第9話 生徒会長の逆鱗
翌日、唯花はいつも通りに歩くことが出来る程、回復していた。
客室を出ると、三人は昨夜使った本部の入り口から出て、寮に帰った。
唯花は「学校に行く」と言ったが、昨日の今日で万が一のこともあるので、幸太郎が何とか説得し、渋々大事を取って休むことにした。
幸太郎は知らなかったが、今日は終業式の日だった。体育館で校長の話を聞いた後、部活動の表彰式が行われ、生徒は教室に戻った。だからと言って授業があるわけでもなく、連絡事項が伝えられた後、次の登校日を確認して下校となった。
だが幸太郎は1組の担任に呼ばれて、職員室に寄ることになった。
担任は、おずおずと唯花の容態を聞いた。おそらくその場に自分がいなかったことに責任を感じているのだろう。唯花が今日退院して、健康状態もすこぶる良いことを伝えると、担任はほっとしたような顔をして、幸太郎を帰した。
幸太郎はついでに、生徒会室にも寄っていくことにした。
今日はノックをした後にすぐ引き戸を開いた。
またしても筒治一人だったが、唯花に釘を刺されていたことを思い出し、用件だけを伝えて帰ることにした。
その用件(唯花が体調不良で病院を受診したことと、今は話せる状態ではないこと)を伝えると、筒治はすんなりと了解してくれた。
勿論、唯花の名前は伏せた。
「この際、その方、もう誰なのかはわかっていますけど、お話は体調が良くなって、気分が良い時で構いません。あまり強要するつもりもありませんから」
幸太郎は、筒治の話を無言で頷きながら聞いていた。取り敢えず、彼女が話のわかる人間で良かった。ちょうどそこで、話が途切れたので、幸太郎は扉に向き直った。
「じゃあ、俺はこれで……」
だが、筒治は幸太郎の腕を素早くとると、思い切り引き寄せて襟をつかんだ。筒治の目が細くなり、下から幸太郎を覗き込む。
準備をしていなかった幸太郎は完全に後手に回ってしまった。
「まだ話は終わっていません」
襟元を握る力が強くなる。
「俺はもう終わったんだけどな」
「まさか、私がただ話を聞いただけで、貴方を帰すとお思いですか?」
「何だ? お礼でもしてくれるのか?」
「逆です。私は貴方の話を聞いてあげたのですから、その分の見返りをもらっていません」
本当に頑強な女だな、と幸太郎は思った。自分としては彼女を無駄に待たせるのも悪いと思って善意からの行動のつもりだったが、筒治にとってはそれも無駄な時間だったようだ。
自分は頼んでいる側だから何も言えないが、その貪欲さにはもはや尊敬するレベルの磨きがあった。
「もう一つの方は何でも構いませんの、今教えて頂けませんか?」
「I・Cのことか」
「ええ、それ以外ありません」
おまけに今日は、機嫌が悪そうだった。それともこれが彼女の素なのだろうか。
「何か嫌なことでもあったのか?」
「話をそらさないでください。特に何もありませんよ」
「そうか、ならいいんだが」
「それで?」
筒治は幸太郎にI・Cの話の続きを促した。明らかに機嫌が悪くなっていた。
「ああ、そうだな。UDUKIって知ってるか?」
「ええ、ビタミン剤ですよね。それが何か?」
「あれはただのビタミン剤じゃない。自分自身と向き合う薬とも言われているそうだが、実際は内なる自分を無理やり表に引き出す効果がある」
筒治は反応を一切示さずに、話を聞いていた。
「I・Cにいたメンバーは、皆幼少期に何かしら深い心の傷を負っている。それをUDUKIの力で無理やり引き出すことで、その傷が衝動となって、自分を抑えられないまま暴れまわるのが、俺たち元I・Cに課された任務だった。まあ最近知ったんだがな」
「なるほど、その時貴方は自我が残っていましたか?」
「ああ、微かに自分自身を抑えようとはしていた。だけど当時はそんな絡繰りがあるなんて知らなかったから、無我夢中で暴れまわっていたよ」
「そうですか。UDUKIを飲んだときは、ご自身の体にどんな変化があるのかも教えてください。その入れ替わるっていうこと以外で」
「そうだな、飲んだ直後、猛烈な吐き気はある。その後、輪郭がぼやけた誰かと対峙するんだ」
「怖いですね。誰かはわかるんですか?」
「いや、まったく見当もつかない。だけど、何となく知っているような気もするんだ」
幸太郎は大事な部分を端折りながら、当たり障りのない範囲で話した。嘘は言っていなかった。
「わかりました。I・Cの話よりもUDUKIの話でしたが、続きはまた改めて聞くことにします」
筒治は幸太郎から離れると、荷物の整理を始めた。
幸太郎はその様子を見ながら、何となく今日までの二回の訪問で気になっていたことを尋ねてみた。
「そう言えば、他の役員はいないのか?」
自らの鞄の整理をしていた筒治の手が止まり、色の抜けた瞳が幸太郎を射抜いた。
幸太郎は急に室内の気温が寒くなったように感じた。
「今日は何の日かご存じですか?」
「終業式か?」
頓狂な答えに、筒治は頭を抱える。
