第7話 モブ兄にご都合はない

「見つかったか!」

 どたばたと貴族らしからぬ足音を立てながら応接室に駆け込んでくる当主に、妻は喜色満面でテーブルに置かれた手紙を目線で示した。隣にはヴェンデルも落ち着かない様子でそわそわしているし、封蝋などというご大層なものはなく巻き紙を紐で縛っただけだが、どうやら先に開封してはいないらしい。


 中古品のソファに腰を下ろして手紙を手に取ると、

「これは誰が持ってきたのだ」

 今は戦争もないし軍と無関係なモールデン男爵家に兵衛部逓信係が持参するはずがない。かと言って民間の郵便馬車を使ったとも思えない。追放罪で国を追われた息子がそんなものを使えるはずもないからだ。今は他国になっているとは言え、だからこそ旧本国たる王国へ手紙を出すのは難しいはず。

 その疑問に答えたのはヴェンデルだった。

「サイダルの材木商から東部森林組合の樵、王国西部の狩人から毛皮商に渡って王都の皮革組合に所属する小売商の丁稚が持ってきました」

 苦笑しながら言葉を繋ぐ。

「その流れを全て指定し、それぞれが取り分を得られるように指示書と金銭を入れた小袋を貼り付けていたそうですよ。樵、狩人、毛皮商、小売のしかも丁稚、それぞれの立場で初めて理解できる方法で各自の取り分を剥がせるようにしてあったそうです」

 その指摘に見てみると、確かにきつく結ばれた紐のあちこちに封を剥がしたと思われる痕跡があった。我が息子ながら慎重で大胆なやり方だなと呆れ半分で紐を切ろうとするが、解けるはずもなく、応接室に備えられたペーパーナイフでもどうにもできない硬さに顔を顰める。

「どうぞ、父上」

 横からヴェンデルに差し出された短刀で切ろうとするも、刃がまったく通らない。どういうことか、とよく見てみれば巻紐に書かれた「伝統手法」に気がつき、男爵家の夫人が伝えてきた組紐の結び方を逆に進めれば嘘のようにするりと解けた。逸る心を抑えながら紙を広げる。


「……サイダル西区、学者メンデルの弟子アルノ」

「アルノ?弟子?アロイスは家庭教師になったのかしら?」

 小首を傾げる妻に、読み進めた男爵は苦笑いをして疑問に答えた。

「アロイスからと分からない書き方にはなっているが。要約すると、アチェで傭兵、とは言っても後方の輜重担当だったそうだが……先だっての戦いで傭兵団が壊滅したのを機に、属領が独立する予想を立ててすぐアチェを出てサイダルに移動、メンデルの弟子となり、サイダルの材木商ファフィテア家の家庭教師になれたそうだ」

「まあ」

「さすが兄上」

 男爵の言葉に母は嬉しそうに、弟はおかしそうに笑う。

 チャンスを逃さない行動力は男爵家にいた頃から変わらない。弟である自分には及びもつかない豪胆さであった。

「シャルを修道院から引き取るにもヴェンデルの学資にも金が必要だろうから、国境交易が回復するまでに何とか都合つけるのでしばらく辛抱して欲しいと」

「そんなこと、あの子が気にする必要はないのに……」

 と妻が目頭をハンカチでそっと抑えれば、

「相変わらず兄上は人のことばかりですね。もっとご自分のことを考えてくれれば良いのに」

 と弟は憤懣やる方ないという雰囲気ながら口端に笑みを抑えきれない。

 男爵としても二人と同じ思いではあったが、実際問題としてヴェンデルの学資は用意できてもシャルロットの恩赦を得るための資金はどうにもなりそうになかった。家を没落させたバカ娘といえど娘は娘、どうにかなるのであればしてやりたいと思うのが親心だろう。

 シャルロットも既に十九歳、恩赦で釈放されたとしても前科は消えないし年齢的にも貴族の婚約者を探すことは難しい。あの美貌だから市井の町娘としてであれば引く手数多だろうが、夢見がちな娘のこと、未だに王子様王子様言っているのであれば難しそうだ。修道院で少しは物分かりがよくなっていれば良いのだが。


