第2話 up! up! my Friend ④


 一人で登校すれば良かったとマジで後悔した。

 結果的に、出発時間ギリギリまで準備が終わらなかった女子達を待っていたせいで、途中で全員が小走りをするハメになってしまったのだ。 


「よ、横っぱら痛い……」


「みーちゃんも真由も大丈夫?」


「わ、私は平気だけど……」


「はっ……はぁ……っ」


 見るからに辛そうな小早川とみずほ姉ちゃん。その一方で、美珠姉妹の方はけろっとしている。格闘技で身体を鍛えていた妹はさておき、驚くのは姉の方だ。この人、鞄の他に液体漬けにされたでっけぇムカデの死骸の入ったごっつい瓶を抱えているにも関わらず、息一つ乱れていない。ともすれば小中学生にも見間違いかねないその小さな体躯に一体どれだけのポテンシャルが秘められているのか。ドーピングの疑いすら湧いてくる。


「ったく、誰のせいでこんな目に遭ってんだか」


「みんな見て! ほら! 桜! 綺麗!」


 俺の皮肉なんて聞いちゃいない。

 河川敷に並ぶ桜。

 そよ風に運ばれて落ちていく花びら。

 潤花はその風景に溶け込んでスマホで写真を撮りだした。

 その光景も含めて確かに綺麗なのだが、走らされた疲労のせいで心穏やかに感動できない。


「潤花達はここの桜見るの初めてだもんね」


「懐かしい……私も優希と初めてここ通った時は感動したなぁ」


「えへへ、良いの撮れたからお母さんにも送っとこ。二人とももう学校着いてるかな?」


「さっきお父さんが迷子になってるって連絡来てたから、多分着いてると思うよ」


「優希の親御さんは入学式見に来るんだね。衣彦、結局お父さんは来ることになったの?」


「やっぱり仕事抜けられなかったってさ。どうせ海外だから期待してなかったし、来ても母さんと姉ちゃんの方行ってただろうけどね」


「そんなことないよ。おばさん、『お父さんも衣彦の写真も見たがってる』って言ってたし」


「いつの間にうちのオカンと連絡する仲に……」


「古賀くんのご両親、海外にいるの?」


「はい。自動車関係の仕事で母親とマレーシアに行ってて。俺と姉ちゃんの学費稼いでもらってます」


「マレーシアなんて羨ましいなぁ。私もボルネオの昆虫採集ツアーで行ったことあるけど、向こうのゴキブリって日本の2倍くらいでっかくてすごい見ごたえあるんだよね」


「へぇ……」


 今のでマレーシア旅行への憧れが5割ダウンした。


「真由ちゃんは家族の人来るの?」


「んっ……けほっ、けほっ……!」


 首を振りながらむせる小早川。


「あ、ごめんね。無理しなくていいから、ゆっくり歩こ」


「ちょっと休むか?」


 いまだに肩で息をする小早川は先輩と俺の声かけに対して左右に首を振る。


「み、みんなと……学校、行きたいから……」


 なんて良い子……。

 俺達は顔を見合わせる。


「じゃ、ゆっくり行こうか」


「そうだね。学校ももうすぐだし、歩いて良いと思う」


 言っている間に学校が見えてくる。

 昇降口にあるクラス分けの張り紙の前で人が群がっている。にぎやかな喧噪だ。


「あーあ、休学してたから仕方ないけど、私だけ1年生やり直しかぁ……私、今さら1個下の子達と仲良くできる気がしないよ」


 不安げにぼやくみずほ姉ちゃん。母親の介護で1年間休学していたみずほ姉ちゃんにとって、二度目のスタートとなる高校生活は敷居が高いようだ。


「絶対大丈夫だって。みずほ姉ちゃんで友達できなかったら全人類みんなぼっちだよ」


「そうだよ、私だって下宿でみーちゃんと一緒じゃなかったら一人も友達いなかった自信あるもん」


「うぅ……優希、2年生になっても私と仲良くしてね。廊下ですれ違うたびに毎回1分間のハグで励ましの言葉かけてくれないと嫌だよ? そうでもしてくれないと私、不安で夜しか眠れない……」


