蒼キ龍ノ覇道 烈夏の章

とうがけい

第1話 大暑

 その瞬間に綾川志野の体が天高く弾け跳んだ。バン!という地面を蹴り上げた音が耳に届き、彼女はその身を夜更けの空に浮かぶ月にその影を重ねる。

 ドンという着地の感触を得て、今一度二階建て家屋の屋根を跳ね、全速力で瓦の上を駆け抜ける。家の住人に十分迷惑なことは重々承知していたが、今はそれを気にしている暇はなかった。

 志野のやや先を同じようにして屋根から屋根へと飛び跳ねて逃げる黒い影が二つ。後を追う自分をけん制しての動きであることは十分わかっているし、だからこそこうして追い詰めているわけだが、今ひとつ捕まえるに至らないのは力不足なのか、からかわれているからなのか判断することが出来なかった。

「まったくさあ、逃げ足だけは本当に速いよ…」

 志野はそんな悪態を吐きながら家の屋根を跳ね回って逃げるモウリョウ跋扈(バッコ)を追いかけていた。 

 麻里子曰く「見かけは兎にそっくりでも、中身はかなり悪賢い獣系のモウリョウ。覇力も並以上だから気を抜いてかかると痛い目見るよ」ということらしい。事実この三日ほど谷根千界隈で派手な暴れっぷりを見せて、かなりの被害が出たといろは組の監視員から報告が上がっていたのである。

 そのために志野、燐たちが交代で見張りながら様子を伺っていたのだが、志野としては自分の見張り番の時に出てくるなんてついてない、というのが偽らわざる気持ちだった。

 志野は交代時間を決めるくじ引きで夜番を引き当てた時から嫌な感じはしていたのだが、まさか的中してしまうとはと思わなかっただけに、何となく気持ちがもう少し入らずにいたのである。

「たく、ちょこまかと…」

 錫華御前を構え一撃と思ったときに、バッコはそれを察するのか間髪入れず位置を変え、志野に攻撃のタイミングを掴ませない。見事な連携を続ける二匹に完全にかき回されているというのが今の状態だった。

「とはいえ、こんな住宅地で蒼牙を召還してドカン!ってわけにはいかないよね」

 志野は無理を承知でつぶやいてみるが、不可能なことは十分わかっていた。

 発見の報告は麻里子さんにしてあるから、燐さんか譲之介さんが来るだろうか。それとも麻里子さん自身が…と志野は考え、今はこいつらを見失わないように踏ん張るしかないと目の前に集中した。

「な…」

 ほんの一秒だけ意識を外した瞬間、前を走るバッコが突然に視界から消える。いや、消えたのではなく桁外れの脚力で一気に跳ね上がったのだと気がついたのはさらにその一秒後だった。

「どこへ行ったあ!」

 急ブレーキをかけて止まった志野は前後左右を素早く見回す。次の瞬間。

 ドカンと背中を蹴り飛ばされ、志野は前のめりに突き倒される。咄嗟のことに受身など取れるわけもなく、無様に屋根瓦へ顔を打ちつけ転がった。

「い、い、痛ったあああいっ」

 ガラガラガッシャーンという派手な音が夜も遅い谷中の住宅地に響き渡り、そこかしこで窓が開く音と住人の騒ぐ声が耳に届く。

「っちゃーヤバイじゃん」

 志野はバッコに蹴り飛ばされた屈辱よりも、街の人々が騒ぐことが気になった。そうでなくても春以降、奇怪で摩訶不思議な事件が多発している東京である。裏でいろは組がどれだけ頑張っても対応には限界がある。何かあればまたご隠居と町会長がねちねちと嫌味を告げにくるのが気に食わなかった。

「あ、あの兎モドキめー」と志野が悪態をついて立ち上がろうとした時だった。

「ぎゃふっ」

 悲鳴にもならぬ言葉を吐いて志野は再びその場に叩きつけられる。もう一匹のバッコがころあいを見計らってさらに一撃、背中に蹴りを入れてきたのである。大したダメージは無いにしてもプライドは傷つく

「おのれ!もう絶対に許さないっ」

 立ち上がった志野の少し前で、大きな耳を左右に揺らし笑い転げる二匹のバッコに彼女の理性は吹き飛んだ。

「赤短冊、式術、龍翼飛翔っ!」

 羽織っているパーカーの内ポケットから引き抜いた短冊を空に飛ばし、瞬間に破裂したそれが光の輪となって志野を包む。同時に背に龍の翼が生え開き、屋根を蹴った体が空に舞う。その動きに動揺したのはバッコのほうだった。

