新たなステージへ

「昨日の件、謝ってもらうまで僕はぜーったい忘れないからな」

「はいはい」

「え、何のこと? あたしにも教えて!」

「マイマイには内緒でーす」

「え、えびちゃんめェ。あたしをのけ者にするつもりかァ」

「にっしっし」

「……とりあえず集中、もう時間だ」

「「はーい」」

 彼らはいつも通り、店の奥から小さな舞台へ上がる。

「待ってました!」

「夏休み最後の舞台、見に来たぞー」

 店主のミッチは接客をしながら苦笑する。いつの間にかじわじわとリピーターを増やし、夏休み終わりで最後かもしれないということもあり、何と本日はこのBERには珍しく満席、それどころか立ち飲みで良いから、と立ったまま観に来た客もいた。

 島民、船の人間、ほとんど身内のようなものだが、それでも大したものである。

「では、一曲目は定番のポップソングで――」

 ド定番のJポップ、軽快なドラムに合わせてキーボードとトランペットが色づけしていく。ボーカルがいなくとも問題がないほど、彼女たちの音は強い。

 海老原初音のドラムは元々力強かったが、今はそこにしなやかさも出てきた。より強く、より速く、何よりも正確に叩けるようになっていたのだ。長身、長い手足から伸びるスティックの躍動は、聞くだけではなく見る者をも圧倒する。

 青柳健太郎のキーボードは何も言うことがない。クラシックで培われた確かな技術と音感によって定番の名曲をプロと同等の力量で弾きこなす。圧倒的安定感がある。

 そして、七海真生のトランペットは、健太郎のそれとは真逆の性質を持っていた。健太郎による厳しいレッスンを経て技術は身についたが、それでもなお不安定。だが、勢いと音の圧力によってそれは短所ではなく長所に変換される。

 技術と十年の努力が結びつき、手が付けられないほどの力強い『音楽』を彼女は手に入れていたのだ。

「……こうやって聞くと違う曲みたいだ」

「マイマイめ、また腕を上げたな」

「にわか野郎が。初音ちゃんのフィルインあってこそだろーがよ」

「んだとやんのか」

「上等だこら」

 いざ掴み合いの喧嘩、となるところをミッチに肩を叩かれド突かれる二人組。そんな喧騒など意に介すことなく、三人は肝の座った演奏を見せていた。

 マイマイと初音、調子に乗ってアドリブをかますぐらいには余裕がある。その度に健太郎が射殺すような眼で二人を睨むのだが、まあこれもいつものこと。

 この三人には聞かせる力がある。それはもう、この人入りが証明しているだろう。

「ちわす、ミッチさん」

「おう、エビゾーか」

(ちょ、親父ィ⁉)

 突如店に現れた父親の存在に、心を大いに乱されるもスティックは乱さなかった初音。ここにきてトランペットやピアノの音に囲まれながらも、揺らぐことなくリズムを刻み続けてきた経験が生きる。

 むしろマイマイの方が驚いてミスをしてしまったのはご愛敬。

「どうだ、テメエの娘の演奏は?」

「……俺ぁ、海のことしかわからないんで、何とも言えねえです」

「良いんだよ。音楽ってのはプロが演奏して、素人が聞くもんだろ」

「……あれが何かに打ち込んでくれていたら、俺ぁ、それで、満足、です」

「おい、俺の店で泣くなよ。娘の前だぞ」

「な、泣かねえですよ」

(なんか親父、凄く睨んでくるし、眉間にしわ寄せまくってるし、何なんだよもう)

 親の心、子知らずとはこのことである。

 さらに七海家の父母もこっそり現れ、その瞬間マイマイが盛大にとちったのだが、見事健太郎と初音がフォローして傷は最小限に防ぐことが出来た。もちろん、本来であればあとでねっちょりした健太郎の説教がマイマイに襲い来ることになるのだが、今回はそうならない。

 夏休み最後の舞台、健太郎は休学しておりまだ帰る気はないのだが、二人には明日から学校が待っている。これまでほどの練習時間は取れないし、彼女たちに付き合うのでなければ健太郎がここにいる理由も薄くなる。まだ何も決めてはいないのだが、そろそろ考えねばいけないな、と健太郎が珍しく雑念に囚われていると――

(やばい、ミスった)

 これまた珍しく、健太郎は音を外してしまう。

 しかし、その音に、ドラムもトランペットも即座に合わせてきた。よほど聞いている者以外は、今健太郎がミスをしてしまったことにすら気づかないだろう。

 まさか自分がフォローされるとは、と内心驚いている健太郎を見て、二人はにやりと嫌な笑みを浮かべていた。

 たぶん今回、説教されるのは健太郎になるのだろう。今までのお返しに。

(……たまには、いいか)

