第2話 モブ兄、苦肉の策

「兄さん聞いて、フェリクス殿下がね、婚約破棄してくれるって」

「は?」


 平凡なモブから悪役モブへのジョブチェンジは、こんな妹の爆弾発言から始まった。




 そろそろ暑くなりそうだなという初夏。担当講師との面談を終えて進路に手応えを感じていた僕が夏休みもしっかり鍛錬と勉強をしよう、と意気込んで帰ってきた夕方のことだ。


「父さーん、どうしよう。シャルが妄想と現実の区別もつかなくなったみたいだ」

「なによ兄さん!本当なのよ!」

「ふむ……あ、そうか。フェリクスデンカという名前の犬か何かがいるのかな」

「違うもん」

「違う?じゃあアレか、シャルの隣の組にいるヴェホーテン伯家の次男か、あれも確かフェリクスって名前だったよな。でもなシャル、伯爵家子息には殿下という敬称はつけないんだよ。お前は知らないだろうけど」

「知ってるもん、それくらい。ばかにしないで!」

「そうか、なら国王につける敬称もわかるな」

「……うん、わかるよ」

 今の間が全てだ。絶対わかってない。

 確かに可愛いことは可愛いんだけど、頭の方は残念な妹のいつもの呆れた妄想かと思って適当にあしらいながら居間に入ると、目に入ったのは頭を抱えてどんより沈む両親。

「ただいま父さん、母さん……あの、どうしたの?」

 この時点でさっと血の気が引いたね。

 いつでも冷静沈着な父と、何があっても明るい母が暗い顔してるなんて尋常じゃない。それによく考えてみたら出迎えのメイドがいなかった。


 振り返ってみれば、どうにも今日は視線を感じることが多かったし、教室で誰からも話しかけられなかった。朝いちで進路の面談して今後の予定ばかり考えていたから、そんな明らかな異常事態に僕は気付かなかったのだ。

 え、待って。まさかシャルの言ってることって事実だった?

 とメイドの姿を探してきょろきょろと見回す僕に、はあっと大きくため息をついた父が、

「アロイス。そこに座りなさい。シャルもだ」

 頭を抱えたまま微動だにせず声をかける。

 メイドの姿も見えないからお茶も僕が淹れた方がいいのかなとか、母もいるのにテーブルに何も置かれていない様子を見ながらどうでも良いことを思いつつ現実逃避。正直座りたくない。というか、話を聞きたくない。

 とは言え逃げ出すことなんてできる筈もなく、シャルと並んで両親の前に腰を下ろすと、器用にもこちらをまったく見ていないのに気配から察したのか、

「気づいたと思うがメイドたちは今日昼過ぎには全員逃げた」

「あ、はい。何か静かだなと思いましたが……ん?えっと、逃げた?」

 もうね、言葉のチョイスが不穏でしかないよ。

 確かにうちには譜代の家臣なんていないし、メイドたちも余裕が出来てから雇用した人たちだからモールデン男爵家に忠誠心なんてカケラもないだろうけど。ただ、そうは言っても昼過ぎには全員逃げたって、見切りが早すぎない?やだ、うちのメイドたちったら優秀。

 この時点で嫌な予感は事実認定されていたんだけど、信じたくなくて恐る恐る問い返す。

「暇を出したのではなく、逃げた、んですか?」

「そうだ、逃げた。シャルから聞いただろう、フェリクス殿下が昨夜行われたエデルリッツ公爵家主催の晩餐会で、婚約破棄を宣言なされたのだ。ただの宣言ならまだ……いや、それでも非常識極まりないのだが、その場でシャルとの婚約も公言されたらしい」

「は?そんな話は聞いていませんけど……」

「私たちも知らなかった。もちろん婚約の申し出など受けてもいない」

「それでは婚約など成立しないのでは」

 そう、言ったもの勝ちだなんてことはないのだ。

 貴族の婚約というのは、どんな場末の貴族であっても正式に家に申し込み、両家が連名で教会へ申請を行い、認可された婚約届を尚書部貴族庁へ提出して初めて婚約が成立する。モールデン男爵家で婚約の署名を行うのは当主である父だから、その父が知らないということは正式なものではない。もちろん、そんな婚約未満の関係を公表するなんてことはあり得ない話だ。

 そんな僕の心中を読み取ったのか、

「そうだ、婚約など成立していない。だが王子殿下が発表してしまった以上、王家としては知らぬ存ぜぬでは済まないだろうし、何より当事者である公爵家の晩餐会で公言するという、公爵閣下の顔に泥を塗るような言動に宮廷でも大騒ぎになっている」

