多いわけではないが、それでもそこそこの通行量はある。


 決行の当日。須藤務の自宅で見た、カレンダーに丸がついていた日となった。移動には車を使い、予定の午前十時より三十分早く到着した。

 目的の建物は観光地に近い繁華街にあった。土産物屋や飲食店が建ち並び、明らかに旅行者と思わしき者たちが道いっぱいに広がって、店を冷やかしながらそぞろ歩いている。


 混雑する商業エリアの表通りを避け、裏道から目的のビルにたどり着いた。吹きさらしの鉄骨構造で、壁は最小限しかない。まるまる一棟が、駐車場として使われているのが外観から見て取れる。


 実際に入場してみると、左回りの螺旋状に各階が地続きとなっていて、上階へと車で進みながら駐車出来る空所を探す形式だった。


「七階の上階か下階かどっちに停めるかわからないなら、ちょうど真ん中あたりに停めれば両方の階を見渡せるんじゃないですか」


 螺旋状に続く上階へと車を進めると、同じ場所をぐるぐる回っている気分になる。

 修哉の提案に、アカネは怖い顔で上からのぞき込んできて「だめよ」と強調した。

 緩く波を描く髪が上方から降ってくる。一瞬だけ見上げた修哉の顔に落ち、肌を通り抜けるのが視界の端に映った。


「万が一、隣とか近くに停められたら身動き取れなくなっちゃうわよ。この建物、七階が最上階でしょ。エレベーターはあっちだし、非常口も向こう側。いざと言うときに逃げられないもの」


 エレベータホールを差してから、戻して緑と白に光っている非常口の表示を指で示す。


「車が通り過ぎちゃえば、さすがにこっちまで目が届かないでしょ。で、あたしが見張り役をすればあなたは安全」

 だから、と強調する。

「あそこに停めて。で、シュウは車の中で待機してて」


「え……六階側で待てってことですか」

 修哉の返事に、そうよ、と言ってアカネがうなずく。

「ここに停めれば壁一枚でしょ。最上階なら天井を抜けて見ればいいんだもの、どこだって一緒よ」


 有無を言わさない。毅然とした口調だった。

 後部座席のほうからグレが口を挟む。


「たぶん午前中は待機になると思いますよ。そんなに気負わんでください」


 六階の上方、壁越しが七階下段となっている場所。ちょうど一台分を空けて、二台の車が停まっていた。

 両車の合間に、バックで停車する。


 修哉は車内での待機を言い渡されて、グレが車外に立った。外部から見えないよう、姿勢を低くして待つ。

 するりと壁を通り抜けていく巨漢の姿を見送りつつ、こんな非現実にもまるで動揺しなくなった自分に気づいて苦笑が漏れる。


 車が通過する。通り過ぎるたび、運転手の確認作業を行う。しかし、平日の午前中のせいか利用者は少なく、そのうえ高層階まで駐車しに来る車はまばらだった。


 気張っていたぶん、肩すかしを食らった気分になる。


 下階からくる運転手の目線を避けるために、修哉は後部座席の左側に座っていた。アカネが珍しく、修哉の隣、運転席後部の座席に生者と変わらぬさまで腰掛ける。見れば、神妙な顔をして遠くを眺めていた。


 待つだけの手持ち無沙汰な時間。暇つぶしにスマートフォンを片手でいじりながら、一時間待った。


 十一時が過ぎて、ようやくあきらめがついた。

 グレの予測どおり須藤務は現れなかった。狭い車内で縮こまっていたせいで身体を伸ばしたくなる。


「兄さん、ひとまず休憩です。あらためて夜に仕切り直しましょうや」

 外装を通り抜け、車内に顔だけ突っ込んできたグレが表情を変えずに重低音の声でそう告げた。拍子抜けしつつも、ほっとした心持ちで修哉はうなずいた。


 次の予定時刻まではまだだいぶある。長丁場だな、と覚悟し、車から離れて階下に降りて建物を出る。

 出入り口の正面にあった喫茶店に入り、見張れる二階へと移動してきたというのが、現在までの経緯になる。


 グレはガラス窓を通り抜け、重力を無視して空間を斜めに移動し、二階から公道のアスファルトの上に立った。正面の建物の壁際で睨みをきかせる暗色の背広姿、サングラスの巨漢の存在感に、修哉は気になってアカネに訊ねた。