 そう思いながら手紙を妻に渡そうとして、ふと手触りに違和感を覚える。商務部で現場働きをしているから様々な資料を手にすることが多いが、一般的な紙と違う気がしたのだ。

 部署で踏ん反り返っている貴族なら気づかないだろうが、現場を厭わず手をインクで汚してきた男爵には明確に何かが違う、と思われた。

「あなた?」

「父上?」

 しげしげと手紙を眺め、端から端まで指で感触を確認する男爵に妻と息子が不審げな声を掛ける。だが、黙って作業を続けた男爵は違和感の原因に気づき、中ほどの端を親指と人差し指で挟んで強引に擦った。


「……まったく、アロイスめ」

 ぺり、と音がして紙が剥がれ、一枚に見えて実は貼り合わされた二枚であった中からもう一枚が現れる。麻紙ではない、薄い木材繊維紙であるからカルディナ共和国産の高品質紙だ。

 目を丸くする二人の前で手紙を取り出すと目を通す。こちらは平民のアルノとしてではなく、モールデン男爵家のアロイスからとはっきりわかる文面であった。

「アチェ動乱の際に住民帳を改竄、前科は消したそうだ。今後は王国の制限も届かないから何とか頑張って稼いでいく、と。シャルの件についても、戦争が終わったことで王家の威信回復のためテオフィル王子の立太子があるはずだから、その機の恩赦を狙えとある」

「さすが兄上……というより、なぜ他国となったサイダルでそこまで予想立てられるんでしょうか」

「シャルの恩赦運動にはシャルロット第二王女殿下を頼め、とあるな。聡明な王女だから最初から腹を割ってお願いする方が効果的、『クリステラ王国建国記について語り合いたい』と伝えられれば会ってくれるだろう……クリステラ王国?何だそれは」

 手紙から顔を上げ、疑問符を浮かべる男爵。同じように小首を傾げていたヴェンデルが、はたと思いついたように、

「姉上が愛読していた物語では。確か、まだ部屋にあったと思いますが」

「そう言えば。シャルの愛読書だから残しておいてあげるようにアロイスが言っていたわね」

「そうか、ならば念のため目を通しておこう」

 そう言った男爵が実際に目を通した結果、頭痛を堪えるような顔つきしたのは後の話。


 そのまま手紙を読み進め、

「申し訳ないがその伝言を伝えるための手段はない、父さんに任せます……それはそうだろうな、そこまで手を回していたとしたら我が息子ながら恐ろしいわ」

「王女殿下までの伝手は妹を使いますわ。あの変わり者もこの程度でしたら繋いでくれるでしょう」

「そうだな、頼む。王女殿下に会えたら、共和国が目指すのは権威を冠し国民意識と経済を統一することで領土全域を統合思想の下にまとめる絶対的権威国家である、と伝え見返りに恩赦を……」

「共和国が、ですか?」

 ヴェンデルの言葉も聞こえない風で男爵は読み進める。紙面上の制限から情報量はさほど多くはないが、そこに連なっていたのは共和国が今後行うであろう施策の予測と目指す最終統治形態についてのヒントだった。

 読み終えた男爵は、ふぅとため息を漏らして二人に伝え、眉間を揉みながら眉尻を下げた。

「アロイスが王家に生まれていればな……私には過ぎた息子だ、本当に」


 尚書部との取引でアロイスが耳打ちした通り、ナタナエル第三王子とエデルリッツ公令嬢アリアとの婚約が整ったことから公爵の憤りは治っている。木っ端役人に過ぎないモールデン男爵家のことなど思考の片隅にも残っていないだろう。ならば落とすのは王家だけで良い。

 その王家でもフェリクス殿下はナタナエル王子の婚約と同時に、責任を取る形で臣籍降下しベツルヘイム公爵となっている。家庭内の問題が片付いたことでフェリクスの件が過去のものとなっているからこその立太子であり、王家でもモールデン男爵家の罪をもはや重視はしていないだろう。

 だが、それでも商務部の小役人が運動したところでどうにかなる問題ではないから、公爵家とのしがらみがないこと、そして才媛と名高いことから口を挟んでも無視されづらい第二王女を頼るのは間違っていない。中等学院でアロイスと仲が良かったことも周知ではあるが、彼女自身の評判が、それが私情からきているものだと反発させないだけの地位を作り上げている。

 とは言え、だからこそ何のメリットもなしにただ学院時代の友人の頼みだから、と罪人の恩赦を願い出て許されるほど甘い人物でもない。見返りは必須であり、それは王女にとって金銭や権利などではなく知識であることも、アロイスは正確に理解していた。


