【第三章】初音

 海老原初音(えびはらはつね)は日頃のストレスを発散するようにドラムを叩く。パワフルに、スピーディに、全身を使ってリズムを取っていた。

 中々見栄えのするプレイではある。選曲の難度もそれなりのレベル。

「はい、完コピ。次の課題出してよ、ミッチさん」

 汗を流しながら華麗に一曲叩き終えた彼女は、目の前の人物に語り掛ける。

「うるせえクソガキ。ここは放課後の盛り場じゃねえって何度言えばわかるんだよ」

「今更だし、今夏休みだし、小言は良いからさ、もっと難しい曲ちょーだい」

 悪びれる様子もなく、年齢が二回り、三回りほど上の相手に要求する女子高生。ちなみにこの場所はミッチさんこと、菅沼道夫(すがぬまみちお)が経営するBARである。彼がオーナーであり、当然酒も提供している店なので高校生が入り浸るような場所ではないのだが、彼女は我が物顔であった。

「今の曲千回叩いてから次にいけ、以上」

「ちゃんと叩けてるんだしいいじゃん」

「……ちゃんと、ね。まあ、趣味なら別にいいか。考えておくから今日はそれだけ叩いてろ。お前さんのドラムはとにかく粗いし品がねえ。ついでに地金もへなへなだ」

「出た出た。ミッチさん節」

「茶化すなクソガキ」

「じゃあ、今日はいいや。イイ感じで叩けたし」

「近頃のガキは重ねるってことを知らねえ。そんなんじゃろくな大人にならねえぞ」

「ミッチさんみたいな外見の人に言われたくないって。完全にそっちの人じゃん」

「馬鹿野郎。知りもしねえでくだらねえこと言うな。未成年はさっさと帰れ」

「はいはーい」

 初音はミッチのべたべたしない感じが好きであった。どうしてもこの島は閉ざされた環境である以上、若者が多い分他の離島よりはマシかもしれないが、べたついた関係性になりやすい。そんな中、この老人は誰にも媚びないし、カラッとしている。

 それにミッチ自身島の外に出ていた時期も長いため、話していて心地よいのだ。

 一度、外に出た者にとっては。

「あ、そう言えばさ。最近、マイのやつペット吹いてないけど、ミッチさん何か知ってる?」

「ん、ああ、マイマイか。俺も良く知らねえがせつばあの家に出入りしてるらしいぞ。何でも孫の健士郎だか健三郎だかが帰ってきたとかでな」

「けん、けん……あ、健太郎! 確か……小さい頃島に来てたよね?」

「俺が知るか。じじいの記憶力舐めんなよ」

「威張って言うことじゃないでしょ」

 初音は記憶を掘り起こしながら、ひょろひょろした少年のことを思い出していた。確かにやたら真生が懐いていた記憶はある。

 その理由に関しては一度も語ってくれなかったが。

 初音と真生は同い年で、ほんの少しだけ健太郎とも面識がある。真生ほど仲良くもないし、大した思い出もないのだが。青灯台から落として溺れさせたことだけは覚えていた。親に死ぬほど怒られたから。

