第4話 見つからないモブ兄

「アロイスはまだ見つからないか」

 貴族街の端っこ、辛うじて屋敷と言える程度の体裁は整えられるようになったモールデン男爵家の書斎に、当主の声が落ちる。


 ため息をつきながら古ぼけた机の上に置かれた報告書から目を離し、応接テーブル──これまた叩き売りされていた中古品を修復したものだが、テーブルを挟んで腰を下ろしている妻と長男に視線を送ると、

「兄上は西方属領の南部から動けないんですよね。三年経ったとは言え、そう遠くまで行っていないと思いますが」

 八歳にしては利発そうな声で、継嗣であるヴェンデルが眉をひそめる。兄が追放された時にはわずか五歳であったが、それでも彼がどうして追放されることを選んだのかを理解できていた。常に自分を凡人と言い、弟の利発さを褒めてくれていた優しい兄のことだから、あのことがなくともきっと爵位継承の前には同じようにするつもりだったのだろうと思う。もちろん、あの時のような形ではなく正式なやり方で。


「あの子を探せるようになるまで三年かかってしまったのがいけなかったのかしら。アロイスは賢く強い子でしたから、追放されたヘプトンに留まるはずはありませんけど、そう遠くにも行けないと思いますし」

 そう、追放された街に留まることはあまりよろしくない。

 ヘプトンは都市とは言えずかろうじて街、下手をしたら村と呼ぶ程度であるが、だからこそ追放者は自らの反省を示すためにより悪条件を自ら求めてすぐに街を出るのが暗黙の諒解である。自ら追放になることを選んだ彼がそんなことを知らないはずもないから、護送馬車から降ろされた後、すぐに近隣のより小さな街や村を目指しているはずだ。

「心配なのはディテルベ地方が完全に陥落して、南部にまで火の手が及び始めていることです。兄上が巻き込まれていないか……」

 不安げな眼差しを向けてくる息子に、父もまた目元に影を落とす。




 何とか貴族としての体裁を整え、人を使って属領南部で息子の足取りを追わせる金を用意できるのに三年かかってしまった。その間に昨年から始まった属領北部へのカルディナ諸侯による侵攻が激化し、北西部は陥落してしまっている。

 長い平和と安全な統治の下で弱体化した軍と、それに伴い在り方を変えてしまった傭兵たちがタイミング悪く噛み合ってしまった。その上、敵であるカルディナ諸侯は民族感情を煽るという今までにない手を使ってきたことに加え、彼ら諸侯軍に属領民が呼応して更に燃え広がるという事態になってしまっている。王国本国まで攻め込んでくるようなことはないだろうが、どの時点でどこまで割譲すべきか、賠償金の交渉は誰が当たるのかというくらいには王国も弱腰になっており、実質的敗北になることは確実だ。

 ただ、封土を持たないモールデン男爵家としては敗戦などは正直なところどうでも良い。この三年の献身的勤務が評価され商務部内ではあるものの部署の長には昇進できたが、そこから先は完全に閉ざされているし、その程度の宮廷官吏には戦争の結末はさほど影響しない。

 気になるのは息子が放逐された場所と戦場が重なりつつあることだ。無理やり繋がりを求めた程度の血縁関係しかないけれども、八歳まで流浪民同然の暮らしを送っていた割に優秀だった長男に父は非常に満足していたし、母は愛情を持って接していた。このような現状を作ってしまった元凶たる娘のシャルロットも物心ついた後にできた兄を慕っていたし、弟のヴェンデルはいわずもがなだ。実の親子ではないことを感じさせるような関係ではなかったけれど、聡明な長子はそんな家族の思いを理解した上で振る舞い、それでも心のどこかでは家族の愛情ではなく恩であると受け止めていたのだろう。

 男爵家のために全ての罪を背負い、追放罪を自ら被った。


 ヴェンデルに見せないよう屋敷に籠っていた母と違い、父は自慢の息子が自ら選んだ道を自分の責任としても負うため、あの日は敢えて王都の北門に立っていた。

 第二王子を唆した首謀者であり、公爵家に恥をかかせた大罪人としてのアピールを自分ひとりに集約し強調させるため、アロイスは尚書部へ、王都を引き回した上での追放という貴族への罰としては重いものを自ら提示していた。家としての誇りを重視する貴族にとっては重いものであるが、八歳までは貧民であり自分を完全無欠なモブだと認識していた彼にとっては、別段痛くも痒くもないものであったので。

