第33話 人は無意味に生まれ、無意味に死ぬものである。

お父様は横領の罪で裁かれた。

私は女公爵になった。

アリエスとワーグナー殿下もそれぞれに罪を償うこととなった。

これで私の命を脅かした者はいなくなった。

「女公爵様、イストワール侯爵令嬢よりお手紙が届いています」

「イストワール侯爵令嬢から?」

前の人生を含めても彼女から手紙を貰うのは初めてだ。文通するような仲でもなかったし、それは今回の人生でも同じだ。それなのに一体何の用だろう。

「‥‥‥そっか」

手紙を受け取った時は申し訳ないけど何か面倒な要求でも書いて来たのかと思った。けれど実際の内容は感謝と今後のことについて書かれていた。

イストワール侯爵令嬢は念願だった医者を目指すことにしたそうだ。もちろん、両親からは猛反対を食らったらしい。絶縁も言い渡されたそうだ。彼女はそれでも構わないと言った。イストワール侯爵夫妻はそう言えばすぐに諦めると思ったのだろう。どうせただの気まぐれだと。

けれどイストワール侯爵令嬢は絶縁状を夫妻に叩きつけ、家を出た。もちろん兄も一緒に。宝石やドレスを売ったお金で隣国に行き、小さな一軒家を購入。そこで兄と二人で暮らしているそうだ。

生活もだいぶ落ち着き、今は医者を目指して勉強中だそうだ。

私が夜会で言った一言で目が覚めたと、あの一言がなければ動けなかったと彼女は感謝の言葉を綴っていた。

未来を知っていたから、そこでくすぶってしまうのはもったいないと思った。それに私が動いたことで未来が変わり、彼女が医者になる夢を諦めるのが嫌だとも思った。完全に私のエゴだ。それでもその一言で一つでも後悔の少ない人生を彼女が歩めるようになったのは良かったと思う。

後悔だらけの人生はかなりキツイと私自身、前の人生を振り返って思うから。

イストワール侯爵令嬢は道を決めた。夢に向かって歩み始めたのだ。

「私はどうしよう」

何もなくなってしまった。目標を達成した後、当然だが未来は続く。分かっていたのに、その後のことまで考えていなかった。考える余裕もなかった。だから今、とてつもない虚無感に襲われている。

「女公爵様」

ギルメールが珍しく緊張した顔で執務室に入って来た。彼の手には一枚の書状がある。宛名はルドルフ・ラーク。私の祖父だ。

手紙には都合の良い時に訪ねに来るようにと書いてあった。

「お祖父様からの招待状」

最後に会ったのはいつだろう。

とても威厳のあるお顔をされていた。幼かった私にとって祖父は意味もなくただそこに存在するだけで怖い人だった。

お父様とお祖父様は仲が悪かったからあまり会うこともなく、血の繋がった他人という感じだった。でもそれはお父様にも言えることね。お祖父様と違ってお父様とは同じ屋根の下で暮らしていて毎日のように姿を見かけるけど私たちは普通の親子ではなかった。


◇◇◇


後日、私は祖父の元を訪ねた。

「久しぶりだな」

「はい。随分と御無沙汰をしてしまい申し訳ありません」

「構わん。あれは儂を大層嫌っていたからな。その娘であるお前の足が遠ざかるのは自然なことだ」

あれとはお父様のことだろう。お祖父様はベッドの上にいる。

私の記憶よりもだいぶやつれ、お年を召していた。それそうだろう。年月を感じるほどに会っていないのだから。

「こんな格好ですまないな」

こほんっと祖父は小さな咳をした。

「寄る年波には勝てんものだ。病を患ってしまってな。最近はずっとベッドの上で過ごしている」

「そうなんですね」

知らなかった。今がそうなら前の人生の時もそうだったのだろう。けれど、前の私は祖父よりも先に逝ってしまった。私だけではないお母様も。

ご高齢のお祖父様よりも娘と孫が先に逝く。彼はいつも置いて行かれる立場にあったのだ。悲しませてしまっただろうか。

お祖父様は泣いてくれたのだろうか。私の死を憐れんでくれたのだろうか。それとも周囲に流されて、死んでいった私に失望したのだろうか。

「ずっと後悔をしていた。いくら可愛い一人娘の願いだからといってあんな男を夫として認めてしまったことを。あの男の本性を見抜けなかったことを」

お祖父様の目が私に向く。その目に私はどう映っているのか分からなくて怖かった。

「お前は、アトリ殿によく似ているな」

憎んでいるのだろうか。自分の娘を殺した男の娘である私を。

「だが、賢い。娘にもアトリ殿にもそこは似なかったようで安心した。以前のお前には自分がなかった。アトリ殿の言いなりになり、アリエスという毒を近くに置き続けた。このままいけば公爵家はアトリ殿の手によって滅びるだろうと思った」

