第2話 up! up! my Friend ⑭


「お母さんあのね、今日、先生に褒められたんだよ。教室のお花、毎日水を交換してるのは真由ちゃんだけだよって」


「聞いてお父さん、実由ね、今度の合唱コンクールのパートリーダーに選ばれたんだよ! すごくない⁉ パートリーダーってよくわかんないけどね、なんかすごいって言われた!」


 似なかったのは、性格だけだ。

 そっくりな顔とそっくりな声。

 一卵性の双子で産まれた私たちは、幼い頃からよく周囲に間違えられてきた。

 先生に内緒で、授業を入れ替わって受けたこともある。

 親戚の中には、私たちを名前で呼ばない人もいる。

 その気になれば、家族だってだませる自信があった。

 だけど不安なこともあって。

 もし、私たちが本当に入れ替わったとしたら、一体何人の人がそれに気付いてくれるのだろうか。

 誰にも気付いてもらえなかったら、私たちは、今まで誰も本当の私たちを見ていなかったことになる。

 それを想像すると、少し悲しくて、寂しかった。

 ある日、そんな心配をする私たちに、お母さんは言った。

 

「そんな心配しなくたって、わかる人にはちゃんとわかるわよ。真由は優しい子で、実由は元気な子だもの。二人がこれからもそうやって育ってくれたら、きっとみんな、聞かなくたってすぐにわかってくれるから」

 

 私たちはお母さんのその言葉を信じた。 

 私は親切と思えることなら何でもやったし、実由は友達をたくさん作って遊んだ。

 そうしたら、次第に私たちを間違える人も少なくなっていった。

 お母さんの言う通りだった。

 私はみんなから良い子と褒められるようになったし、実由も学校で人気者になった。

 何より、私たちが褒められると、お母さんがとても喜んでいたのが嬉しかった。

 私たちがそれぞれ自分らしくいれば、家族が笑顔になってくれる。

 それを心がけながら毎日学校に通って、習い事や勉強を頑張った。

 だけど、ずっと続くと思っていたその生活は、ある日突然終わりが訪れてしまった。

 お父さんがいなくなった。

 お母さんじゃない女の人と一緒に暮らすと言って、家を出て行ったらしい。

 私と実由には、何も知らされていなかった。


「……お母さん、元気ないね」


「うん」


「お父さん、もう本当に戻って来ないかな」


「多分、来ないと思う」


「何でそういうこと言うの⁉ そんなの、真由にはわかんないじゃん!」


「だって……お母さんがお父さんに言ってたんだもん。『もう二度と来ないで』って」


「え……」


 それは、私だけが知っていた。

 夜中に、お父さんとお母さんが喧嘩しているところを見てしまったから。

 そこで、お母さんの秘密を知ってしまったから。


「仕方ないよ。そんなの……」


「じゃあ……お母さん、ずっと元気ないままなのかな」


「そんなことないよ」


「真由、さっきから何なの? ねぇ、なんか変だよ?」


「実由、お母さんのために、頑張れる?」


「そんなの……当たり前だよ。何だってするよ」


「……実由が合唱の発表会でパートリーダーになったときのこと覚えてる? お母さん、お父さんより喜んでたでしょ」


「え? うん……」


「前にお父さんから聞いたの。お母さん、昔、アイドルになるのが夢だったんだって。だけど、おじいちゃんとおばあちゃんに反対されて、諦めちゃったって言ってた。実由がパートリーダーになったって聞いてお母さんが嬉しそうにしてたのは、それが理由だったんだと思う」


「そうなんだ……」


「だからさ、実由」


 不安そうにしている実由を励ますために、私は笑いかけた。


「私たち二人で、アイドルになろう。お母さんの代わりに、私たちがお母さんの夢をかなえてあげるの。そうしたらお母さん、きっと喜んでくれるよ」


 お母さんに元気になって欲しい。

 その一心で、私たちはアイドルを目指した。

 

「すごいじゃない実由! あんなにたくさんの子たちの中から選ばれるなんて! 真由も惜しかったけど……でも、すっごく良かったよ!」


 お母さんは、泣きそうなくらい喜んでいた。

 応募者数は六千人ほどだったらしい。

 実由はオーディションに合格して、私は三次選考の面接で落ちた。

 二人でデビューできなかったのは残念だけど、歌やダンスをたくさん練習した甲斐があって、実由だけでも選ばれたのは嬉しかった。

 

