第26話 見過ごされた命

side.ギルメール


スフィアお嬢様は変わられた。

公爵家、唯一の直系で後継者。

けれど自ら何かをしようとする積極性も、あの木偶の坊たちをどうにかしようとする気概もなかった。このまま公爵家は終わるのかと諦念が支配した。

だがある日、スフィアお嬢様は変わられた。まるで別人にでもなったかのように。

どういう風の吹き回しかと思った。

すぐに元に戻られたも困る為、暫くは静観をすることにしたがあの方はアトリの罪を暴き、公爵位まで奪い返した。

本当に変わられたのだと思った。

ワーグナー殿下との婚約破棄がいい薬になったのかもしれない。

ただ懸念材料はまだ残っている。残っている中で一つ増えた。一番厄介な材料だ。

ヴァイス・ヴィスナー第二王子。蛇の獣人で、側妃様の子ではあるが優秀な為、支持率は高い。諸外国を奔放しており謎の多い王子だったのにどういうわけか急に帰ってきてスフィアお嬢様に付き纏い始めた。

しかも、スフィアお嬢様は気づいておられないが常に二人以上の人間が彼女についている。恐らくヴァイス殿下の手の者だろう。

なぜそこまで執着する?スフィアお嬢様をどうされるつもりだろう。

ただの補佐官がそんな無礼な質問を王子殿下に対して投げかけるわけにもいかず、ヴァイス殿下がスフィアお嬢様に対して不埒な真似をしないか見張ることしかできなかった。

そんなある日、ヴァイス殿下が動いた。お嬢様に対してではなく、私に対して。

「ギルメール・レドフォード。先々代ラーク公爵の補佐官」

どうやって忍び込んだのか、夜、自室で仕事をしていると背後からヴァイス殿下の声がした。しかし、振り向くことはできない。なぜなら首元に猛毒を持った蛇が巻き付いていたからだ。

蛇は舌を出し入れしながらこちらをじっと凝視していた。少しでも妙な動きをすれば毒の牙で私の喉元に食らいつくぞとその目が言っているようだった。

蛇の獣人であるヴァイス殿下の特技の一つが蛇を操ることだった。私の首に巻き付いている蛇はヴァイス殿下の命令に従って行動している。私の命は今、ヴァイス殿下に握られているのだ。

ごくりと唾を飲みこみながら私は慎重に言葉を紡ぐ。

「ヴァイス殿下、紳士が訪ねるには遅い時間かと思いますが」

「俺のスフィアと長い時間を過ごしているお前と話がしたくてな」

悪びれもせずにそう言い放ったヴァイス殿下はズカズカと私の前に来て、ソファーにどかりと座る。彼は遠慮と言う言葉を知らないのかと文句を言いたかったが、首に巻き付く蛇がそれを許さない。

蛇はするりと味見でもするかのように私の頬を撫でる。生きた心地がしない。

「可愛いだろ。俺の命令なら何でも聞いてくれるんだ」

それは返答如何ではすぐにでも私の命を取れるという脅しのつもりか。

舐められたものだ。自らの命惜しさに私がラーク家を売ると思っているのか。

「ご用件はなんでしょう?王子殿下も色々とお忙しい身でしょう。私も見ての通り仕事がまだ片付いていないので時間を無駄にしたくはありません。その為、時間短縮をさせていただきます」

私は今日、死ぬかもしれないな。

「私はラーク公爵家の補佐官です。その為、王子殿下の要求がラーク公爵家に対して害悪となると判断できるものなら従うことはできません。例え、私がここで死ぬことになってもです。殿下、私に脅しは効きませんよ」

私の首に巻き付いた蛇は牙を収めはしたが、私を殺さないと決めたわけではない。殺し方を変えただけだ。

ぐるぐる、ぐるぐると蛇は上に這うように私の首に巻き付き、徐々に体を捻じっていく。私を絞め殺す気のようだ。喉が圧迫され、呼吸がしづらくなる。それでも蛇の力は弱まりはしない。

私が苦しんでいる姿をヴァイス殿下はただ凝視した。

「見上げた根性だな。敬愛する先々代公爵の為に命すらも惜しくはないか」

薄っすらと笑う彼の目には憎悪があった。

初対面のはずだ。なのに、どうして自分はそこまで彼に恨まれているのだろうか。

憎悪と嫌悪。それは確かに自分に向けられているものだが同時に彼自身にも向けられているような気がした。

彼は本当のところ私を殺すつもりがなかったのか、或いは土壇場で踏み止まったのかは分からない。私の首を絞めていた蛇は急にその力を緩め、彼の元へ戻って行った。

私は急に呼吸が楽になったことにより一気に酸素が体の中に入ってきて咳き込む。咳き込む私を彼は凝視していた。

「敬愛する主の為ならば他者の命すらもゴミ屑同然のように捨てられる。お前にとって以前のスフィアはゴミ屑同然の価値しかなかったのだろうな」

以前の女公爵様というのは先代公爵とアリエス様の言うことを黙って聞き、何においても消極的だった時のことを言っているのだろうか?

「どんなに愛着があっても壊れてしまえばただのゴミだ。ゴミを屑籠に入れることに抵抗する人間はいない。お前にとってスフィアを見殺しにすることはそれと同じ作業でしかない」

女公爵様を見殺し?

彼の言うことは意味が分らなかった。

「俺の最愛を屑籠に捨てた罪は重い。だが、あの時の俺も似たようなものだ。自分の心に嘘をつき、現実から目を背けた。その結果、愛する人を失うのだから何とも情けない話だ。俺も同罪だからこれ以上とやかく言うつもりはない。俺自身にその資格もないからな。だが二度を許すつもりはない。もし、またお前がスフィアの命を見捨てるようなことがあれば容赦はしない」


◇◇◇


ヴァイス殿下が言っている内容は理解しがたいものだった。

ただ、彼が去った後私は残っていた仕事を明日に回して早々にベッドに入ることにした。

彼の言ったことが気になって寝付きは悪かったが気疲れのせいか知らない間に眠っていた。

夢を見た。

スフィア様が変わることなく消極的で、アリエス様を公爵家の養女にしてしまう書類にサインをした。

アリエス様とアトリ様、そしてワーグナー殿下はやりたい放題。スフィア様は彼らに何を言われようと何をされようと黙って耐えていた。

夢の中の彼女は現実の彼女と同じようにワーグナー殿下に婚約破棄をされる。ただ一つ違うのはヴァイス殿下はおらず、スフィア様は他家に嫁に出されたこと。

彼女が他家に嫁に行ってから会うことはなかった。次に私が彼女に再会したのは彼女の葬儀だった。棺に眠る彼女の体にはおびただしい程の痣があり、彼女自身あり得ないぐらいやせ細っていた。

絶望に彩られた彼女の死に顔が私を、私たちを責めているように見えた。

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