第二章 東方戦役篇

第38話 和泉燦砂

 魔界は跡形もなく消え去っていた。


 迷宮も、糸くずの森も、巨大な池も、洞窟も、魔王の玉座も何もない。


 代わりに、魔鉱石の結晶が至るところにできていた。


「これは戦争になりますね。これだけの資源が眠っていると分かれば……って、いつまでキスしているんです?」


 アヴァロンに諫められ、恥ずかしくなってようやく俺たちは離れた。


「すみません、つい……」


「ごめん、アヴァロンちゃん……」


「私、一応十五歳なので。あまり刺激の強いものは見せないでください……」


 アヴァロンは顔を赤らめ、そっぽを向いた。


 そのままアヴァロンは動かない。


「いつまでそっち向いているんです? エレナが謝罪したいそうですから、アヴァロンさんもこっち向いて……」


 俺はアヴァロンの顔を覗き込む。


 すると、その目は恐怖に見開かれていた。小刻みに震えてもいる。


 どういうことだ?


 あのアヴァロンが恐れるほどの存在なんて、あり得るのか?


和泉燦砂いずみさんさ……なぜここに……」


 アヴァロンは背後を見据える。


あおい。久しぶりだな」


 東方風の黒紫の装束を着た男が、いつの間にか立っていた。


 聞いたことがある。和国でこの色の着物を纏えるのは、最高クラスの権力者だけだと。


「あなたの顔など、二度と見たくなかったのですが。やはり俗世は一切皆苦。思い通りにならないものですね」


 アヴァロンは努めて冷静であろうとしているようだが、恐怖と嫌悪感が滲み出てしまっている。


「兄に対して随分な物言いだなぁ。そんないけない妹にはお仕置きが必要かな?」


「いうことを聞かないメス豚には調教が必要、の間違いでは? あなたが私を玩具としか見ていないことなど、知っています」


 アヴァロンはサンサとやらを睨みつける。珍しく感情を隠そうともしない。


「可愛くないな。殺そっかなぁ」


 男はどこからともなく金色の太い鎖を取り出した。何をする気だ?


「異界召喚……」


「遅い」


 サンサの鎖は、瞬く間にアヴァロンにまとわりつき、縛り上げた。


「10秒だけやるよ。今すぐ服を脱いで土下座しろ。大体なんだその態度は? お前をいじめるくだらない連中を皆殺しにしてやったってのに、随分な仕打ちじゃないか。なぁ!」


 サンサはアヴァロンの脇腹を容赦なく蹴り抜く。


 肺に折れた骨が刺さったのか、アヴァロンは血を吐き、苦しそうに息をする。


 いや、まともに呼吸できていない。


 俺は即席の回復魔法でどうにか骨折だけ元に戻した。だが、吐血が止まらない。

 信じられない。


 あのアヴァロンが手も足も出ないなんて。


 考えられない。


 実の妹に対し、こんな酷い暴力を浴びせるなんて。


「アヴァロンさんは俺の恩人だ。手を出すなら、容赦しない!」


 俺がサンサを睨みつけると、奴は高らかに笑った。


「容赦しないだって? 面白いことを言うな、君は」


 サンサは俺の顔を殴り抜けた。意識が飛びかけるが、辛うじて保つ。


「私のロッソになんてことしてくれてんの?」


 エレナがサンサの腕を掴んだ。


「極大魔法【カスケーダ】」


 刹那、エレナとサンサを阻むように、水の壁が現れた。そう見えた。


 だが、すぐに違うと悟る。それは、とてつもない体積の水の、ほんの一側面に過ぎなかった。


 空洞と化した洞穴は、すぐさま水で満たされた。


「極大魔法【アブソリュート・ゼロ】」


 全ての水が瞬時に凍りつき、サンサの動きを封じる。


「【メルティングレイ】」


 エレナの最も得意とする熱線魔法が、炸裂した。

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