「お母さん、あなた達を産んで本当に良かった……!」


 お母さんは、今のお父さん──実由の事務所の人と再婚していた時にもそう言っていた。

 お母さんに、また笑顔が戻った。

 新しいお父さんは連れ子のお兄ちゃんと都内で二人暮らしをしていて、仕事で地元の新潟を離れられないお母さんのためにマンションを借り、私とお母さんをそこに住まわせた。

 実由はその頃ネットのニュースに取り上げられて仕事が忙しくなった時期だったので、お父さんとお兄ちゃんの住むマンションに引っ越した。

 私は実由がデビューしてもしばらくは地元で今まで通り過ごしていたけれど、実由がテレビや配信番組に出る機会が増えてから学校や外で知らない人から話しかけられることが多くなった。

 そして、週末には新潟か東京のどちらかで家族が集まってご飯を食べるという生活が私たちの新しい日常になった。

 家族の仲は、悪くなかったと思う。

 ただ、最初の内に感じた言いようのない違和感が日を追うごとに大きくなっていき、それがはっきりした頃には、すでに家族の話題の中心は実由になっていた。

 それは、私が中学二年生で、東京の高校へ進学することを決めたときのことだ。


「実由、明後日の準備できた? 明日も収録でしょ?」


「すぐできるからあとでやるー」


「もう、実由はそうやっていつもギリギリじゃない」


「そういえば実由、前に話してたネットドラマの役、正式に決まったぞ」


「ほんとに⁉ やった! あのイケメンくんも⁉」


「そっちはまだわからない」


「えー、脇役でもいいから競演したいなー」


「スキャンダルは勘弁してくれよ……?」


「ただの目の保養だもん。いいじゃんそれぐらい期待しても」


「仕事なんだから役に集中しなよ」


「はぁ? 真由に言われなくても集中するし。何、羨ましいの?」


「別に」


「ちょっと、二人とも。喧嘩しないの」


「……ねぇ、お母さん、テーブルに参観日の案内のプリント置いたの、見た?」


「えぇ? 何? そんなの、見てないよ」


「あーそうだ、すまん実……真由。それ、今父さんが持ってるんだ。実由のスケジュール確認したくてさ。来月の十二日だもんな?」


「うん」


「悪いけどその日、父さんはいけないんだ。仕事で大事な会議入ってるから。母さんは? 十二日」


「十二日って確か、実由が大阪行く日でしょ? その日は私も一緒に行かなきゃいけないし、厳しいかなぁ……父母懇談会とかは? ないよね?」


「それは書いてなかったな。うーん、太一(たいち)のやつ行かせるか? あいつも遊んでばっかりだから、時間あるだろ。今日だってせっかく久しぶりにみんなで集まったのにバイトだなんて……」


「お兄ちゃん来るなら私も授業参観出てみたいなー。お兄ちゃん、絶対実由のことバカだと思ってるから、ちょっできるところ見せたい」


「いいよ、みんな忙しいなら。無理しなくて」


 トゲのある口調になった。

 でもそれは本心の言葉だ。

 別に、それに対して怒っているわけじゃない。

 ただ──


「それより、買っといてくれるって言ってた上靴、買ってきてくれた?」


 アイドルじゃない私には、みんな興味ないんだな、と思った。


「早く欲しいの……今日、借りてたスリッパもなくなってたから。ごちそうさま」


 静かになった食卓から逃げるように去った。

 その後、お母さんたちがどんな顔をして、どんな話をしたかはわからない。

 上靴は結局、次の日お小遣いをもらって自分で買いにいった。

 謝罪の言葉も、心配の言葉もなかったと思う。

 もしかしたら言っていたのかもしれない。けど、憶えていない。 

 

「真由、お願いがあるの」


 そして、その日はやってきた。

 

「明日、撮影があるのに、実由の熱が下がらないの。このままじゃスケジュールに穴が開いちゃうわ。だから……」


 お母さんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。

 でもそのときの私には、お母さんが私を見ているようには見えなかった。

 お母さんが心配しているのはきっと、私じゃない。


「実由の代わりに、お仕事に行ってきてくれる? 難しいお仕事じゃないらしいのよ。午前中に打ち合わせして、午後から現場とスタジオで撮影を2本。ただ、実由のメンバーの子達と写真を撮ってもらうだけ。じゃないと……実由もお父さんも、みんな困っちゃうの。実由たちが来月新しい番組始めるのも、真由は知ってるでしょ? だからね……」


 どうして私なの?