「父上。兄上は戻られないのでしょうか」

 ヴェンデルの言葉に、男爵はちくりと胸に針が刺さったように感じた。二人には聞かせなかったが、手紙の最後にはこうあったからだ。

『これ以上モールデン家に関わるとヴェンデルも母さんも自分のことを気にかけてしまうだろうから、今後は送金だけにする』と。

 シャルには恩赦の可能性があっても、他国の人間となってしまったアロイスに恩赦はない。ましてや気づかれる可能性がないとは言え公文書偽造までやらかしている。

 いくら彼らが望もうと、彼が王国に戻ってくる可能性はカケラも存在しないのだ。

 アロイスを実の兄と慕い、今でもこうして自分を気にかけてくれていることからヴェンデルは再会できる望みに賭けている。これ以上思いを募らせないためにも、ここで完全に縁を切った方が良いという判断もまた、息子ながらあまりに出来た判断だと男爵は舌を巻く思いだった。政治に関与しない男爵家に引き取られたばかりに活躍の機会がなく追放され、他国で平民として生きていくことになったが、運と巡り合わせさえ良ければと思わざるを得ない。


「そうだな、いつか再会できる時も来るだろう。その時アロイスが自分を犠牲にしたことを後悔しないようなモールデン男爵家でなければな」

 だから彼は息子にこう言うしかなかった。






 ファフィテア材木商はサイダルでは中堅どころの卸で、さほどぱっとした商いをしているわけじゃない。ほどほど、かな。

 歴史はそれなりに長いらしくて、西方属領になる前だから百年以上は続いている店だ。とは言えそれすら別に珍しいことじゃないんだよね、何せ王国は属領経営に前のめりで取り組みはしなかったから属領前の店ってのは経営に失敗しない限り存続してる。政治的に取り潰された商家ってのはないってことだね。


 先生から紹介された時に一も二もなく飛びついたのは、もう在籍三ヶ月目でぎりぎりだったってこともあるんだけど、このほどほどさ加減が実に僕向きだと思ったからで。

 一家四人が満足に暮らせて娘に家庭教師をつける程度の余裕はあるけど、大きく投資したり贅沢に家を飾るほどではない。店を継がせる息子の家庭教師にはそれなりの学者をつけたらしいけど、娘にはどうせ嫁入りするのも商家だろうってことでほどほどの知識と教養を身につけられれば良い、と先生に言ったところ僕に白羽の矢が立ったと。いいよね、このほどほどっぷり。

 木工組合なんかじゃ国が変革したこの時を狙って政治に食い込もうとしている人もいるんだけど、そういった野心はこれっぽっちもない。生涯材木商で息子に後を継がせる際に余裕のある商売が出来ていれば良いと考える人。

 僕と同年代の息子もまたそんな父親の気質をしっかり受け継いで堅実そのものの生き方をしているもんだから、とてつもなく居心地が良いんだ、これが。

 とは言え、毎日数時間の家庭教師だけで食っていくのは難しいので、午後は店主に紹介してもらった街の剣術道場で教えてる。とにかくひとつでも職場を見つけられれば、そしてそれが組合に入ってる商店であれば芋づる式に伝手を使えるから助かるわあ。組合バンザイ!ビバ組合!

 で、その娘なんだけども、


「アルノ先生、書けました!」

 今日は文字の勉強です。

 基本的に月曜から算数、文字、歴史と哲学、科学の週四日間。残り三日は別の先生が裁縫、行儀、外国語を教えているんだとか。会ったことはないけどこれまたほどほどな先生だそうで。

 まだ十一歳だから王国だったら街の基礎教育を教える私塾に入塾できる最後の年齢だね。素直な良い子で、真面目に授業を聞いて宿題もちゃんとやる。シャルのような思わずため息が出る愛らしさではないけれど、何事もほどほどなモブの僕にはこれくらいの方が良い。西方民らしい青い目、白い肌、そばかすなどがないのはやはりそれなりの商家の娘らしいよね。背中の途中まである長い髪は明るい栗色で、ゆるく下の方をリボンで結んでひとつにしているのも家の仕事をすぐに手伝えるという意思の表れで非常に好ましいです。