 その後、特に失敗することもなく本日も見事、ライブを成功させた三人。

「いやぁ、よかったなぁ」

「これからも続けて欲しいね」

「でも、健太郎君そろそろ帰らないといけないんじゃないの?」

「なんでも休学してるんだと」

「へえ、じゃあもういっそこっちの高校に転校してくればいいのにね」

「うちの子も吹奏楽やってるから健太郎君に教えてもらおうかしら」

「おお、青柳教室再開か」

「何すかそれ?」

 島民や船乗りたちは口々に好き放題言い合っている。そんな様子を眺めながら、ミッチは少し考え事をしていた。彼自身の目的は既に達成している。子どもの頃から知っている初音を立ち直らせること、彼らのおかげでそれは果たされた。

 特に健太郎には恩義がある、とミッチは思っていた。自らに何が出来るわけでもないが、何もせずにありがとう、だけではどうにもよくない。

 店の裏で健太郎に説教をしている二人を見つめ、その変化を与えてくれた彼にも何かを持ち帰って欲しい。彼女たちに起きた大きな変化と同じような、何かを。

「よぉ、お疲れさん」

「……どうも」

「あっはっは、元気がねえな健太郎君。まあ、ミスは誰にでもある。お前らも人のことばかりじゃなくて我が身を振り返ってみろ。健太郎君がしたミスぐらい、今日だけでも二人ともしているだろ。特にマイマイは暴走し過ぎだ。ちったぁ抑えろ」

「「はーい」」

 痛いところを突かれた二人は矛を収めざるを得なかった。

「これで夏休みも終わり、さすがに学校の手前、夜ここでライブを続けさせるってのは、まあ、あまりしたくねえな。何言われるかわかったもんじゃねぇ」

 和やかなムードから一変、突如はしごを外されて驚愕する三人。

「え、ちょっと待ってよ、ミッチさん。私、全然やるよ。親も説得するし」

「あたしも!」

「身内の話じゃねえ。周りの目、だ」

「そんなの関係ないって!」

「そもそも健太郎君はいつまでこっちにいるんだ?」

「それも今関係ないでしょ!」

「そーだそーだ! 健太郎はね、小笠原高校に転校するんだよ」

 好き勝手言う二人を無視し、健太郎だけをミッチは見つめる。

「……まだ、決めてはいませんが、少し、考えては、います」

「そうか。まあ、後悔しねえようにな。で、とにかくお前らの活動は一旦ここで終わりだ。健太郎君の考え次第では、今日が最後のライブになるかもしれねえな」

「別に、ミッチさんの店じゃなくても活動は出来るし」

「でも、あたしはミッチさんのお店が良いなぁ」

「それは、でも――」

 言い淀む初音、名残惜しそうなマイマイ、そもそも何と言って良いのかわからない健太郎、答えの無い沈黙が、この場を包む。

「で、だ。俺から一個提案したい。健太郎君の帰りの日程にも大きく影響する話だからな、一応、先に確認しておいた。嫌なら断ってくれてもいい。都合もあるはずだ」

 ミッチは一枚の紙を皆に見せる。そこには――

「毎年お祭り広場でやっているジャズフェスティバル、小さな島の小さなフェスだ。これに出てみないか? 小さなフェスでも、この島では最大の箱で、最高の舞台だ」

「ま、待ってください。ジャズは無理ですよ。今まで練習すらしていない」

 いの一番に健太郎が無理だ、と言い切る。ただでさえようやく基礎が固まって形になって来たばかりの彼女たちに、ジャズと言う演奏者にとって異質かつ極めて難度の高いジャンルなど軽々しく触れていいものではない。

 何よりも、自分にとっても自信がないのだ。

 型のあるジャンルならばある程度今の技量でもどうにか出来るが、型のないジャズと言うジャンルは未知の領域、そもそも教えられる者がいない。

「まあ、オープニングアクトって形ならジャズじゃなくても先方は構わない、と言ってくれている。地元高校生有志による、ちょっとした前説みたいな感じか」

「そういう免罪符をもって舞台に上がるのは、あまりしたくありません」

 そこは頑なな健太郎の姿勢に、どうにもあの人の影を見てしまうミッチ。

「ジャズが怖いか、健太郎君。怖いよな、今までがっちりと固められた道を歩いてきた君だ。いきなり道なき道をひた走れ、と言われても怖いだろう」

「そもそも、僕はジャズを教えられません。彼女たちに教える役が――」

「俺は元ジャズドラマーだ。十年以上それで食ってきたよ。かつかつだったがな」

「え?」

 健太郎も、マイマイも、初音も、全員が初耳の事実。

「俺が教えてやる。折角なんだ、ジャズフェスティバルだからジャズで勝負しようぜ。なに、今までやって来たことは無駄にはならねえよ。『音楽』の地金って奴はジャンルを超える。これだけ基礎が固まってりゃ、まあ、それっぽくはなるだろうよ」

