第12話 図々しい血筋

「何だか疲れたわね」

王宮から帰るとどっと疲れが押し寄せて来た。

「今日はずっと張り詰めていましたからね」

ギルメールからお茶を受け取る。口に入れると紅茶の香りが体の疲れを癒してくれるかのように全身に広がった。

「それでは私はこれで失礼します」

「ええ。ありがとう」

ギルメールが出て行き、完全に一人になると私はヴァイス殿下のことを考えた。

不確定要素は一つ。不安要素も一つ。それらは二つとも同じもの。

ヴァイス・ヴィスナー第二王子。彼だけが前の人生と違う行動をとっている。それが未来にどう影響を与えるのか。私を好きだと言うのは本心だろうか。

もし、本心だったら私は‥‥…いや、止めよう。そんな予想は無意味だ。期待はしない。それが最善だと知っているから。

今日、法務官に提出した書類でお父様の失脚は確実。アリエスも養女になっていないので我が家を乗っ取ることはできない。ここまでは順調に来ている。‥‥…はず。


◇◇◇


「‥‥‥ヴァイス殿下」

「急な訪問ですまない。迷惑だったろうか?」

「いいえ」

翌日、ヴァイス殿下が朝早く私を訪ねて邸へ来た。

「ヴァイス殿下、娘が何か粗相でもしましたか?」

エントランスへ来たお父様がヴァイス殿下に挨拶もせずに真っ先に聞いた。私が何かした前提なのね。ヴァイス殿下がアリエスではなく私を訪ねて来たから。

もし彼がアリエスを訪ねて来たのならお父様はアリエスがヴァイス殿下に見初められたのだと思っただろう。

アリエスは可愛いからなくはない話だけど。

そう思うと少しだけもやっとした。

ヴァイス殿下はお父様の言葉に乾いた笑みを見せた。

「スフィアとは何度か顔を合わせているが礼儀作法のしっかりした令嬢だ。至らぬ点などない。寧ろ粗を探す方が難しい。王族に対する礼儀を知らぬお前と違ってな」

「っ。し、失礼しました」

王族相手に失態をしたことにようやく気付いたお父様は慌てて礼をする。

「ヴァイス殿下、ワーグナー殿下の婚約者のアリエスと申します。お会いでいて光栄ですわ」

お父様の左隣に居たアリエスはにっこりと笑って礼を取る。作法に則った優雅な礼だ。

「ワーグナーは平民を婚約者にしたのか?」

「ふぇ」

「姓を名乗らないということは平民ということだろう?」

ヴァイス殿下はアリエスが男爵令嬢だということを知っていて敢えて知らないふりをした。

アリエスは自分がまだ公爵家の養女になっていないから没落した男爵家の姓を名乗らないといけない。でも名乗りたくはなかったのだろう。自分には相応しくないと思っているはずだから。

「いいえ、血筋のしっかりとした貴族令嬢ですわ。けれど、まだ名乗れる姓がないんですの」

アリエスは涙ぐみちらりと私を見る。

私がさっさと養女にすることを承諾しないからだと目で訴えている。彼女の可愛さもあって特に深く考えることが苦手な無責任な男どもがいたら私を責めるだろう。

「もしかして君は貴族の血を半分しか継いでいないか?」

「‥‥…は?」

同情されると思っていたアリエスは完全に固まってしまった。予想外の反応をされると対応できないらしい。アリエスの様子に気づいているはずのヴァイスは気づいていないふりをして話を続ける。

「だって血筋のしっかりとした貴族令嬢。なのに、姓がないってことは妾の子ということだろ」

「なっ」

にっこりと笑ってヴァイス殿下は「俺の言っていることっておかしい?」と聞く。

「私は母も父も貴族ですし、妾の子でもありません」

「ならばあなたはヘルディンという姓があるじゃないか。姓がないというのはおかしい。それとも俺に同情してほしくて王族の俺に嘘をついたのか?まさかそんなことするはずないよなぁ」