 答えがわかりきっていることを、母の口から聞きたくなった。

 他に代わりがいないのだ。

 実由のふりをすることができるのは、この世で私しかいない。

 みんなのために、私は実由のふりをして、偽物のアイドルとして仕事をしなければならない。


「……いいよ」


 引き受けた。

 本当は嫌だった。

 でも、私一人の我慢でみんなが助かるのであれば、それでも良かった。

 そうじゃなかったら、誰も私を小早川真由として見てくれない。

 ずっとそうしてきたのだ。

 上靴を盗られたときも。

 廊下で知らない子に実由の悪口を言われたときも。

 迷惑をかけないように我慢してきた。

 私は優しい子だから。

 真由だから。

 自分に言い聞かせて、お母さんのお願いも断らなかった。

 なのに、お母さんはこう言った。


「良かった……お願いね。実由の足を引っ張らないように」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 足を引っ張らないように。

 確かにそう言った。

 頭の中が真っ白になった。

 お母さんが何かを喋っている。でも、耳には入ってこなかった。

 どうして。

 私はお母さんに、どうして足を引っ張る心配をされているんだろう?

 優しい子でいて欲しいと言ったのはお母さんだ。

 お母さんのためにアイドルになろうと実由を誘ったのは私だ。

 実由の代わりになるのを引き受けたのも私だ。

 それなのに、それを言ったお母さんが、私に『足を引っ張るな』と言う。

 わからない。

 お母さんが望んでいる優しい子は、こんな思いをしてまでならないといけないのだろうか。

 その疑問を抱えたまま、撮影の日はやってきた。


「はい! ウェカピポさん、オッケーでーす!」


『ありがとうございました!』


 当日、撮影は無事に終わった。

 ポーズの指示や事務的な確認などでスタッフの人に話しかけられることはあったものの、事情を伝えたウェカピポのメンバーやマネージャーの人がフォローしてくれたおかげで最後まで私の正体が気付かれることはなかった。

 案外バレないものだ。

 せわしなく動く現場の人にとっては、案外アイドルも置物の一部にしか見えないのかもしれない。

 撮影が終わって、私は心の底からほっとした。

 何もわからない一般人の私が、一日でたくさんの人とお金が動く撮影の仕事を、アイドルの代わりとして務めたのだ。ずっとバレないか、失敗しないかの心配をしていて心臓がドキドキしていた。

 本当に疲れた。

 これでやっと、この緊張感から解放される。

 そう思ったとき、


「あーっと、ごめんごめん! ウェカピポさん! ちょっと、ちょっと待ってもらっていい⁉」


 スタジオのみんなからプロデューサーと呼ばれていた人が、私たちとマネージャーを呼び止めた。


「急な話なんだけどさ! あれ、『ナベっちモクテル』の撮影! 明後日の予定だったんだけど、その日に別の収録入れてたのすっかり忘れちゃっててさ! で、部長さんの方に確認したら、ウェカピポのみなさん今日このあとの予定入ってないっていうから、今から前倒しの撮影でリスケになったから!」


「え⁉ 待ってくださいよ……そんな、部長が許可したからって、いきなり言われても……!」

 

「いやーごめんね。でもほら、こないだうちもそちらに頼まれてロケの前倒し、なんとかしたでしょ? お互いに持ちつ持たれつ、だよね。それに、ウェカピポさんこれから忙しくなることだし、これ逃しちゃったら次いつうちの番組で出てもらえるかわかんなくなっちゃうんだよ。ほら、うちの偉い人も怒りっぽいから……せっかく売れてきてるのに『ウェカピポはもういい!』ってなっちゃうかもしれないしさ。ね?」