では、なぜ。

「なぜ、そこまで分かっていて、なぜ」

湧き上がるのは怒りなのか、悲しみなのか分からない。

「なぜ動いてはくださらなかったのですか。お祖父様が動いてくだされば」

私は死ぬことはなかった。

湧き上がるのは『あなたさえ動いてくれれば私が悲惨な運命を辿ることはなかったのに』、『アリエスだって道を間違えなかったかもしれない』、『お父様とだって良好な関係は築けなくてももっとマシな終わり方ができたかもしれない』という自分勝手な想い。

「それでも良いと思った。一層滅んでしまうのならそれで構わないと。どんなに栄えていてもいつかは滅びる。生まれいづるが運命ならば死にゆくも運命。人も物も、家も同じだ。それが今でも構わないと思った」

私が死んだことに当然だけど意味はなかった。

私だけではない。他のどんな死でも意味などない。人は無意味に生まれ、無意味に死ぬのだ。生きている間に出来た軌跡だけが意味と価値を作る。

そして人に流されるだけの前の私の人生にはそのどちらも存在していなかった。だから殺されたのだ。『構わない』という理由で。

「私はラーク家に全てを捧げて生きて来た。ラーク家に相応しいように常に気を引き締めて、家門に傷がつかないように権力に群がるものを見極め、利用して生きて来た。けれど娘が死んだ時全てが無意味に感じた。私が守って来たものはなんだったのだろうか。人生の全てを捧げて来たのに、この家門は私の最愛の娘を守ってはくれなかった」

ああ、この人の目にはただの一度も私なんて映ってはいなかったのだ。

「スフィア、好きに生きよ。お前がラーク家を継ぐことを望むのなら後ろ盾になろう。女の身で家を継ぐことに文句言う分家や邪魔をしてくる分家を黙らせる力ぐらいはある」

「‥‥‥少し、考えさせてください」


◇◇◇


side.ルドルフ


「やはり来たか」

スフィアが帰ってすぐに一人の青年がやって来た。きっと来るだろうと思っていた。

「最近、よく夢を見る。スフィアは以前のままアトリ殿の言うことを聞くだけで前に出ようとはしなかった。その結果、彼女は家を追われ、子爵家なんぞに嫁がされた。それから暫くしてお前さんが儂の元にやって来た」

その青年の身には懺悔と後悔と憎しみと怒りと悲しみと様々な負の感情が渦巻いていた。

『スフィアが死んだ。彼女は夫となった男に殴り殺された』

彼の目からいくつもの涙が零れ落ちた。大の男が恥ずかし気もなく子供のように泣いていた。

『どうして、守ってくれなかった。あんたにはその力があった。あんたならできたのに』

青年はそう儂を責めるが、実際には自分を責めているようにも見えた。

スフィアはただ一人の孫娘。だが、私の最愛の娘ではない。あれを見る度に湧き上がるのは後悔と怒り。彼女を見る度に自分の罪を見せつけられているようで、死んだと聞かされた時も悲しみや後悔よりも安堵の方が大きい。

「青年の遺体が川辺で見つかった。所持品からダハル・キンバレー子爵だと判明している。お前さんが殺したんだな」

青年は答えない。ニィッと笑ったその顔には狂気があった。

もし夢でも見たことが現実なら彼は一度スフィアを失っている。そして狂ってしまったのだろう。元から蛇の獣人は何かしら狂っていると聞くが、失うことでそれがより顕著になったのかもしれないな。

「ヴァイス殿下、王家の秘宝を使いましたね」

王家の秘宝。ただ一度だけ願いを叶えると言われている。

「王家の秘宝でも死者を蘇らせることはできない。だから時間を巻き戻すことを願った。スフィアが生きている時間まで。ただ、どの時間まで戻るかまでは選択できなかった」

そこまでして孫を愛するか。ただ‥…。

「スフィアにあるのは虚無です。あの子は先の未来を視てはいない」

「構わない。彼女が死にたいと望むのなら一緒に死ぬだけだ。俺が欲しいのはスフィアとの未来ではない。俺が欲しいのはスフィアだけだ。彼女の望みは全て俺が叶える。だからお前は要らない」

ズルズルと何かをベッドの上を這う音がする。

儂はその音に耳を傾けて静かに目を閉じる。これでやっと楽になれる。娘と妻のいる場所に逝けるのだと思うと穏やかな気持ちにすらなれる。

儂は最低な祖父であっただろう。

どんなに最愛の娘の忘れ形見でもスフィアを愛することができなかった。あの子を見殺しにした。あの子に何の罪もないことを知りながらも。

願う資格がないのは分かっている。今更なのも分かっている。

それでもスフィア、この先の未来に幸が多からんことを願っている。

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