「にしても、せつばあの家で何してるんだろ? まさか家で遊んでいるとかじゃないだろうし。まさかあれかな、久しぶりに再会して燃え上がっちゃったみたいな」

「あのマイマイがか? ないない。大方セッションでもしてるんだろ。何しろせつばあや綾子ちゃんの血筋だ。ピアノやってるって風の噂で聞いたしな」

「せつばあの家にピアノなんてあるの?」

「あの家、地下に防音室あるぞ」

「ええ⁉ 嘘、せつばあの家に⁉」

「……今の若いのは知らねえのか。まあ、あの人が島の子向けに音楽教室やってたのも四半世紀以上前だもんなぁ。俺も昔は色々教わったもんだぜ」

「マジか。全然知らなかった。タダでお菓子くれるおばあちゃんって印象しかない」

「俺ら世代からすりゃ逆に信じられねえよ。あの人、超怖かったんだぞ。生意気で不真面目な生徒の頭にアコギ叩きつけて海に沈めたって噂もあったぐらいだ」

「……犯罪じゃん」

「あくまで噂な。ちなみにジジイババアにこの話はしない方がいいぞ」

「なんで?」

「クソ長い武勇伝を聞く羽目になるからな。どんだけせつばあが怖かったか、厳しかったか、そしてどんだけ上達したか、そんな話を延々に聞かされる。嫌だろ?」

「あっはっは、確かにきついかも」

「まあ、今は色々あってあの人も音楽には触れてねえ。かわいい孫が来ているから開けただけで、あっちに戻ればまた閉めるさ。したらマイマイも活動再開するだろ」

「ふーん。まあいいや。また来るね、ミッチさん」

「二度と来るな、クソガキ」

 ミッチの口撃もなんのその、初音は笑顔で手を振る。

 そして、店を出る前にパーカーのフードを目深に被って外へ出て行った。

「……ったく、どうしようもねえガキだ」

 ミッチは我慢していた煙草をくわえ、火をつける。

「俺ァ、あんたみたいに厳しく言ってやれねえよ。どうしてもガキの時分の、はなたれの記憶が頭によぎる。言ってやらなきゃいけねえのは、わかってるんだけどなぁ」

 ミッチは紫煙を燻らせ、苦笑する。青柳節子は分け隔てなく厳しい女性だった。滅多に他人を褒めることもなかった。だからこそ皆、その滅多にないことを忘れない。

 彼女の厳しさは優しさだったのだ。それは大人になって、色々経験して、ようやく理解できる類のもの。世間様の厳しさは子ども時代の比ではない。誰も助けてくれないし、責任を取ってもくれない。外に出て、ミッチは痛感した。

 そして、未だに感謝の念は絶えない。

 あの厳しさが、鍛えこまれた地金が、あればこそミッチはあの世界で何とか食えていた。優しい誤魔化しの言葉で、適当にやっていたら今のミッチは存在しない。

 それわかっているのだ。今の彼女に必要なことも、わかっている。

「誰しも、嫌われたくはねえもんなァ。あんたでさえ、そうなっちまったんだから」

 島でも有名な親子の確執。今でこそ落ち着いたが、健太郎が生まれるまで十年以上、青柳親子には交流すらなかった。

 他所の子に向けていた厳しさを、同じように自分の娘に向けた。それは間違いなく親心ではあったが、幼き彼女にそれを解することは出来なかった。

 いや、もしかすると、他所の子より優しくするか、厳しくするか、ほんの少し違うだけで小さな彼女は受け止められたかもしれない。

 とにかく愛を表に出さない人だった。

 まあ結果として綾子は音楽家として成功した。厳しい母の教えと、反骨心が彼女の背中を支えたのだろう。厳しさは必要なのだ。

 いつか、どこかで必ずそれが生きてくる。

「……ハァ」

 ミッチはため息と同時に紫煙を吐き、煙草を灰皿に押し潰した。


     ○


 海老原初音にとって島はアウェイだった。中学進学と同時に島を出た。バスケの強豪校から誘いがあったのだ。女子にしては相当長身であったこともあり、期待値込みで誘われたのだろう。まあ、結果として付属の高校に上がったタイミングで怪我をして、島の学校に転校することになったのだが――

 一度望んで島を出た。希望を抱いて成功するぞと意気込み、飛び出した。

 だが、結果は無様に逃げ帰っただけ。

「…………」

 島の中を歩くのが恥ずかしい。昔、仲良くしていた友人たちと遊ぶのも気が引ける。内心どう思われているのか、邪推だろうが考えてしまう。

 それだけで全てが敵に見える。

 彼女にとってこの島はずっと牢獄のようだった。日本と言いつつ内地からは千キロも離れている。近くに母島以外の有人島はない。絶海、笑えるほど、遠い。

 交通の便も最悪。飛行機はなく、船一隻だけがこの島と内地を繋げている。片道二十四時間、船は物資を積み込む関係で何日か停泊するため、往復しようと思えば特別な時期以外は最低六日はかかる。行き来するだけで五泊六日、信じ難い話であろう。