 秀才と呼べるほどでなくとも、一生懸命学んでいるから少しずつでも着実に身についている。この調子なら予定通り二年で僕はお役御免になるだろう。

 ……うん、今のうちからしっかり顔を売って次の仕事先も見つけておこう。

 と、とても良い仕事先ではあるんだけど問題がひとつ。


「うん、今回は専門的な単語もあったけど綴りに間違いはないね。素晴らしいよ、ロッテ」


 うん、そうなんだ。この子も「シャルロット」なんだ。

 あれか、僕は「シャルロット」という名前を持つ女の子以外とは知り合うことのできない呪いにでもかかっているのか。なんなのこのシャルロット率。

「えへへ。先生、次は?」

「では、この本の朗読に入ろうか。前回は概要だけだったけど、今回はブールーンの確定運命論に触れる範囲だから、わからない単語があったら聞いてね」

「はい!」

 僕の指示にも元気よく答えて勉強を嫌がるそぶりも見せない。初歩的な哲学書だからさほど難しくないものを選んだけど、普通ならこんな堅苦しい本は嫌がりそうなものだけどな。シャルなんか、僕が何をどう言っても物語しか読まなかったから大変だったのに……まあ、バカな子ほど可愛いってことで甘やかした僕の責任もあるだろうけど。


 秋を感じさせる風に髪を揺らしながらロッテの朗読を聞いていると、ついつい王国の実家を思い出してしまう。追放されたのが秋口だったからだろうか。夏にシャルがバカをやらかして、秋には追放されてたんだもんなぁ……追放されてなかったら、同じ秋には最終学年になっていたはずだったのに。

 そう言えばシャルは元気だろうか。ヴェンデルはしっかり者だから来年には中等学院の特別入試受けるんだろうな。あれから五年、まだ五年とも言えそうだけど父さんならヴェンデルの学資くらい貯めていそうだし。母さんは相変わらずぽやぽや笑っているのだろう、そうだったらいいなぁ。


「ロッテ、そこは『レ・スヴェ』で『偉大なる神』だね。前回教えた『ロン』が不定冠詞、今回は神という単一で絶対のものだから最初から定冠詞『レ』を使うんだよ」

「あ、そうか。ありがとうございます先生」


 ロッテに呼びかけて小首を傾げていた部分を指導する。古い言い回しだから読めなかったようだ。

 再びテンポよく読み始めるロッテの声を耳に、再び思い返す。

 シャル、シャルロット、ロッテ、この分でいくと次に出会う女の子もシャルロットだろうから、その子にシャーリーを使ったらフルネームも愛称も打ち止めだよ。

 ああいや、そんなことはどうでもよくて、思い出すのはシャルロット第二王女のこと。

 何とか貯めたなけなしの金を全額はたいて手紙を送ったけど、無事父さんの元に着いているだろうか。届いているのであれば父さんなら気付くと思うし、書いたことも確実に使ってくれると思う。

 が、問題はシャルロットだ。

 あの聡明な王女が僕のことを「忘れた」なんてことはないだろうけど、聡明だからこそあの内容にどれほどの価値を見出してくれるかがわからない。いや、価値は見出すだろう。問題は僕から伝える前にシャルロット自身が思い至っているかも知れないということだ。

 女性の政治参加が難しい王国では珍しく、国の在り方や王族の立ち方に興味も見識も持っていたから、あの後も研鑽を続けていれば共和国の狙いにも気づいている可能性がある。むしろ僕よりも様々な情報に近い彼女なら気付いている可能性の方が大きいだろう。

 ただ、だからと言って価値がないと断じるほど早計でもない。自分の発想を補強する二次的情報、しかも現地からの情報となればそこに価値を見出してシャルの恩赦に力を貸してくれるのではないだろうか。

 自分で言うのも何だけれども、学院では割と仲が良かったと思う。よく昼も一緒に食べたし、休み時間の度に話もしていた。

 シャルロットと呼ぶことを許されていたのも僕だけだったし、そこらの有象無象と同じ扱いはされていなかったはず。かと言って特別な存在ってほどではないけれども。

 でも、サイダル保護領にいる今の僕にこれ以上できることもない。シャルの恩赦費用を送金したいけれども、週四日の家庭教師と日々の剣術指南では食べていくのにやっとで、送金できるほどのまとまったお金はないのだから。

 母さんの実家であるフェイ伯爵家もこれ以上力を貸してはくれないかも知れないし……いや、でも僕と違ってモブではない父さんなら何とかしてくれるか。


 秋空に登っていくロッテの朗読を聴きながら、僕にはもはや祈るほかなかった。

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