低く冷たい声。

聞いているだけで心臓が凍り付いてしまう程の声がアリエスに向けられた。

「い、いえ、あの、その」

「む、娘は本当ならラークを名乗れていたのです。けれど」

アリエスを庇うようにお父様は一歩前に出る。お父様の背中のおかげでヴァイス殿下の視線から完全に外されたことによりアリエスは安堵した。

私はそんなふうにお父様に庇ってもらったことはなかった。

「娘?お前の娘はスフィアだろ」

ヴァイス殿下の声が更に低くなった。怒っているようだ。何に怒っているのだろう。アリエスが憚ったこと?でもアリエスが男爵令嬢で、公爵家の養女になりたがっていること、そしてそれが私のせいで叶っていないことをヴァイス殿下は知っている。

アリエスの本性も知っているから姓を名乗らなかったアリエスを不敬だと怒っているのは不自然だ。だってアリエスの行動は全て予想範囲。ならば怒っているという態度や言動はパフォーマンス。確かにパフォーマンスの部分もあるだろう。だけど確実に怒っている部分もある。それが何なのか分からない。

「いずれは娘になります。彼女は我が家の養女として迎え入れるつもりなので」

「それを決定する権限は貴様にはない。お前は王が定めし王国法に逆らうというのか?それが事実ならば不敬罪あるいは国家反逆の疑いありとみなさなくてはならないな」

「王国法に逆らうなど滅相もない」

お父様がヴァイス殿下にへりくだる様は実に情けないわね。

いつだってそうだった。自分よりも上の者にはへりくだり。少しでも下だと判断した者には強気に出て。小物感が半端ない。どうしてこんな男を恐れていたのだろう。どうしてこんな男に愛されたいと望んだのだろう。愛の希求など愚かしい。

「では、よもやスフィアに無理やり養女にさせるよう迫るつもりか?」

「まさか、そのようなこと。スフィアとアリエスは仲が良く、両親を亡くしたアリエスをスフィアはとても哀れみ、直ぐにでも養女に迎え入れてくれるでしょう。そうだな、スフィア」

図々しい。

暴力と脅迫で無理やりサインをさせようとしたくせに。

仲が良い?哀れんでいる?

どうして私が自分を死に追いやる人間をたかが両親を亡くしたというだけで哀れまないといけないの?

冗談じゃない。

冷酷だと罵られようが、非難を受けようが私はね、いつだって自分が可愛いのよ。自分が生き残る為なら他人なんて蹴落とすし、見捨てもするわ。ましてやそれが己を蔑み、蹴落とそうと虎視眈々と狙っている相手なら尚更。だいたい忘れたの?その女は既に私の婚約者を横取りしているのよ。まぁ、それは前回の話だけど。今回は私が屑籠に捨てたものを拾っただけですものね。

浅ましい女にはお似合いだわ。

「それは少し難しいですわね」

「何だと?」

眉間に皴を寄せ、怒るお父様に対しアリエスは同情を誘うと泣き崩れる。

「やはりお姉様は私がお嫌いなんですね」と言いながら。

図々しさは血筋ね、きっと。

「嫌だわ、アリエス。公爵家に迎え入れなかったらどうして私があなたを嫌うという話になるの?借金を返そうともしないあなたを家に置いてあげて衣食住の世話までしているのに。どうしてラークの姓を名乗らせなかっただけで私があなたを嫌いという理由になるの?」

涙は女の武器?

その武器をどうしてあなただけが所持していると思っているの?私が持っていないとどうして思っているの?