「本当にわかってないみたいですね。今日はクリスマスですよ。公国にもあったでしょう」
「ああ、そう言えば今日か。てっきり忘れていた」
「そうですか。まあ、貴方がどうであろうが知ったことではありませんが」
本当に、前回が嘘のように毒舌だった。
「うちの役員は皆恋人がいるのです。ですから今日は、皆さん今頃街へと出ているのではないでしょうか」
「そうか」
「何ですの? 今私のことをみじめな女だとでも思いましたか?」
「いいや、全く」
「ええ、いいんですよ。構いません。まさにそうなのですから」
今日は自虐もひどかった。
「俺はてっきり、あんたもその類だと思っていたんだがな」
「それです。皆さんそう言うのです。皆さん、勝手に私の理想像を作り上げて、会長なら恋人もいるはずだと言うのです。そのせいか、他の男子生徒も私に声をかけるのは躊躇うんですよ」
「それは大変だな」
「本当ですよ! ちょっと勇気を振り絞って話しかければ私もなびくかもしれないのに、周りのせいでこんなことに。結果私は今日も虚しく、一人、物置のような生徒会室でコーヒーを飲んでいるんです」
部屋が片付いていないことに自覚はあるんだなと思ったが、話がややこしくなるので敢えて言わないことにした。
「だったら、今日話しかけに来て正解だったな」
「そうですね、多少は救われました。でも全然足りませんね」
「そうか、まあその分はまたの機会に話そう」
幸太郎は再び扉に向き直った。だが、筒治は「待ってください」と言って、幸太郎を引き留めた。
幸太郎が振り向くのと同時に、微かな衣擦れの音が響く。
「上坂さんは、私の飢えを満たしてはくれないんですか?」
不意に、筒治はセーラーの上着を脱いで問いかけた。
「あんた、今自分が何言ってるのかわかってるのか?」
「ええ、わかっていますよ。それでどうなんですか? 上坂さん?」
「生憎だが、俺はあんたの男にはなれない」
「……そうですよね、やはり三谷さんが大事ですよね」
「なっ」
「私が知らないとでも思っているんですか? 私はこの学校のことなら何でも知っているんです。何だったら不都合なこともある程度は処理できるんですよ?」
「それは脅しか?」
「いえ、あくまでも自分にはそういった権限があると主張したまでです」
「だが、そんなんじゃ、いつまで経っても男は寄って来ないんじゃないのか?」
「っ……貴方、もしかして性格悪いんですか?」
「そっちこそ、さっきまでの淀みない敬語がどこかに行ってしまってるぞ」
「別に、貴方にどう思われようと構いません。だってこれから、貴方か三谷さんのどちらかはこの学校を去ることになるのですから」
「完全に、とばっちりだな」
「だってしょうがないでしょう。私が今この苛立ちを治めるには、貴方が私の男になるか、この学校をやめるかの二択しかないんです」
「あんた、男だったら相手が誰でもいいのか?」
「別にこの際、誰だって構いません。たまたま、貴方がここに来たから、貴方に声をかけたまでです」
「とんでもない女だな」
「ええ好きなだけ言いなさい。それで今日は私と居てくれるんですか?」
「断る」
「では、貴方か三谷さん、どちらが退学になるのか、あみだくじで決めましょう」
筒治は、その辺にあった紙とペンで線を書き、「あみだくじ~」と歌いながらペンを走らせた。
どうしようもない女だな、と幸太郎は思った。どうしたわけか無性に筒治に仕返ししてやりたくなって、気づけば口に出ていた。
「ベルトリエが聞いたら悲しむな」
筒治の手が止まった。ペンが紙の上でカタカタと震え、彼女の力が込められたそれは真っ二つに折れた。血走った目が、幸太郎を睨む。
「どうして今、その名前が出るんですか?」
幸太郎は筒治が軍人の娘ということで、その上司に当たるベルトリエの名前を出せば、少しはひるむだろうと、そんな感覚で彼の名前を出した。
「別に。今俺はベルトリエのおかげで学校に通えているからな。そうでなくなったら、あいつが悲しむと思っただけだ」
幸太郎が「ベルトリエ」の名前を出すたびに、筒治の眉がピクリと上がる。
「そっか、上坂さん、あいつの庇護下にあるんですね」
筒治はしばらく窓の外を見た後、視線だけこちらに寄こして言った。
「まあ、そうとも言える」
「もしかして、三谷さんもそうなんですか?」
「それについても、そうとも言えるとしか答えられない」
「そうですか」
筒治は再び、窓を見ると全身を脱力して幸太郎に言った。
「興が覚めました。もう帰っていいです」
幸太郎は何も言わず、外の街灯を眺める筒治を置いて、生徒会室を出た。
今日の印象だけで言うなら、唯花の言っていた話は本当みたいだ。おおよそ、学校を追いやられた生徒も、何らかの理由であの唐突な逆鱗に触れたのだろう。それにしても、今の数十分だけでどっと疲れたな、と幸太郎は思った。
早く家に帰って、唯花の顔を見たい。今はそんな気分だった。
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