 これだけ休みがあれば海外旅行にだって行けるのだ。

 欲しいものがあっても簡単には届かない。何かが壊れても島では修理できず、送って送られて修理には何週間も要する。不便、現代ではありえないほどに。

 大人たちはそれが良いのだと言う。そんな島が好きだから移住した、みんなそう言う。でも、親がそうだからと言って子もそうなるとは限らない。

 少なくとも初音は違った。

 でも、今はここにいる。ここから出られる気がしない。

「…………」

「ただいまの一つも言えねえのか」

「……ただいま」

「ったく、いつまでも腐ってんじゃねえよ」

 逃げ帰ってから、家に戻ってから、ずっと息苦しい。ストレス発散のために唯一気兼ねなく接することのできるミッチからドラムを教えてもらっている。

 それも、逃避でしかないが――

 今もまた、親の説教から逃げて自室に逃げ込んでいる。

「最悪――」

 ここは閉ざされた島、何もない島、どんな絶景だってそこで生まれた者にとってはただの日常風景で、見慣れた景色にしかならない。

 一々感動できるのは観光客の特権。

 どうせ自分は高校卒業後、父親の伝手で漁協かどこかにでも勤めるのだろう。そして、漁師志望の婿でも見つけて、夫が家業を継ぐ。仕事をやめ、子育てに勤しみ――

 同じように繰り返すだけ。それを幸せと呼ぶ者もいるだろうが。

「あーあ、なんで私、才能なかったんだろ」

 自分が惨め過ぎて、一人になると勝手に涙が、滲む。


     ○


「あら、珍しいですね、道夫君」

「ご無沙汰してます。節子先生」

「あの道夫君がご無沙汰だなんて、何度聞いても笑ってしまいますね」

「あはは、若い頃はご迷惑ばかりで……あの、少しお願いがあって来たのですが」

 昔の教え子から今の自分にお願いなど、珍しいこともあるものだ、と節子は微笑んだ。そういうことはもう、何年もなかったことだから。

「なにかしら?」

「健太郎君が帰っていると聞きまして、その、練習風景を覗かせて頂きたい、と」

「道夫君、いつ健太郎と知り合ったのですか?」

「いえ、知りません。ただ、もし、起爆剤となり得るなら、会わせたい子がいます」

「……ああ、初音ちゃん」

「ご存じでしたか」

「狭い島ですから。良いことも悪いことも、嫌でも耳に入ってしまいます」

「……昔は、それが嫌でした。あの子も、そういう子です」

「そう。ご期待に添えるかはわからないけれど、好きに見て行って構いませんよ。どっちも人に見られたところでさして気にしないでしょうし」

「マイマイはわかりますが、健太郎君も図太いのですか?」

「あの子は慣れているだけ。それなりの場数は、踏んでいますよ」

 節子の笑みを見て、ミッチは驚く。

 音楽が絡むと未だに彼女は中々人を褒めない。本人だけではなく他の者に対しても厳しい見方だけをするか、今であれば口を閉ざすだろう。

 そんな彼女が僅かでも認めるような言葉を発したと言うことは――

「では、失礼します」

「どうぞ、ごゆっくり」

 ミッチは綾子のために改装したこの家に上がるのは初めてであった。昔の趣は多少残っているが、やはり記憶とは異なる。

 多くの島っ子とここで音楽を習ったものである。

 そんな思い出の残滓を振り払い、ミッチは地下室の扉に手をかける。

 そして、僅かに開放した瞬間――

「運指遅い。音は正確に、かつ素早く滑らかに、余裕をもって」

「滅茶苦茶言う⁉」

「忙しない曲を忙しなく弾く、吹くなんて格好悪いだろ? エモーショナルに魅せるためあえて忙しく魅せる演出はあっても、普段は極力優雅に、当然みたいな顔で吹き切ろう」

「……むう」

「じゃ、頭からもう一度」

「りょうかい!」

 零れてきた音にミッチは眼を剥いていた。マイマイのレベルはそこら中で吹いているから島民ならば嫌でも知っている。拙い部分は多々あるが、光る部分もある。ただ、それを教えてやる者がいないから、これ以上の向上は難しいと思っていた。

 だが、今の彼女は短期間で、凄まじい速度で、成長していた。あの吹きたがりがげんなりするほど、厳しく吹かせているのだろう。演奏中も細かい指摘が入る。自身もピアノで合わせながら、正確無比で無慈悲な指摘をぶつけ続ける。

 それはどこか、彼の祖母の若き日を彷彿とさせた。一切の妥協なく、誰にでも厳しかった彼女の血が彼にも流れている。それは彼のピアノを聞けば嫌でもわかる。

 他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい音がするのだ。精密機械かと思うほどの打鍵に音を、譜面を絶対に外さないという強い意志。分厚い積み重ねが其処にある。

