第3話 捨てるよりも再利用

「さっさとサインをしろっ!」

「‥…嫌です」

「っ」

バシンッ

再び頬を叩かれた。昔からそうだった。気に入らないことがあるとすぐに暴力を振るう。暴力でしか人を従わせることができないなんて。

「さすがはあの悪女の娘だけある。両親を亡くした哀れな従妹を平気で見捨てようとは。お前たち母娘はまるで悪魔の化身のようだ。残念だよ。今が一昔前の時代だったら魔女狩りにかけられたのに」

悪女とは私のお母様、つまりお父様の妻になる女性のことだ。

お母様はお父様に一目ぼれして公爵家の力を使って無理やり婚姻したと聞いている。そのせいかお父様は周囲からかなりの嫌味を言われたそうだ。

逆玉の輿になるが、身の丈に合わない結婚はその分気苦労も多かったのだろう。だからお父様はお母様のことを嫌っている。

「私は確かにお母様の娘ですが半分はあなたの血です。私の性格が悪いと仰るのなら果たしてどちらの血を濃く継いでしまったのでしょうね」

お前も性格が悪いと遠回しに言ってやるとお父様は怒りで顔を赤くした。額に浮き出た血管が今にもはち切れそうだ。

「気でも狂ったか」

そうね。きっと狂ってしまったのでしょうね。そうでなければお父様に対してそんなことは言わない。いつもの私ならお父様に愛されたくて全てに従った。

成人しても当主の座をお父様から奪おうとはしなかった。

でもお父様が私を省みることはなかった。きっとお父様にとって私は路傍の石だったのだろう。

「暫く部屋に閉じ込めておけ」

使用人に命じてお父様は部屋を出て行った。

「いっそう狂ってしまえれば良かったのに」

一人になって呟いた言葉に自嘲する。

前の私なら大人しくサインをしただろう。絶対に逆らわなかった。愛されたかったから。でもそれと同じくらい父のことが怖った。

機嫌を損ねればどうなるかを嫌と言う程知っていたから。

でも、何を恐れる必要がある?

婿養子のお父様は所詮、中継ぎの当主。全権を掌握しているわけではない。私のサインがなければ自分の姪を養女に迎えることすらできないのだから。

「ワーグナーさまぁ、本当に頂いてよろしんですか?」

「当たり前だろ」

「でも、私なんかよりもお姉様の方がきっとお似合いになりますわ」

私の部屋は陽光が入り込まない邸の最奥。その窓から見えるのは邸の裏庭。そこからワーグナーとアリエスの声が聞こえた。

ワーグナーは小箱をアリエスに渡していた。中身は髪飾りのようだ。

彼女は私に悪いと言いながら頬を染めて嬉しそうにそれを受け取る。私の方が似合うと言いながらその目は絶対に自分の方が相応しいと雄弁に語っている。

「あんな陰気な女に似合うわけがないだろ。地味で陰気な、あんな女が俺の婚約者だなんて父上も何を考えているんだか。あんな女は王族である俺に相応しくはない」

「まぁ、ワーグナー様ったら。お姉様に悪いわ。幾ら本当のことでも心に留めるだけにしておきませんと、傷ついてしまいます」

「アリエスは本当に優しいな。あの女にもアリエスのような優しさが少しでもあれば良いのに。容姿だけではなく中身も醜いとは。容姿と内面の美しさを兼ね備えたお前が婚約者であればどれほど良かったか」

「でも、私はただの男爵令嬢ですわ。ワーグナー様には相応しくありません」

「何を言う。お前こそ俺に相応しい。それに、今は男爵令嬢でも次期、公爵令嬢だ。そうすればあんな女すぐに捨ててお前を婚約者に迎え入れよう。きっと父上も許してくださる」

「ワーグナー様。嬉しい」

アリエスはキラキラした眼差しでワーグナーを見つめ、彼の胸にそっとすり寄る。

そんな二人を部屋から見ていた私は何もかもが馬鹿らしくなった。

どうしてこんな奴らの為に耐えてきたのだろう。耐える必要なんてないじゃないか。

「お望み通り婚約破棄してあげるわ」

ワーグナーもアリエスもまだ知らない。私が今日、アリエスを養女にする書類にサインをしなかったことを。そしてアリエスは知らない。ワーグナーに必要なのはアリエスではなく公爵令嬢であることを。

「もし、アリエスが公爵令嬢になれないと知ったらワーグナー殿下はどうするでしょうね」

その答えは決まっている。

私を捨てたみたいに今度はアリエスを捨てるだろう。

「不要だと思ったものは全て捨ててしまえばいいわ。ねぇ、殿下。全てを捨てたあなたの手にそれでも残るものはあるのかしら。そしてアリエス。そんなに欲しいのならワーグナー殿下をあげる。私にはもう必要のないものだもの」

屑籠に捨てるのではなくアリエスにあげよう。

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