 

「いや……そうは言われても……」


 血の気が引いた。

 指示に従って写真を撮られるだけというならまだしも、私が実由の代わりに番組に出て、実由のふりをして、芸能人とたくさんの人の前で話をしなきゃいけない。

 ウェカピポのメンバーの子たちが私に心配そうに私を見ている。

 私は首を振るしかない。

 そんなのできっこない。


「その、ごめん……」


 途方に暮れて事務所に連絡をしたマネージャーが、私たちを集めて疲れたような顔で謝ってきた。


「撮影、結局このままやることになった。真由ちゃんには、申し訳ないけど……みんなで、なんとかカバーするから。幸い、そんなに長いコーナーじゃないから、ちょっとだけ我慢してもらえれば……」


「で……できません……」


 喉から蚊の鳴くような声が出た。

 怖くて足がすくんできた。

 私は、実由じゃない。

 実由みたいに、大勢の人の前で楽しそうに話して、人を笑顔にさせるなんて、今までしたこともない。

 

「頼むよ……」


 マネージャーも困り果てていた。この人は悪くない。むしろこの事態を避けるためにできるだけの努力はしてくれたと思う。

 でも、だからって、そんな顔をして私にお願いをするのは、卑怯だ。


「みんなのためなんだ」


 そう言うと私が断れないと知っていたかのような、そんな囁きだった。

 お母さん。

 実由。

 お父さん。

 事務所の人たち。

 その人たちのために、スタジオに立った。

 私は、私だから。

 

「──というわけで、先月のライブで結成2周年を迎えたウェカピポなんですけども、今日はね、移動中の5人を捕まえて、急きょちょっとだけ、スタジオに来てもらうことになりました。よろしくどーぞ」


 目がくらむほどの光が私を包み、目の前にはたくさんの人がいた。

 客席は、キラキラと宝石を見るような、期待に満ち溢れた眼差しで溢れていた。

 みんな、笑顔で『こばゆ』を見に来ている。

『こばゆ』が、いつものように明るい笑顔で、面白いことを言うのを期待していた。

 違う。

 どうか、誰か気付いて欲しい。

 みんなが見てるのは、実由じゃないことに。


「え、そんなに前から? デギーちゃんが子供の頃っていったら、何年前?」


 テレビでよく見かけるタレントの人と、メンバーの子が何か喋っているのに、会話が頭に入ってこない。

 さっきから耳鳴りのような雑音が邪魔をして、話しかけられてもうまく返事ができなかった。

 そのたびに、周りの人たちが困った顔をしているのを見て、胸がぐしゃっと潰れるように痛んだ。

 バクバクと動悸が止まらない。

 頭がくらくらして眩暈がする。

 早く……早く終わって。

 私はぶるぶると震える手を強く押さえつけながら、時が過ぎるのを待った。

 けれどその人は、そんな私に気付いた素振りも見せず、こう言った。


「こばゆは? オフに何かしてる?」


 違う。

 私じゃない。

 私は、実由じゃない。

 みんな、実由を楽しみに見に来ているけど、ここにいるのは私。

 小早川、真由。

 実由じゃないよ。

 そう叫びたった。

 けれど、声が出ない。

 早く。

 みんな、『こばゆ』が答えるのを、待っている。

 早く。

 何か言わなきゃ。

 早く。

 みんなの期待に応えなきゃ。

 このままじゃ、私のせいでみんなに迷惑がかかる。

 こんなとき、実由だったら──


『実由の足を引っ張らないようにね』


 不意に思い出したのは、お母さんの言葉だった。


「……あ……」


 つぅっと、頬に涙が流れた。

 私はずっと、がんばってきた。

 泣いているお母さんを守ってあげられる子になりたかった。

 周りの人たちを笑顔にできる子になりたかった。

 誰かを救ってあげられる優しい子になりたかった。

 でも、ダメだった。


「っ……! ……め……さい」

 

 私は視線を上げた。

 せき止めていた何かが溢れ、ぼんやりしていた視界がようやく晴れた。


 ──目が。

 私を取り囲むたくさんの黒い光が。

 ぎょろりとのぞき込んできた。



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