第17話 僕の初恋

一条美貴と会ったのは合計で三回くらいだったろうか。

 はじめて出会ったのは、高校一年の秋頃だった。確か、文化祭の話を段柳としていた時だった。


「そろそろ、文化祭があるんだ。君も顔だけ出すとかしない?」


「ううん。僕は遠慮するよ。そういうのは、運営にもきちんと参加してこそだろ。だから、僕みたいなのは学校の生徒でありながら、部外者のようで、一番居心地が悪そうだから」


「うん。そう言われれば、確かにね。でも、このチラシはどうしたんだい?」


「ああ、それか。それは、一条さんの学校の文化祭だよ。誘われてるんだ。招待したいって」

 突然の「一条」という名前。それに「さん」という敬称は、その一条という人物が女性であることを示していた。


「一条さんって、まさか、女の子? 彼女か?」

 僕は子供じみた食いつき方をした。すぐに恥ずかしくなるほど、気分が上がってしまった。


「そうだよ。女子だよ。彼女っていうのかな。その子は僕と結婚するから、もうそれ以上だと思う」 


 唐突に次ぐ唐突。段柳祐介を心底計り知れない奴だと実感した瞬間だった。

 僕は呆然としていて何も言えなかった。そんな僕に気がついて、段柳が説明を加えた。


「母さんがそう決めたんだ。僕は一条さんでいいと思っているし、肝心の向こうも、僕で良いと言ってくれているんだ。政略結婚とかじゃないよ。合意の上。手引きをしているのが僕の母さんや、一条さんのご両親ってだけ」


 この世に、この 平成 の世に、そんな並外れたことがあるのかと全く信じられなかった。

 段柳はそのあとも淡々として、「まあ、そういうのを政略結婚っていうのかな」と言って笑っていた。

 そして、その日に一条美貴が夕食の席に現れると言われて、そこで初めて出会った。

 元気が溢れているが、礼は弁えているといった現代風のお嬢様であった。明るく何者をも敵に回さないといった微笑み。


 僕ははっきり言って、一目に一条美貴が好きになった。その幼い笑顔に似合わない発達した乳房が思春期の僕を悩ませて、以後高校時代を通して快楽と自責の連続の中に僕を叩き落とした。

 それはさておき、一条美貴は初対面の僕にも好意的に接して、奥手な僕が戸惑う心配もないほどだった。


「祐介君のお友達ね。井上君でしょ。話はいつも祐介君から聞いているのよ。井上君は私たちの話を聞いている?」


 二歳下の中学生の女の子に「君」付けで呼ばれるとは思ってもみなかった。別に馴れ馴れしくもない。だから不快でもない。すこぶる自然な言い方で、心地よさすらある。それはやはり、この一条美貴だから出来る技である。彼女の魅力の為せる技なのだ。

 僕は段柳から許嫁の話を聞かされていることを伝えて、しばらく会話は弾んだ。いや、今にして思えば彼女の力量で弾ませてくれたのだというべきだろう。


「祐介君はインドアだから、なかなか難しいんだけど、井上君がいれば、きっと大丈夫かもしれない」とそう前置きをして、「私の弟はキャンプが大好きで、未だ小学生なのに、自分で薪を割って火をおこして、飯盒でお米を炊いて、もう本格的なのよ。それで、今度、祐介君も誘って、みんなでキャンプに行きたいの。でも、祐介君はどうしても行きたがらなくて……」と話した。

 僕は二つ返事で、「僕も行きたい。僕が段柳君を説得するよ」と請け合った。

 友人の婚約者でも何でも構わないと思った。一条美貴と親しくしたいと思ったのだ。

 しかし、安請け合いはしてはいけない。その後何度も、しつこく段柳を説得したが、びくともしなかった。そして、あえなくキャンプの話は立ち消えになってしまった。

 残念に思ったり、段柳を恨んだり、一条美貴にどういう顔で会えばいいかと苦悶したり、まったく青春はややこしかった。

 その後も一条美貴には二回ほど会った。キャンプの件など気にしていないという風で自然に接してきたから、心底ホッとしたのを覚えている。

 それに一度だけ、その弟にも会った。会ったと言っても言葉は交わせなかったから、顔を合わせたくらいだった。

 それは一条美貴の弟が中学校に進学するからと、そのお披露目に現れた時だった。袖丈の長い学ランに身を包んだ彼は精悍な顔つきで、顔だけ見れば大人のようにさえ見えた。


「あれが、一条さんの弟なんだね」


 帰り際に段柳にそう言った。すると、彼は、一階の和室で自分の姿を見せびらかしている一条美貴の弟を一瞥した。


「ああ、いけ好かない奴だよ。あんなガキのくせに……」


 この返答には驚いて、彼の表情を観察せずにはいられなかった。出し抜けの酷評に対して、その真意を推し量ろうとしたが、それ以上何も言わなかったから、ついには分からなかった。

 きれいに整った相貌故に余計にその言葉が冷たく響くのだ。

 あの言葉の意味はなんだったのだろうか……。

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