 顔を伏せたままの両親の顔色はわからないけれど、間違いなく今の僕と同じ色だろうと思う。

 血の気が引くとかそんなレベルじゃないよ。真っ青なんて甘い甘い、多分うちに何脚かしかない白磁のカップより白く、いやむしろもう何も考えたくないと無色透明にでもなってるんじゃないだろうか。そりゃそうだよ、三大公爵の筆頭を侮辱し、王家の威光にも影を刺すようなことをしでかしたんだから。男爵家の娘が。

 とは言え嘆いていても事態は好転しない。

 それは父も同じ考えだったようでようやく顔を上げたかと思うとシャルを見て、

「何でこうなったのか、フェリクス殿下との会話を再現しなさい。時系列順に、事実のみを詳しく」


 この場の空気をまったく読めない妹が、嬉々として語った殿下との出会いから今までの流れはこんな感じだ。


 殿下はシャルと同じ学年だから当然一緒に授業を受ける。

 中等学院は十二歳から受験資格があるが、原則としては十四歳からの三年間だから出会ったのは昨年のことだ。

 正確は素直だし見た目だけは愛らしいが、口を開けば家族としては頭を抱えたくなるお花畑加減も、王宮という鳥籠の中で家庭教師や取り巻きの貴族、侍従、護衛など大人に囲まれてしきたりに沿って生きることを強要されてきた殿下には、自由の象徴のように見えたのだろう。すぐに殿下の方から声を掛け、親しく話すようになった。

 その中で、堅苦しい自分の身上の愚痴などもだいぶ含まれていたようだ。

 もちろんうちの妹はそれに対して気の利いたことを返せるような頭の回転はしていない。何なら婆さんの挽き臼より回転が遅いくらいなんだから。

 だからシャルが言えたのは、男爵家では自由に生きて自ら結婚したいと思う人を見つけて来いという方針だ、ということくらい。そこに含まれるのは、周りに決められる生き方が理解できなくてごめんなさいくらいの気持ちだったんだろうけど、フェリクス殿下の心には刺さった。それはもう刺さりまくった。らしい。


 モールデン男爵は何と素晴らしいのか、そんな方針で育てられたからこれほどまでに愛らしく自由で天真爛漫な天使に育ったのだ、とかそんな感じのことを言っていたようだ。もちろんこれらはうちのアホ妹の言葉なので鵜呑みにすることはできないけれども、まあ似た感じのことは言ったのだろう。

 その時点でもう王子殿下の心はシャルに鷲掴みにされていたらしく、自分が王になれるのならモールデン男爵を義父以上の扱いとして要職に就けるのに、とまで言っていたとか。誰かに聞かれでもしたら反乱予備罪でぶち込まれること確定の発言だ。妹と同じくらいアホな王子殿下は勝手にすれば良いが、うちの家を巻き込まないで欲しい。切実に。

 大体、後嗣と目されている第一王子のテオフィル殿下は非常に優秀かつ人格的にも優れており、五年も前に卒業したというのに未だ幾つもの伝説が学院で語られるくらいの方だ。よほどのことが無い限り第二王子が王位に就くなんてことはあり得ない。


 とにかく、そんなこんなな語り合いをお昼や放課後に重ね、いよいよフェリクス殿下はシャルに傾倒していった。王国の柱石たるべく英才教育を施され人格も鍛え上げられている公爵系統に年齢が近い子息がおらず、学友として配されていたのが適当な侯爵位や伯爵位の子息だったのも災いした。

 揃って妹と王子の、彼らからすれば公爵令嬢という重石を乗せられた悲恋を煽り、周りに同情と傍迷惑な熱意で燃え上がらされた二人は際限なく思慕を募らせ先日の一件に至ってしまった。


 事実を、と父さんが言ったにも関わらず、様々なお花畑妄想で飾り立てられたシャルの発言から事実を抽出する作業は困難を極めたが、そこはさすが父さんだ、以上のような推察をまとめ上げてしまった。


 さて、流れはわかった。

 わかった……が、問題は何ひとつ解決していないどころか糸口すら見えてこない。

 だってそうだろう?王子や取り巻きを諌める、それが無理なら自分から距離を置くくらいのことをしたならまだしも、一緒になってのぼせ上がったというのでは男爵家の罪はまったく減じられそうにない。

