第3章 第6話


 ◇ ◇ ◇


「きゃっぁ!」

 私、庄崎朱音は人生で二度目となる、激しい衝撃と硝煙の匂いで目を覚ました。

 一度目の……異世界でお世話になっている人物の物件を吹き飛ばした時以来だ。

「いててて……ここは何処だっけ。ああ、そっか」

 ここはエデン。地球で見た宗教画の天国にそっくりな場所である。

 無菌である異世界では地球人の体を保つのに必要な細菌が無いから、神様に作って貰おうとはるばる訪れたのだ。

 そう、天国の様な場所だった。

 ……ボクは周囲を見渡して絶句する。

「……ぇ?」

 最初に見た光景は……空を断つ光。

 金色と朱色。遠くで二つの美しき破滅は混ざり合わずに衝突、拮抗して天を穿つ様に昇っていった。

「……ぅ、うぅ。何が起きたんだ?」

 平和な場所だと聞いていたが……遠くから聞こえるのは大勢の悲鳴。

 見えるのは世界の終末にも等しい光景だった。

「そ、そうだっ!……大家君、おおやくぅーんっ!」

 この世界で唯一、無条件に味方で居てくれる男性の名前を呼ぶ。

 逃げるんだ……優しくて臆病な彼の事だから、怖がっているに違い無い。

 ボクは起き上がると、彼の愛称を呼びながら大通りへ彷徨い出た。

「うわっ……」

 大勢の翼の生えた美形達……天使が人々を先導している。

 その服は汚れていたり、焦げている者もいた。

 天使は好きじゃない。神様に会おうとした時、刺々しく追い返されたからである。

 だがあの時の威勢は何処に行ったのか、焦りながら人々の避難勧告を行っていた。

「そこの人ー!……う、ううん? 貴方は?」

 ボクに向かって、一人の天使がやって来る。

 中性的な彼はボクを見て複雑そうな顔をして、次に決意する様に頷いた。

「こっちへっ!! 急がないと巻き込まれてしまいますっ!!」

「な、何が起きてるかだけでも……」

「喋ってる暇はありませんっ!! 貴方の命は一つだけ何ですからっ!!」

 怒鳴る天使に先導されて、連れられて来たのは天舟が停まる港。

 そこには数えきれない人間が居て、天使達が彼らの周囲を固めている。

 その間にも、世界の異変は続く。

 空間にヒビが入り、あらゆるモノを吹き飛ばしかねない衝撃波が雲海を揺らし……。

 雲海が抉れて消し飛べば、オマケに空から海が落っこちる。

 頂上が見えない程、大きな壁がソレを受け止めなければどうなっていただろう?

 長く異変が続けば、幾らボクでも異変の中心に気づいた。

 神と謁見できる場所だ……嫌な予感がする。

「なぁ、おいっ! そこの天使君っ!」

「え?あぁ。私ですか……?」

「君以外に居ないだろうっ!」

 人間達の名前と数を照会していた天使……ボクを此処に連れて来た彼を呼びつける。

「ボクの知り合いが見当たらないんだ」

「えーとお名前は?」

「スティール=ワーク。ボクの身元保証人だよ」

「ワーク様ですね……えぇっと」

 天使は指先で虚空に魔術式を描くと、光で出来た石版を生み出す。

 携帯端末に似ているが、イノセンス世界で使われているタイプでは無い。

 普段なら好奇心がとめどなく溢れてくるが、今は代わりに焦りと不安が溢れてくる。

「ここには居ませんね」

「おいっ! 彼は保護されてないのかっ!? まだ市街地に居るんじゃ……」

「いいえ。市街地には誰も居ないと確認しています」

「じゃぁ彼は……」

 何処に居るって言うんだ。

 大家君がボクを置いてどこかに行く筈が無い……多分。

 色々迷惑を掛けた記憶が浮き上がるが、同時に彼の屈託の無い笑みが否定する。

「もしかしたら《    》と謁見中かもしれませんね」

「あ、あぁっ! そうか。そうだよな……彼が一人で会いに行ったかも」

 天使の吐いた細い糸に縋る様に、言葉を重ねて信じ込もうとする。

 そんなボクの内心を見透かす様に、天使は続けた。

「その方が心配なんですか?」

「当然だろうっ! ボクの家族なんだっ!」

「……大丈夫ですよ。ヒュージンは死んでもすぐに蘇りますから」

 その言葉にボクは俯いて、頷くが信じられなかった。

 沢山の本にも書かれ、大家君からも同じ事を聞いた。だが生き物の命は一つだけだ。

 永遠の命も無限の命もあり得ない。

「はぁ……」

 溜息を吐く。今のボクの顔は血の気を失って真っ青な事だろう。

 又は感情の高ぶりで真っ赤になっているかもしれない。

 ボクは吐き気のする全身を、自分で抱きしめて支えた。

「……終わりましたね」

 俯いていたボクに、天使が呟いた。

 遠くで聞こえた洪水と、衝撃波を伴う大爆音が止んでいる。

「お、大家……スティ君」

 彼の名前を呼ぶ。無事なのか? 神とやらが守っているのか?