「任せてみーちゃん。今日からネット上の文献片っ端から読み漁って、ウルツァイト窒化ホウ素くらい強いメンタルになる催眠術、勉強しておくから」


 このマッドサイエンティスト、すこぶる体調良さそうなファッションメンヘラをメンタルモンスターにする気だ。女の友情、怖ぇ。


「真由も、学校で仲良くしてね。同じクラスになれたら良いなぁ」


「うん……私も、みずほちゃん達と同じクラスになりたいな」


「『達』?」


 俺の驚きに対してはにかむように頷く小早川。

 マジか……朝っぱらから俺には偉そうに説教されて潤花には遅刻の道連れにされそうになって散々な目に遭っているというのに。まだ付き合いの浅い俺達へ寄せる小早川の信頼はあまりにも無防備で、いつか悪い人間に騙されたりしないか心配だ。


「同じクラスになれなかったとしても、みんなで遊ぼうよ! 私、なんか青春っぽいことしたいから、真由も手伝ってね!」


「うん……!」

 

「お二人さん! 青春といえばやっぱり部活だよ! どう⁉ 化学部に入らない⁉ フィールドワークで汗を流して、みんなで楽しく実験し放題だよ!」


「パス!」


「早い!」


「どうせフィールドワークってただの昆虫採集でしょ⁉ 私クモとかムカデとかもう嫌だからね!」


「違うよ! 潤花は誤解してる! ──分類上、クモもムカデも昆虫じゃないよ‼」


『そうなの⁉』


 衝撃的事実に思わず俺たちは声を揃えて叫んだ。


「そうだよ。そもそも昆虫って節足動物の中の六脚類っていうグループに分類されてて、体が頭部、胸部、腹部からなる──」


「おーーーーい! 優希ーーーー!」


「あっ! ゆっちゃん! るっぴー! おはよー!」


「おはよー! 優希、私も留美(るみ)も同じクラスだよーーー!」


「えっ! 本当にー⁉ やったー! 2年生になってもよろしくねーっ!」


「化学部勢ぞろいだーーーーーっ!」


「キャハハハ! 待ってゆっちゃん! こぼれちゃう! エタノールこぼれちゃうからぁ!」


 ハイテンションな勢いで駆け寄ってきた三つ編みで体格のいい女子生徒が先輩を抱き上げ、そのままグルグルと回転しだした。先輩は子供のようにキャッキャとはしゃぎながら奇声を上げている。かわいい。

 その後ろから、もう一人の眼鏡をかけた女子生徒が歩いてきた。三つ編みの先輩とは対照的に落ち着いた雰囲気で、優希先輩が持つエタノール漬けのムカデをしげしげと見つめている。