 もっとも、これは僕にも責任がある。

 同じ学院に通っていたのだから、たとえ学年が異なると接触はほどないとは言え、噂くらいには注意しておくべきだったのだから。


「これ……詰んでるんじゃないですかね、父さん」

「……詰んだな」

「降爵、じゃ済まないですよね、最下位なんだから」

「奪爵だな」

「申し訳ありませんでした、父さん、母さん。僕もしっかり学院内のことに注意しておくべきでした」

 こうなってしまったものはもう仕方ない。この先のことを考えなければならない所に来てしまっているだろう。とは言え、その前に謝罪して罰は受けて置こうと思って言ったのだが、

「いや、お前のせいではない、アロイス。お前はお前で勉学にも武芸にも真剣に取り組んでいただけなのだし、フェリクス殿下と取り巻きの令息たちが身内で盛り上がっていたことを察しろ、というのはさすがに無理があるのだから」

 父さんにそう言われても、申し訳なさの方が先に立ってしまう。

 だが、今まで黙っていた母までが、

「アロイス、あなたは立派に男爵家継嗣として学んでいました。恥じることはありません、堂々と胸を張って生きていきなさい」

 母の言葉は、もう平民落ちすることを前提としている。その上で罪は自分たちが負うから子供たちは恥じることなく生きろと言っているのだ。


 これは非常にマズイ。

 父は祖父の代に傾きかけた男爵家で育ったから、ある程度の貧乏生活にも慣れている。もちろん、平民レベルとまではいかないけれども。

 が、母はモールデン男爵家が上向きになった時に宮廷官吏に伝手を得たい、軍系伯爵家から嫁いできたご令嬢だ。現兵衛部次官であり旧近衛隊長であるフェイ伯爵家の次女だから、幾ら芯がしっかりしていて前向きで明朗な性格でも、平民の暮らしなどは出来ないだろう。心労が祟って早逝してしまう未来が見えてしまう。

 なんとかしなくては、と僕が懸命に対応策を考えているというのにシャルロットは母の言葉をどう勘違いしたのか、「はい、王宮は大変だろうけど堂々としてます!」とか斜め上のことを言っている。

 まあシャルだから仕方ない。こんな妹に育ててしまった家族の責任でもあるから、シャルを問い詰めたって今更だ。とは言え多少は足掻いてみないと。


「父さん、無いとは思いますけどフェリクス殿下とシャルが本当に婚約するとか言うことは」

「ないな。王国の歴史上、伯爵に降嫁した王女はいても王族に嫁ぐ場合は侯爵より上しかいない」

 横でシャルが「えーなんでー、私ちゃんと婚約したもん」とか騒いでいるが無視だ、無視。兄さんたち今忙しいから後にしなさい、ね。

「テオフィル殿下の王位継承権は揺るぎないですし、殿下と優劣を競えるくらいの第三王子殿下もいらっしゃいますよね。となると後嗣は安泰ですから、シャルとの婚約を成立させてフェリクス殿下を臣籍に降ろすことを選ばれるというのは」

「臣籍降下した場合、空いているのは旧公爵家のベツルヘイム家だ。伯爵や男爵なら後継のいない家もあるだろうが……王子を臣籍降下するのに伯爵以下という訳にもいかない。だが、そうなると同位貴族となるエデルリッツ公が黙ってはいるまい」

 さすが父さんだ、今にも倒れそうな様子ながらも帰宅前にしっかりその辺りは調べてきたのだろう。それに加えて、自家の晩餐会で恥をかかされた公爵閣下が第二王子とうちを許すとは思えないから、そちらへの対応も必要だろう。そのことに言及しないということは、父さんも恐らくあの手この手で伝手を探って公爵家への取次を頼んできたものの全く効果を得られなかったのだろうと思われる。


 ああ、ヤバいなこれ、本格的に頭痛くなってきたよ。

 公爵閣下の怒りを鎮めつつ、第二王子の後ろにいる王家を傷つけないようシャルの妄想でした、で済ませる方策なんて思いつかないよ。いや後者はシャルを学院から退学……もうこれは確定だろうけど、退学させてどこかに軟禁すれば何とかなるかも知れないけど、大切なご令嬢を傷つけられた公爵閣下がそれで溜飲を下げるとも思えないし、アリア様だって世迷い言をほざいた第二王子とよりを戻そうなんて思わないだろう。


 いや待て。


 フェリクス殿下は十五歳。シャルと同い年だ。

 さっき僕は何て言った?