「ここのフレーズ、手癖で誤魔化しているから、この部分だけ正確に吹けるようになるまで繰り返して。百回、千回なぞれば誰でも出来るようになるから」

「う、ううう」

 ミッチは笑いをこらえるのに必死だった。あれだけ『音楽』の楽しさを体現しているような表情で演奏していたマイマイが、眉間にしわを寄せながら厳しく音を叩き込まれているのだ。楽しくはないだろう。

 地味な練習ばかり、苦しさすらあるかもしれない。

 だが、その先でしか味わえない景色も、ある。

「お取込み中、すまんね」

「あ、ミッチさんだ。なんでここにいるの?」

「え、と、どちら様ですか?」

 突如声をかけてきた強面の男にビビり倒す健太郎。

 先ほどまで指示を飛ばしていた凛々しい姿はどこにもない。そのギャップにミッチは笑いそうになるのをこらえていた。

「ちょっと健太郎君に話があってね。今、少しいいか?」

「あ、でも、今、練習中でして」

「時間は取らせない。だから、頼む」

 大の大人に頭を下げられる経験などない健太郎は困惑していた。

「ミッチさんはね、外見はいかついけど凄く優しい人だよ。お店の島ずし滅茶苦茶美味しいし」

「お、お寿司屋さんの方なの?」

「ううん、BARのマスター」

「ば、BARで寿司⁉」

「うん」

 当たり前でしょ、と言った表情のマイマイ。

「島の数少ない名産品だからな。どこの店も無理やり出してるんだよ。亀煮と島ずしは鉄板だな。まあ、そんな大したもんじゃねえさ。内地のそこそこする回る寿司の方が美味い」

「島ずし美味しいよ! 健太郎に変なこと吹きこまないで!」

「へいへい、すまねえなマイマイ。デートの邪魔しちまって」

 びくりと硬直するマイマイを尻目に、ミッチは健太郎に向かってまた頭を下げた。

「嫌なら断ってくれてもいい。話だけでも、聞いちゃくれねえか」

 大人にそこまでされて、断るほど健太郎も意固地ではない。

「お話だけなら、構いませんけど」

「ありがとう。マイマイは、さっきのフレーズ練習してな」

「ええ⁉ あたしも話聞きたい!」

「駄目だ。男同士の話だからな」

 ミッチはマイマイをバッサリと斬り捨て、上で話そうと健太郎に目配せする。健太郎もわかりましたと頷き、二人は縁側に腰掛け、水やりをしている節子の近くで並ぶ。どう見ても強請られている構図だな、と健太郎は思っていた。

「初めまして、だな。菅沼道夫、皆からはミッチと呼ばれている」

「あはは、ドラマーみたいなあだ名ですね」

「……ほう、若いのに博識だな。綾子ちゃんより勤勉だ。節子先生似だな」

「え、じゃあ本当にそっちが由来なんですか」

「ああ、偉大なドラマーの愛称だ。若いのはみんな道夫だからミッチ程度の認識だろうが。今はもういないが、こっちの友人がつけてくれたあだ名でな。気に入ってる」

「いいですね」

「ありがとう。で、本題なんだが……うちの店でライブしてみないか?」

「え、僕がですか?」

「健太郎君とマイマイ、だな。ちなみに、一応聞いておきたいんだが、何でマイマイに教えようと思ったんだ? 君はたぶん、島に残る気はないんだろ? あの子は、離れないと思うぞ」

「……わかっています。でも、自分に無いものを彼女に見たので、それが原石のままなのはちょっと癪だな、って思ったんです。たぶん」

「そうか。確かに、聞かせる音を出す子だな、あの子は」

「はい」

 まだ高校生、自分こそが特別だと思いたい年頃だろうに、この少年からはそういう若さが感じ取れない。

 きっと、名門校で小さな頃からしのぎを削り、普通の人が経験するよりも早くに熾烈な競争を、厳しい現実を知り、大人になってしまったのだろう。

 この少年は挫折を知っている。

「曲がりなりにも十年吹き続けてきた地金がある。技術や知識さえ身に付けば、化けるのも早い、か。まだ一週間かそこらでかなり改善させていたな」

「まだまだですよ。『音楽』は才能を愛しますけど、一年そこらで微笑んでくれるほど、甘いものでもありませんので。僕に出来るのはあくまで勉強のやり方を教えるところぐらいです」