「グレさんがあそこに立ってて、その前を通ってるひとたちはなんともないんだろうか」

「さあ……、天然のクーラーくらいには感じるんじゃない?」


 アカネが左肩から顔をのぞかせて、さりげない口調で修哉の耳元に寄せてしゃべる。


「冷気でも発してるわけ?」

「なんだか知らないけど、あたしたちが触ると生きてる人たちは寒く感じることが多いみたいよ」


 アカネの言葉は聞きながら、修哉は注文のトレイを目の前にし、アイスコーヒーをひとくち飲んでから、軽食の包みの一部を切って広げた。


「昼はふつうに食べてもいいけど夜は軽くするか、終わるまでは食べないほうがいいかもね」

「なんでです?」

「もう忘れたの? アレにけっこうな障りをもらってたじゃない」

「――さわり?」

「悪い影響。具合悪くなるでしょ」


 アカネの言葉で思い出した。ふいに甦る。あのアパート前の暗がりで、不快な臭気を嗅いだ。脳裏に巨大な肉塊を背負って近づいてくる須藤務の姿を見て、喉がぐっと締まってえづきそうになる。


「あ……ああ、そうか。わかったよ、気をつける」

 こういうのは意外にも精神的なものより、身体のほうが先に顕著な反応を起こすものだったりする。


「時間あるし、夕方まではなにしててもいいわよ」

「でもグレさんがあそこにいるから、オレはそんなに遠くへ離れられないんですよね?」


 ぱちり、と目を瞬いて、アカネは忘れていたものを思い出した表情になった。

「そうだったっけ」

「そうだったっけって……違うんですか」

「とくに考えてなかった。わからないわ」


 ほら、と右人差し指を立て、言い訳を述べる。「あたしは人憑きだけどグレは……、もとは土地縛りだからちょっと条件違うかも」


「いまはアカネさんに憑いてるから、オレたちは十メートルの縛りが共通と思ってたけどそうじゃないかもしれないんですか」

「離れてみればわかるわよ」


 好奇心が表情に出ている。アカネの横顔をちらりと見て、修哉は表に立つグレへと目を向けた。


「やめときましょう。やるんなら、先に了解をとってからがいいんじゃないですか」

「なんで? やってみればわかるのに」

「もし、一方的に離れてグレさんがおかしなことになったらどうします?」

「おかしなことって?」

「アカネさんとのつながりが切れたとたんに我を失って、周辺を巻き込む暴走をしたりとか」

「ええ……?」


 アカネが考え込んで、ちょっとの間が空いた。「それはない、と思うけど」


「言い切れます?」

「だってそんな体力がないわよ、あのヒト。それくらいはあたしにもわかる」

 だから、と付け加える。「あたしと離れたら、たぶんそのまま消えるんじゃないかしら」

「そうなってほしいんですか」

「……」


 アカネはグレに視線を向ける。それに気づいたのか、グレがこちらに顔を向けるのが見えた。


「いまは困る……かな。今晩、あたしひとりだと荷が重いもの」

「じゃあしばらくここで時間を潰して、あとはどうするか三人で決めましょうか」

「……そうね」


 言葉の端にふわりとした放心の気配を感じた。目の端で左肩へと視線を向ける。


「やぁね」と小さく声に出す。「なんでこんなふうになっちゃうのかな」

「アカネさん?」

「どうしてかしらね」アカネは修哉を見て、心細いような笑いかたをした。「あなたを取られるのが嫌なの」


「グレさんはアカネさんの邪魔はしないと思いますよ」


「わかってるけど、どうにもならないの。変ね、ただしくんやカズくんみたいに生きてるひとが、あなたと親しげに話していてもなにも思わないのに、グレがあなたと話してると胸がすごく苦しくなるの」


 どこかおかしいのね、とアカネは自分に言い聞かせるように言う。

「あたし以外の死者のだれかが、あなたのことを考えて、協力してるって思うだけで気にくわない」


 発せられた言葉は内心よりずっと控えめで、実際は身の内から強い激情をにじませる。


 ずっと見てきたせいで察しはつく。生者に執着するから、死者となってまで現世に居残っている。アカネは修哉と良好な関係を築いてはいるが、他の死者が関心を持って近づくと憎悪に満ち、別人のように豹変する。


 拠りどころを奪われて、そのまま失いでもすれば消失に繋がる。上がるのではなく、消えるだけらしい。生者である修哉にとって、違いはわからない。だが、彼らには不本意と感じるようだった。


 アカネが抱える、焦れるような葛藤を修哉は知っていた。隠そうとしていても、切実に伝わってくるからだ。

 だから修哉は、アカネの執着にあえて気づかぬふりをして距離を保つように心がけている。


 互いを思い合っていたら、互いのために行動し合うようになる。生者と死者が依存し合う。そんないびつな関係を続けたら、間違いなく破綻する。

 アカネに乞われるまま分け与え続ければ、修哉の命が尽き果てる。確実に、寿命よりも早く。


 まさにグレが言った「生者は生者と生きるべき」の意味がわかる。

 アカネが修哉自身を守るには、なにか訳がある。だが、その理由は修哉にもまだよくわからなかった。



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