 ミッチの笑み、健太郎の逡巡を見て、

「ミッチさん、私その話乗るわ」

 海老原初音は迷わず手を上げた。色々言いたいことはある。でも――

「あたしも! ジャズってよく知らないけど頑張るよ!」

 でも、健太郎の顔を見て、やる決意が固まった。バンドの件もそうだったが、ミッチは意味のないことはしない。バンドは初音のため、これは彼女自身きちんと理解していた。そのためにミッチが動いてくれたのだと、ちゃんとわかっていた。

 そして今回の件は、きっと、青柳健太郎のためになることなのだと、彼女たちは理解する。ゆえに、迷うことはなかった。

「簡単に、決めていい話じゃない。大きい箱になるってことは、それだけ色んなものが大きくなるってことだ。失敗は出来ない。盛り上げる責任もある。それを今までやって来た事とは違うもので勝負しようなんて、無謀だし無茶だ。僕は賛成できない」

「ビビってんの?」

「そりゃあビビるさ! 君たちはまだ、大きな舞台を知らないから!」

 初音の挑発を勢いよく返す健太郎。睨み合う両者。

「ねえ、健太郎。あたしさ、ライブやるのすーっごく楽しかったんだ」

 だが、そこにマイマイが割って入る。真剣な――眼で。

「あたし、大きな舞台でやってみたい。それってさ、今の三人じゃないともらえなかったオファーってことだよね、ミッチさん」

「まあ、そういうことになるな」

 ミッチの返答を聞いて、マイマイは笑みを浮かべる。

「だから……お願い、健太郎」

 本当に、こういう時、彼女はいつもずるい、と健太郎は思った。昔もそうだった。どんなに嫌なことでも、気乗りしないことでも、最後に『お願い』されると断る気力がなくなるのだ。簡単な話じゃない。しかも、後ろに控えているのはきっとプロ、高校生と言う免罪符があったとしても手傷を負う可能性は大きい。

 大きな舞台の傷は、時に一生の傷跡を残す。

 そんな目に、彼女たちを合わせるわけには――

「あんたがずっと島にいるなら、私は別に参加しなくていい。でも、近い内にいなくなるってんなら、私は絶対に参加する。絶対にね。で、どっちなの?」

「どっちって、そういう話じゃないだろ!」

「そういう話でしょ。人を散々焚きつけておいて、自分だけさっさと内地に帰るなんて、私は絶対許さない。今日で終わりは嫌、絶対に嫌だから……」

 二対一、何よりも経緯はどうあれ焚きつけたのは事実。半人前以下のくせに、先生面していたのもまた事実。このまま出来ません、さようなら、ではあまりにも――

「わかったよ、やるさ、やってやる。でも、やるからには、半端はなしだ」

 健太郎は意を決して、覚悟を吐き出す。未知への挑戦、自分にとって最も不得手とする領域であろう。いや、そもそも不得手であるかすらわからないのだ。

「やった!」

 ガッツポーズをするマイマイ。

「うっし、やったろーじゃない」

 初音もぐっと伸びをして自分に気合を入れる。

 これで話はまとまった。

「決まりだな。ジャズフェスティバルは十月の末だ。そこは問題ないか、健太郎君」

「習熟に関しては問題しかないと思いますけど学校のことであれば問題ありません」

「わかった。で、練習場所だが青柳家の防音室を借りたい。と言うよりも、ピアノを使わせてもらいたいんだ。今年は学校のピアノを搬出して使うそうでな。より本番に合わせた方が練習も捗る」

「わかりました。僕もそっちの方がありがたいです」

「お前らも放課後、学校終わったら練習だぞ。こっから休みは無いものと思え」

「よーし、やるぞー!」

「問題なし。やってやろうじゃん」

「僕も腹は括ったよ。本番まで、よろしくお願いします、ミッチさん」

「まあ任せとけ。これでも元本職、悪いようにはしねえさ」

 ミッチのしてやったり、と言う顔を見て健太郎はため息をつく。

 こうして三人組のバンドは新たなるステージへと踏み出すこととなったのだ。

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