 それとも死んでしまっているのか……不安で推し潰れそうだった。

「会いたいですか?」

 天使がもう一度ボクに言う。

 その言葉に、血液が脳天まで昇ったのを感じた。

「当たり前だろっ!」

「そうですか。分かりました」

 ボクが天使を睨むと、彼はモニターを弄り出した。

 何をしてるか。文字の様なモノが見えるが、ボクには不思議と読めない。

「ワークさんの居場所が分かりました。お連れしましょう」


 ◇ ◇ ◇


「……はぁ、はぁ」

 俺は地面に座って足を投げっぱなしなまま、荒い息を吐く。

 既に《    》は去った。

 俺がしでかした破壊跡と創造物は消えていて、綺麗な雲海や柵に戻っている。

 迷惑をかけてしまった。俺は今更ながらに恥ずかしかった。

「ワーク君」

「……ラーエル、さん」

 視界に偉丈夫の足が映り、見上げるとラーエルが立っていた。

 俺の様にボロボロにはなっていない。流石は天使である。

 彼は俺の姿を苦しげに見て、顔を逸らす。

「すまない」

 止められなくて。彼は言わなかったがその心は伝わった。

「こちらこそ、ごめんなさい。ありがとう……ごめんなさい」

 沢山傷つけて。止めようとしてくれて、それを無下にして。

 俺の気持ちは彼に伝わった様だ。

 ラーエルはぷるぷる震えながら、大粒の涙を瞳に宿す。

 顔がイケメンの彼は、心もイケメンなのか?

 あんなに迷惑をかけた俺を心配してくれている。

「良いんだね? 今なら……」

「良いんだよ。俺の決めた事だから」

 俺と彼、《    》しか知らない決め事。

 それを反故にするつもりも、嫌々受け入れるつもりも無い。

 これは俺の罰なのだから。

 誰が犯した訳でも無い……俺の罪なのだから。

「分かった……そして私がもう一人謝るべき人物が来た様だ」

「いや、良いよ。あの子からは俺が言っておく」

「そんな訳には……」

 この件ではアカネさんに、なるべく関わって欲しく無い。

 きっと彼女は俺が穢れつつある事に、悲しんでしまうから。

「良いんだよ」

「そうか……」

 心苦しそうなラーエルにごめんね。ともう一度謝る。

 謝罪と許しは救いだ。それをさせられないのが申し訳無かった。

 そしてラーエルの言ってた通り、小さな足音が俺の背後から聞こえる。

「……」

「やぁ、アカネさん」

 ボロボロの俺を見下ろす彼女の顔には、信じられないと書いてある。

 その顔がちょっと面白くて笑ってしまった。

 だが俺も怪我こそ治りつつあるが、煤塗れで泥水塗れですり傷だらけだ。

 こほ、こほ。生まれて初めて咳が出た。苦しい。

「大家君っ!」

 アカネさんが倒れ込み、俺の体に飛び込んで来る。

 彼女は俺の傷まみれの体に触れようか、触れないかという所で手を上げ下げして慌ている。

 そんなアカネさんに、俺は大事な事を告げた。

「俺、やったよ。皆に迷惑かけちゃったけど……やったんだ」

「……ぁ、うぁ」

 アカネさんが震える手で、俺の上半身を抱き抱える。

 彼女は俺の傷口から流れる血を抑えようとし、手を伸ばした。

 俺はその手を制した。彼女の綺麗な手に血が着いてしまうのが申し訳無くて。

「アカネさん……話が付いたよ。《    》が会ってくれる、助けてくれるって」

 意識が朦朧としてくる。俺は生まれて初めての痛みに声が震えていた。

 アカネさんの返答も同じ様に震えている。

「何で……君はっ、何でっ!」

「……?」

「何でそんなに、ボロボロになってるんだっ!」

 アカネさんの目から、大粒の涙がぼとぼと俺の頬に落ちる。

 彼女の表情は悲しみよりも、怒りの色が強くて俺は困惑した。

「ボクが……ボクになんでっ、こんなに優しくするんだっ!」

「それは……」

「何も返して無いんだぞっ! 奪ってばっかりなんだっ!」

「うん……」

「なのにまた、こんなに傷まみれになるまで」

「……うん」

「ボクがどんな気持ちで君を探したと……」

「俺……何か、君にやっちゃったかな?」

 何とか笑おうとするが痛みで、頬が上手くあがらない。

 弱々しい笑みになってないだろうか。心配だった。

 その所為かは分からないが、アカネさんが酷く傷ついた様に見えた。

「あぁ、心配かけちゃったか……」

「そうじゃないっ! そうじゃっ、ないっ!」

「ごめんね俺は、ヒュージンだから……」

 彼女の頬に流れる大粒を、指先で拭う。

 気を付けたつもりだったけど、僅かに血がついてしまった。

「……怒る事は出来ないから、君の気持ちが分からないや」

 でも頑張ったよ。君には決して言えないけど。

 初めて悪い事をしたんだ。間違ってると周りに言われても。

 俺は正しいと思った事を、皆に反対されてもやったんだ。

 それが『傲慢』と呼ばれようとも。

「君はっ君はぁ……本当にバカだぁっ!」

「ごめんね」

 彼女を汚してしまった手で、俺はこの旅のゴールとなる門を指さした。

「行っておいで」

「大家君も行こう。神様って言うなら君の傷を……」

 アカネさんの優しい言葉。それが今日一番辛かった。

 俺は気づいた事実を胸に、首を横に振るう。

「……ラーエル」

 頼む。その言葉に彼は応えてくれた。

 アカネさんの肩を掴んで、優しく一言、二言呟く。

 彼女は僅かに抵抗する意思を見せるが、諦めて立ち上がった。

「ありがとう」

 彼女が門を開ける。

 門からはイノセンスでは決して見えない輝かしい光が溢れ出した。

 あぁ……もうアカネさんは、大丈夫だ。

「ごめんなさい……」

 中に入ったアカネさんを追いかける様に、門が閉まり出す。

 俺はその光景を、名残惜しそうに見守り続けた。

 あの溢れ出す光の先こそが、俺達ヒュージンの救いなんだ。

 世界の全てに憎まれようと、たった一柱だけは愛してくれる証。

 神の愛に応えた心正しき者。知ろうとする心優しき者だけが潜るべき門。

 だから――



 ――もう俺には開かない。


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