「これが優希の話してたぺルビアンジャイアント? ……大きいね」


「でしょ? 大きいから内臓抜きやすかったのは良いんだけどね、その分すっごい臭かった!」


「どうせエタノールに漬けるなら香水でもかければ良かったんじゃない?」


「あはは、その作戦面白そう! るっぴー、おすすめの香水ある?」


「……北欧の水、とか」


「それ硬水ー!」


 やだー、とか言いながらぺしぺし肩を叩く優希先輩。

しかしるっぴーと呼ばれた先輩はそれをハイハイと雑にいなして俺たちの方に視線を移した。


「伊藤さん、おはよう。ごめんね、朝からうるさくして」


「あ……おはよう。町田(まちだ)さん、覚えててくれたんだ」


「忘れないよ。いつも花壇に水をあげてくれてたじゃない」


「あはは……あれはただの趣味みたいなものだから」


「もう大丈夫なの? その……お家のこと」


「うん、家のことはもう大丈夫。だから今日からまたよろしくね。私、1年生の後輩になっちゃうけど」


「そっか……そっちにいるみんなは、下宿の子達かな?」


「そうだよ。それで、この子が……」


「もしかして、あなたが潤花ちゃん? 優希から話には聞いてたけど……本当、綺麗な子だね」


「ありがとうございます。化学部の、るっぴーさん……ですよね? それと、ゆっちゃんさん」


「ちょっと優希、妹さんに変なあだ名で紹介しないでくれる?」


「えー、だってるっぴーはるっぴーだもん。ねーゆっちゃん」


「るっぴーって呼んでるの1人だけどね」


「部長の特権だもん」


「職権の濫用でしょ」


「ごめんなさい。お姉ちゃん、我が道を突き進んでるから」


 お前が言うかね。


「でも、うちらはこの子にすっごく助けられてるよ」


「学校に私たちの居場所があるのも、優希のおかげだしね」


「2人とも大げさ」


 まるで推しを語るようにキラキラした目のゆっちゃんとるっぴーに対して、先輩は少し不満げに口を尖らせていた。照れているのか、少し顔が赤い。かわいい。


「ううん。みんな、『優希がいるから』って集まったんだよ」


「そうそう、うちらみたいに理系の分野なんて全然興味なかった子たちを集めて、一から百までぜーんぶ教えてくれたのも優希じゃん。優希がいなかったら、うちらみたいなにわかの集まりの研究がテレビの取材受けるようなことなんか絶対なかったよ」


「そんなことないですー、すごいのはみんなの方で、私は普通ですー」


「普通の子が専門書の間違い指摘したり、新種のゴキブリ発見してニュースに載ったりするわけないでしょ」


「あ、あと極めつけはアレだよね、文化祭の『清祥シンデレラ』。平たく言えば美少女コンテストなんだけど、この子すっごい可愛いでしょ? そのとき部費が足りないって問題になってて、もしかして優希が優勝すれば部費の予算申請、交渉しやすくなるんじゃないかって話になってから、いよいよ優希が……」


「ちょーっと! ストップ! みんな! もう! ホームルーム始まる時間だよ⁉ クラス確認して! 早く教室にいこ!」


「本当だ……もうこんな時間! 早く行こうよみんな! 下宿生に遅刻させちゃったら私、親御さん達に顔向けできない!」


「今の話、続きやたら気になるんですけどね」


「ふふふ、後輩くん。続きは放課後の化学部室に来れば話してあげる」


「衣彦くん、行くの……?」


「待て小早川。これは罠だ。行ったら囲まれて勧誘されるぞ」


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。うちは有名大学の教授とも繋がりのあるし、高文連でも表彰されてるすごい部活なの。コネと仲間と叶えたい夢……そのすべてが手に入るのはこの学校で化学部だけ。ね? みんなで幸せになりましょ?」


「口ぶりがまさにマルチのそれ」


「ねぇお姉ちゃん。私、ミスコンの話聞いてないんだけど。出たの? どうだったの? 優勝?」


「その話は気にしなくていいから! それより潤花、ぼーっとしてないで早く教室に行かなきゃ! 今日、挨拶するんでしょ⁉」


「挨拶? なんの?」


「学年総代の挨拶! 今年の総代、潤花でしょ⁉」


「はぁっ⁉」


 俺たちはいっせいに潤花の方を見た。

 驚く俺たちに対して当の本人は微塵も焦った素振りはなく、それどころか先輩に言われるまで本気でそれを忘れているようだった。


「嘘⁉ 潤花が⁉」


「えっ⁉ 妹さんすごくない⁉ 学年総代って……成績トップってことでしょ⁉」


「あー、どうしよ……」

 

 我らが清祥第三高校の新入生学年総代。

 入試試験の最優秀成績者。

 その栄えある代表に選ばれたのが、まさかこの──


「今朝、襟にドレッシング跳ねちゃったのに」


 ……どうでもいいわ。



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