 演技なのかどうか、打ち拉がれたように俯きながら両手両足に鉄枷を嵌められて刑吏に引き回され、罪人の護送専用とされている北門から出て行く長男を、父は最後まで見送った。ほんの一瞬だけ視線が合ったが、表情に出さないままお礼と祈りを浮かべた深い翠の瞳を、しっかりと焼き付けている。


 その息子の心意気に応じるため、父たる自分が萎れているままであることなどできようはずがない。王と国への恭順の姿勢を強め、陰口が一掃されるくらい仕事に打ち込み、その成果を同僚や他の貴族に譲ってきた。

 その甲斐あって商務部ではモールデン男爵家の罪を口にする官僚はいなくなり、商家の登録情報や許認可資料を管轄する部署の長になったのは先月のことだ。

 まだまだ借金は残っているが、義父であるフェイ伯爵家からもそれとなく支援をして貰い何とか人を雇ってアロイスの足跡調査を依頼するにまで至った。が、やはり時間がかかりすぎたせいか、あるいは属領では本国ほど戸籍情報が完備されていないためか、所在を確認するまで追えなかったのだ。

 追放地ヘプトンからすぐに隣町へ移動し、そこで家庭教師の職を探したようだが成果がないまま街を出て、南のル=アンデルという村を通り過ぎていったところまでは追跡できた。その先にあるのは漁村ばかりで更に西へ向かえば半島の先に比較的大きな交易都市であるアチェがあるが、そこまで調査する資金を未だ準備できていないのだ。


「父上、僕の進学費用は不要です。とにかく兄上がどこにいるのか、それだけでも調べることはできませんか」

 ヴェンデルが向けてくる目をまっすぐに見返し、けれどもその提案に頷くことは出来ない。なぜなら、

「ヴェンデル。アロイスがあの方法を選んだのはお前の将来を我が家に託したからだ。特権を剥奪されて入試が必須になっただけでも不利なのだ。加えて学院に入学するための基礎教育費用がない以上、お前は試験入学の十二歳になるまでの残り四年で自力で学力を身につけねばならないし、私も死ぬ気で学費を用意する。そうして初めて、アロイスの思いに応えることができるのだ」

「ですが……」

 長男の、人を見る目は確かだったのだと改めて思い知る。

 僅か五歳のヴェンデルに素質を見たのだろう。実際、眉目秀麗で人品卑しからず、優秀な頭脳で、家庭教師もつけられない男爵家なのに同い年の子弟に比べても聡明さでは頭一つ抜けている。アロイスがここにいれば、「これぞシャルがよく言ってた主人公きゃらってやつだよ」と言ったことだろう。


「あなたが学院に入学して、優秀な成績を修め宮廷で立派な職に就くこと、アロイスが心から喜ぶのはそれだけよ、ヴェンデル」

 母からも行われる父への援護射撃に、ヴェンデルは頷くしかない。

 全てに納得したとは言えないけれども、これ以上の調査費用を捻出することが難しいことも、残り四年では学費を完全に準備することが難しいこともわかっている。貴族特権の無試験入学を使えない以上、十二歳で受験できる一般入学での試験で最優秀になり奨学金を貰うしかないのだ。

 そしてそれこそ、兄が自分に求めている道であることも十分に理解している。

「……わかりました。絶対に宮廷に入り、兄上の名誉回復を僕が成し遂げてみせます」

 八歳児とは思えない毅然とした態度を見たら、モブ兄は涙を流して喜ぶかモブたる自分との違いに唖然としながらも納得するか、のどちらかだったろう。残念ながらこの様子を見ることもできないわけだが。

「そしてフェリクス殿下を膝まづかせてやります」

 最後の一言が、やはり平民出の分を弁えた兄との違いだった。






「え、ウッソだろ……」

 いやいや、え、ちょっと待って。マジで?