「道さえあれば人は歩けるものな。あの子にとってはありがたいことだろう」

「押し付けている気もしますが」

「でも。その先にしかない景色ってのがあるだろう?」

 ミッチの指摘に、健太郎は静かに頷く。厳しい修練の果て、妥協なき努力によってのみ辿り着ける境地がある。そこから見る景色は、きっと悪いものではない。

「あの、それで本題と言うのは?」

「ああ、悪い悪い。本題はライブの依頼だ。君にとってはともかく、マイマイにとっては悪い話じゃないはず。適当に外で吹き散らかすのと、人前で演奏するのとじゃ勝手が違うからな」

「……ですね」

「うちはまあ、小さい箱だ。と言うか、厳密には箱でもねえ。BARの一角に演奏できる小さなスペースを作っただけでな。普段は酒飲みがカラオケで熱唱してる」

「な、なるほど」

「機材もこの家にあるような立派なピアノはない。安物のキーボードだ。店の客も大半が島民とか船乗りとか、まあ知り合いばかりだな。この時期だと観光客も迷い込んだりするが」

「……キーボード、ですか」

「弾いたことは?」

「何度か触った程度です。打感が違い過ぎて変な癖がつきそうで」

「よく言われる話だな。ただ、スペースが、な」

「ですよね。アップライトでもそれなりにサイズはありますし」

「とまあ、劣悪な環境だ。まあ、客は酒飲みだが変な客はいねえ」

「マイマイの練習にはもってこい、と」

「そういうことだ。悪い話じゃないだろ?」

「……今のところは、ですが」

「本当に綾子ちゃんには似てねえなぁ。察しが良過ぎる」

「よく言われますよ。演奏も含めて、血が繋がってないんじゃないかって」

「そりゃあないな。綾子ちゃんには似てないが、節子先生とはそっくりだ。特に眼が……隔世遺伝って奴かもな。血は間違いなく繋がっているよ。きびしーく鍛えられた俺が保証する」

「ばあちゃんが、ですか」

「ああ、怖かったぜ――」

 ミッチの言葉が、止まる。健太郎は突如青ざめたミッチの様子に首をかしげる。まさか彼も思うまい、水やりをしている祖母と目が合って押し黙ったなどと――

「は、話を戻そう。俺の店をマイマイの練習場所に使っていい。好きなだけ実戦経験を積んでくれ。まあ、知り合いばかりで疑似的な経験しか出来ねえだろうが、やらないよりはマシなはずだ。その経験が生きる機会がどこかにあるかもしれない」

「……はい」

「その代わり、ドラマーを一人、参加させてやって欲しい。ひねくれた小娘だが、器用に叩くし覚え自体は早い方だ」

「覚えの早さと器用さは、良し悪しありますけどね」

「……悪し、寄りだとは思ってくれていい」

「……なるほど」

「腹を割って話すと、そいつと健太郎君をぶつけたいんだ。色々あって腐っちまったやつでな。このままだとどうしようもなくなっちまう。俺らみたいな年寄りが頭から言っても聞かねえ。でも、センスはある奴だ。きちんとした演奏を目の当たりにすれば、目が覚めると思う」

 話を聞いていても健太郎にはピンとこない。それでも――

「わかりました。マイマイと話した後になりますけど、やらせて頂く方向でお願いします」

「そうか、ありがとな、健太郎君。恩に着る」

「その子はミッチさんにとってどういう子なんですか?」

「近所の悪ガキだよ。手間のかかる、な」

「は、はぁ」

「島ってのは良くも悪くも、人が近いんだわ」

 島の人間ではない健太郎にはわからない距離感。この島は比較的新しいため、濃縮したようなウィット感まではない。ただ、それでも内地で、都会で暮らしている者には想像し難いことも多々あるのだ。

 まあ、ここで暮らさぬ限り知る必要のないことではあるが。

「じゃ、早速だが日程は――」

 あの子にとっては青柳健太郎という存在は間違いなく劇薬であろう。音楽に対する姿勢、妥協を許さぬ振舞い、全てが対極。

 果たしてこの試み、吉と出るか凶と出るか。

 それでもミッチは思うのだ。腐っている今よりも、きっとマシになる、と。

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