女はあなただけではないのよ。私もあなたと同じ女よ。だから同じ武器を持っていても何も不思議ではないでしょう。

私は悲し気な表情を作る。

「あなたにラークを名乗らせることでしか私はあなたに対して価値を見出せない。あなたはそう思っているのね?」

「そ、そんなことは」

「いいのよ、私は全然気にしていないから。あなたがお父様に新しいドレスや宝石を買ってもらっても私はあなたに文句を言ったことないでしょう。ほら見て、あなたに少しでも新しいドレスを着て貰う為に私は去年着ていたドレスやお母様のおさがりのドレスで我慢しているの」

「っ」

「でもこれは私が勝手にしていることだからあなたは気にしなくても良いのよ。お父様の言う通りだわ。だってあなたはご両親を亡くされた可哀そうな子だもの」

アリエスの顔が怒りに歪む。

私に本気で哀れまれているのが屈辱でならないんだわ。

ちらりと周囲を見ると使用人がひそひそと話をしていた。

「お嬢様が我慢しているのにどうして男爵家の令嬢が我慢をしないの?いくら従妹といってもちょっと図々しいわね」

「しかもアリエス様は旦那様に新しいドレスや宝石を強請っていたわ。私、何度か見たもの。お嬢様に我慢を強いるのではなく断るべきでしょう」

「しかも公爵家へ借金もしているのでしょう。ねぇ、このままだと私たちのお給料に影響が出るんじゃないの」

という話をしていた。

使用人も人間だ。そして人間とは現金なもので自分に利益を齎してくれる人間の味方をするのだ。使用人どうしの繋がりは馬鹿にできない。彼らの噂が家に多大な影響を与えることもあるのだから。

「でも、ごめんなさいね。ラークを名乗らせてはあげられないの。だって、ラーク家には後継ぎである私がいるし、あなたを養女にすれば要らぬ争いを招きかねないわ。分家も黙っていないでしょう。それに借金だってあるし」

「借金は‥‥‥」

「大丈夫よ。真面目に働いて返せない額ではないし」

「わ、私に働けというのっ!酷いっ。酷いわ、お姉様」

「酷い?何が酷いの?」

「ひっ」

そんな悪魔が出たような顔をしなくてもいいじゃない。失礼ね。

「後継ぎ以外は家を出て働くものでしょう。どこかに嫁に行く以外はね。あなた以上の爵位の人間もそうしているわ。我が家で働いている使用人がまさか平民だと思っていたわけじゃないでしょう」

アリエスは使用人の突き刺さるような視線に後ずさる。

私を悪女に仕立て上げるつもりで責めたのでしょうけど悪手ね。公爵家で働く使用人は爵位もち。上級使用人ともなれば伯爵家出身だ。努力次第では男爵や子爵家の出身でも上級使用人となれるが可能性は低い。公爵家の上級使用人は場合によっては王族や他国の賓客を相手にすることもあるからだ。

爵位によって習得しているマナーや学に大きな差が出る為、そのような客人を相手にするのが難しいからだ。

「で、でも、私はワーグナー殿下の婚約者に」

「ワーグナー殿下が我が家に負った借金ではないわ。あなたの家が負った借金よ。であれば、ワーグナー殿下は関係ないわ。それでもワーグナー殿下の婚約者だからという理由で踏み倒すのならワーグナー殿下に払ってもらうまで。払えないのなら財産放棄をなさい」

「そ、それは」

財産には当然、家の爵位も入っている。放棄をするとうことは爵位を陛下に返上するということ。すなわちアリエスは平民になるということ。ただ、そうすることで男爵家とは関係なくなるから必然的に借金の返済もしなくてすむ。身一つで放り出されはするが。

「スフィアっ!ぐわっ」

私を殴りかかろうとしてお父様の腕をヴァイス殿下が捻り上げた。

「公爵、スフィアは私の大切な友人でね。傷つけるというのなら容赦はしない」

「お父様」

床に放り投げられたお父様にアリエスは慌てて駆け寄る。

「スフィア、暫く俺の邸に泊まらないか?こんな暴力を振るう奴と同じ場所には置いておきたくない」

「ですが」

「調査が終わるまでの間でいい」とヴァイス殿下は私に耳打ちした。

どうせ数日のことだしその方が私もストレスなく過ごせるからメリットはある。

「私は有難いですが」

「では決まりだ」

ヴァイス殿下にどのようなメリットがあるのだろうか。

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