 王太子殿下と優秀さではひけを取らない第三王子殿下がいらっしゃると言った。第三王子のナタナエル殿下は十三歳だ。アリア様と同い年。お二人とも中等学院に入学する前から評価が高い。お似合いではないか。

 フェリクス殿下はこれからどんな状況になろうと王宮では肩身の狭い思いをするだろうが、それは自業自得だ。アホ殿下にアリア様まで殉じなければならない理由などない。そのままではアリア様、ひいてはエデルリッツ公爵家の恥はそのままになってしまうから、世評での汚点は殿下だけに受けてもらうしかない。

 問題はモールデン男爵家だが、家の責任としてはもはや奪爵や父の工務部での降格は避けられない。だが、シャル一人の暴走の結果というのも無理がある。たかが十五の小娘の妄言とは言え、その責任をそれこそたかが十五の小娘にとらせるだけでは済まないのだ。もちろん、公爵閣下も納得できないだろう。


 翻って我が男爵家。

 王国の説明はしたよね。陪臣として騎士を任命することを貴族階級は許されているけど、実際には養えやしないから家名ばかりが宙に浮いてるって。貴族が領土持ちだった頃の名残だから、まあそうなるよね。

 つまりだ。

 我がモールデン男爵家も、任命できる騎士の家名を幾つか有している。男爵家の臣であっても男爵家とは別の家と見做されるから、その騎士家がやらかしたことは騎士家の問題。もちろん場合によっては任命した貴族の責任も問われるけれど、今回の場合なら何とかなるのではないか。

 最大の課題は騎士家が宙ぶらりんで、誰も所属していないことだけれど、幸いなことにモールデン男爵家には実は男子は二人いるんだよ。まだ幼いからシャルを除いて葬儀場みたいな雰囲気になった居間にはいないけどね。多分お昼寝中じゃないかな。

 そう、今年五歳になる、正真正銘父と母の血を引いたモールデン男爵家次男のヴェンデルが。


 僕とシャルが年子なのは計画的出産のせいではないんだ。

 子供が生まれなかった両親が縁戚から僕を引き取って継嗣とした。血縁関係の薄い男爵家としてはそもそも選択肢が少なく、かと言って優秀な孤児をという訳にもいかないからかなり苦労したらしい。ようやく父のお眼鏡に叶ったのが、父の祖父の妹の婿の従兄弟の孫の子供である僕だった、というわけ。これ、今更ながら思うけどほぼ他人だよね。

 まあそれはそれとして、シャルが生まれて七年経っても一向に妊娠する気配がなかったから、養子を迎えるという判断をした両親は正しかったのだろうと思う。父と母の凄さは、だいぶ間が空いて待望の直系男子であるヴェンデルが生まれた後だって僕を後継から外すことはしなかったことだ。おかげで僕は心置きなく男爵家継嗣として勉学に励むことができた。

 実の両親はとっくに死んで、僕に帰る家はない。なら空位の騎士家を継いで直系に男爵家を譲ることにしたというのはおかしな話ではないはずだ。そしてその動きを感じた養子が危機感を覚えるというのもありがちな話だろう。


 うん、実の子と同じように育ててくれた両親への恩返しも、これで出来るというものだね。もののついでだ、シャルも僕が引き取って国外追放される際に連れて行こう。子供がヴェンデル一人では寂しいだろうから、ほとぼりが冷めた頃にシャルを戻せば良い話だ。その時にはシャルの手綱を引ける程度の旦那を見つけてくっつけ、娘婿と一緒に戻して上げられれば両親の心労もだいぶ減るんじゃないかな。


 そう考えてちら、と横目でシャルを見る。

 本当に容姿だけなら一級品だ。御使いとか天使とか称されている、僕と机を並べて学ぶ第二王女殿下と同じレベルなのだから、我が妹ながら本当に残念でならない。

 なんでおつむの方だけアレな感じになっちゃったかなあ。

 これ、本当にほとぼりが冷めるまでに手綱を引ける旦那を見つけられるかな、無理だろうな。いやいや、何とかしなければ恩返しにならない。その前に国外追放された後、どうやって生きて行こう……まあそれは何とかなるか。八歳まではゴミ拾いで泥水を啜るような生活をしていたんだ、知識と教養、それに多少の武技を身に着けた今ならどうとでもなりそうだ。

 シャルの好きな「騎士物語」なんかで描かれてる主人公なら、こんな苦労も駆け上がるための階段のひとつでしかないんだろうけど、僕はモブだからなぁ。こんな人生がお似合いだろう。そもそもここまでがトントン拍子で順風満帆過ぎたんだ。


 さて、覚悟は決まった。伝手もある。後はこの僕をここまで育て上げてくれたからこそ説得が容易でなさそうな両親を、どう言い負かすかだけだ。


「父さん、僕にひとつ案があるんですが」

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