 戦況が芳しくないことは掴んでたよ、そりゃね。仕事もらいに参事会行く度に聞いてたし、市中に作った人脈もフル活用してたから。傭兵にとって情報は命だしさ。

 去年の暮れ辺りから本隊からの輜重要請もなければ、もちろん金も来ないんだけど、連絡自体が途絶えがちだなと嫌な予感はしていたんだよ。でも流石に、傭兵団壊滅なんて予想外だわ。

 だってあのダンプリシャール隊長が参戦してたんだよ?それに何と言っても傭兵団、負け戦の空気を感じたら速攻で逃げるはずじゃんか。

 いやちょっとさ……マジで何が起きたんだろうか。

 同じ属領と言っても市井にはそうそう情報なんて入って来ないからやきもきするよね。敗残兵や焼け出された領民が来ない限り、その場の様子なんて知りようもないからとにかく伝手を頼って情報収集するしかない。何とかして、傭兵団がどうなったかだけでも知りたいところ。

 戦争の勝敗?そんなもんどうでもいいよ。国や領主同士の戦争なんて、戦場になった街や村でもなければ関係ないし。人間がイコール国力だから、人目当てで村が戦場になることはあっても、働ける人間がその場で殺されるなんてことはない。

 まして戦場から離れた属領南部の半島、交易設備を持つアチェが戦場になるなんてあり得ないし、万一周辺まで迫ってきても戦場選定は絶対に平野になるはず。港湾設備とか船って、それだけでも資産だからね。

 そんな訳だから戦争そのものはどうでも良いんだけど、大問題がひとつ。


「オーレル傭兵団の名前が使えなかったら仕事とれないじゃん……」

 思わず参事会の入り口で立ち止まり、空を見上げて愚痴ひとつ。


 そう、もしオーレル傭兵団が壊滅して空中分解していたとしたら。

 それを参事会が把握していたとしたら。


 オーレル傭兵団だから、と仕事をくれていたことが引っくり返っちゃうんだよ。僕が仕事を請け負えているのはあくまでもオーレル傭兵団への依頼だからであって、参事会も参事会を通して依頼する商会なども、犯罪者である僕個人に仕事は絶対に出さないし、なんなら参事会の建物に足を踏み入れることすら拒否される可能性もある。

「傭兵団が壊滅したとしか言ってなかったけど、絶対オーレル傭兵団も含まれてるよなぁ」

 自分の傭兵団だけ無事だなんて、そんな楽観的な予想はできない。騎馬隊であるグリュングレド傭兵団も属領総督府と契約していたし、もしグリュングレドが壊滅したのだとしたら歩兵である我が傭兵団は確実に消滅してる。


 まずい。

 これまずいよ、絶対。

 アチェに辿り着いて三年弱。

 一人傭兵支隊になってからだと二年ほど。

 ようやく生活できるレベルを維持できるようになってきたってのに、また仕事探さないといけないのか。探せるかな。無理だろうなぁ。

 これがモブのモブたる運命か、なんて石畳をとぼとぼ歩くけどそれを恨んでも仕方ない。モブは決して主人公にはなれないってシャルも言ってた気がするし。いや、あれはただ物語の主役に惚れ込んでただけか?

 まあとにかくだ。

 こうなると僕としては王国が敗戦してくれる方がありがたい。

 できればアチェをカルディナ諸侯に割譲していただきたい。

 欲を言えば参事会の任命権も。

 もうわかってると思うんだけどね、完全に他国になっちゃう方が助かるんだよ。王や領主の直轄地になると参事会も解体されて行政庁が置かれるからさ、どさくさ紛れに僕が記載されてる住民帳を焼いちゃえばあら不思議、追放犯罪者から已むを得ず再登録しなければならない一般市民に早変わりってわけ。それにそもそも一般市民の住民登録なんていい加減なもんだから、それすら不要かもしれないし。

 汚いと思うかも知れないけど、生きてくためにはそれくらいやらないと。座して死を待つ傭兵なんていないよ。


 どうも冬明けすぐにカルディナ諸侯は大攻勢に出たらしい。

 その前から、属領民と自らを卑下して良いのか的なアジテーションも行われていたのにはびっくりしたよ、突拍子もないことを思いつく人が諸侯にはいるんだなって。でもよく考えてみれば凄い発想だよね、血縁や地縁、契約関係は重視しても、この大陸の人間は民族性だなんてことをまず意識しない。それでも本国と属領ってのは明らかに違う訳で、そこを住民としての誇りで突いてくるなんて今まで誰も思いつかなかったんじゃないかな。

 いやー、諸侯軍でこれ考えた人すごい。

 あれだ、軍師きゃらってやつ?

 ただのモブ追放犯罪者の僕では思いもよらないよ。

 でもさ、そういう主役級きゃらがいる諸侯だったら、王国の属領でいるよりマシになるかも知れないじゃん?そりゃ僕だって期待もするってものだよ。だって現状のままじゃ最底辺から抜け出せないし、身分を何とかしないと食うにも困っちゃうんだからさ。

 幸いにも今は春。これからもっと暖かくなるから凍死するようなことはないだろうけど、できればより良い生活を目指したいのはモブだって同じことなんだよ。

 よし、頑張れ諸侯軍。

 やっちゃえ軍師きゃら。

 うん、自分で言ってても何のことだかよくわからないけど。何やら新たな戦術を生み出せる人材は、軍師として活躍させるべきらしいよ。それが軍師きゃらなんだって。シャルロットの受け売りなんだけど。


 取り急ぎやらなきゃならないことはオーレル傭兵団がどうなったのか、参事会の住民帳がどこに保管されてるのか、参事会への侵入方法と逃走経路、最悪の場合はアチェから逃げ出してどこへ行くかの目処を立てておくことかな。

 自分に都合の良いことが起こると考えるのは、何だっけ、ちーと?に目覚めた主役だけの特権らしいし。運を味方につけられるのは主人公か取り巻きのみだそうです。モブはどれだけ才能があろうと努力しようと、決して報われないからこそモブなのだとか。……まあね、モブに幸運なんて起こり得ないことは今までの人生でよくわかってるよ、ぐすん。




 石畳はとっくに終わり、足元は一昨日までの雨でぬかるんだ土に変わってきた。傭兵団支隊兼住居が街中にある訳ないからさ、こう、歩いていてそれを実感するのも切ないものがあるけど仕方ない。

 でも泥を落とすのが大変そうだな、と足元を見ながら考えていたら、

「よう、アロイス。仕事はもらえたか?」

「ああバーデンさん。いや無理無理、こんなご時世じゃおひとりさま傭兵なんかにありつける仕事なんてないですよ」

 靴職人のバーデンさん。

 ハゲ散らかした頭が春の日射しで眩しいけど、目を細めたりするとこんな見た目のくせに繊細な彼は目に見えてしょげるので、大人の対応をしておく。でも眩しい。

「そりゃお前、傭兵なんてやってるからだろ。何度も言ってるが今からでも弟子入りできるところ探してやるぜ?そんだけ学もあるんだから、いくらでも可能性はあっただろうが」

 一般の住民は僕の住民帳なんて知らないからね。

 バーデンさんの厚意はとてもありがたいんだけど、未だ王国属領であるこの街でそれを甘受してしまっては、犯罪に犯罪を重ねてしまうことになる。万が一王国が勝利してしまった場合、それが明るみに出ると不味いから今のところは慎重になっておかないとね。

「ありがたいんですけど、それでもこの仕事気に入ってるんで。あ、そういやバーデンさん、鹿皮が足りないって言ってませんでした?いくらかは何とかなりそうですけど」

 なので、お礼を言いつつも話を変える。あまり突っ込まれたくないし。

「おう、冬に狼が増えたろ?そのせいで鹿皮が組合からも手に入らなくなってな。二、三足分くらいなら組合通さなくても問題にはならねぇから、融通してもらえるんなら助かる」

「なめし職人に伝手がありまして。この間の街道警備のついでで手に入った鹿皮を頼んであるんですよ」

 ここからはひそひそ話。皮革業の組合はあってもなめし職は組合に入ってないからね。もちろん皮革組合の目があるからおおっぴらに個人契約は難しいけど、こっそり頼む分にはウィンウィンの関係になる。

 獲物が倒れた時に下敷きになって折れた矢の出費は痛いけど、バーデンさんという買取先を確保できるなら当面の生活費にはなりそうだ。

「助かるぜ。さすが不良傭兵だな」

「嫌な言い方しないでくださいよ。んじゃ、金額交渉と行きましょうか。事務所来ます?」

 そう言うとバーデンさんは変な顔つきをした。

「……お前さ、いっつも事務所って言うが、ありゃあそんなご立派なもんか?」

「……放っといてください」

 まったく、失礼な。

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