 瞬時にバッコとの間合いを詰め、志野は錫華御前を構える。一匹はすぐに反応して体の向きを変えるが、もう一匹は恐れおののき慌てふためいている。

「龍爪激裂っ!」

 叫ぶ志野は逃げようとするバッコに向けて御前を切り上げる。刃から打ち出された衝撃波が真横に向いた跋扈を捕らえ、真っ二つにその体を引き裂く。瞬間、バンと破裂したバッコは光の粒となって散華し、四散した覇力が天に昇っていく。尽かさず志野の上空に彼女のモウリョウ、四神瑞獣青龍蒼牙が姿を現し、バッコの覇力をすべて喰らい尽くしていた。

「もう一匹っ!」

 まさしく脱兎のごとく逃げるバッコは、志野に背を向け一目散に逃げていく。

「よしっ」

 志野が十分に追えると判断し、体の向きを変えて飛び出そうとした時だった。

 突然、逃げるバッコの前に光の雨が振り注いだ。回避しようとしたもの間に合わず、バッコはその光の雨に自ら突っ込んでいく。

「えっ?」

 その光景に志野が驚いたのは言うまでもない。何も無い闇の一点からまさに突然、豪雨のごとく光の矢が吹き出したかと思うとバッコの体を捕らえ包み込んだ。 「ギャヒュヒュイイイイイ」という雄叫びがバッコの断末魔なのかは分からないが、次第に収まっていく光の雨の中にバッコの姿は無く、四散したことを思わせる光点の群れが空に昇っていくしていくのが見える。

「つまりバッコを倒したということで…」

 そう考えるのが妥当だと志野は思うが、それでは誰がと考える。燐さんならすぐに姿を見せてもよさそうだし、譲之介さんにああいう技があるのかは知らない。コタローならまず出てきて一騒ぎしてからと思う。

「じゃ、誰?我邪?」

 首を傾げて道路に降り立った志野は翼と御前を消すと空を見上げ、四散した跋扈の覇力を追う金色の鳥を見つける。青龍蒼牙が彼女の真上で動かずにいるということは、金色の鳥の存在を黙認するということなのか。

「キイイー」という金色の鳥が鳴く甲高い声が志野の耳に聞こえる。

「あのモウリョウは一体、誰が…」

 その鳥を追って走り出した志野は、静まり返った住宅地を抜け、墓地を駆け抜ける。途中、周囲に何匹かのモウリョウの気配を感じたが、今はそれらを無視して金色鳥だけに集中した。

「あ、あれは…」

 走る志野は金色鳥が飛ぶ先にかなり古い家屋を見つける。その屋根、いや物干し台だろうか、淡い光に包まれてそこに立つ人影を目にする。

「何だかねぇ…」

 志野は人間が自ら光を放つなどありえぬと考えれば、相手は自ずと同業者かもしれないと思うのが妥当だと結論する。ならば今は気がつかれてはまずいかなと思い、一本手前の路地で止まって様子を伺うことにした。

 いろは組に属さないキズキビトがいることは麻里子から聞いてはいたもの、彼らがどういう立場で行動しているのか詳しくは知らされてはいない。我邪のように真っ向から敵意をむき出してくるなら当たるべき態度は決まっているが、違うならばめったやたらに敵と決め付けるのは好ましくないだろうと思う。

 通りの角から首を少しだけ伸ばし、生唾を飲み込んでうかがい見る。

 金色鳥は物干し台に立つ人物、長い髪をひとつに束ねた華奢な姿の女性と思しき影に降りていく。次第に淡い光が収まっていくと、志野は見立て通りに光の主が若い女性であることがわかった。

 年の頃は麻里子さんと同じくらいかやや下くらい。細面の顔に細めの眼鏡をかけている。その奥の大きな瞳は厳しい表情を蓄え、神経質そうな性格にも見える。青龍の持つ並外れた視力も能力の一つとして使える志野は、この程度の暗闇ならば十分に観察することができた。

「あ、やっぱり…」と不意に志野がもらしてしまった言葉に気がついたのか、物干し台の女性は明らかに志野を意識して顔を向け、不快そうな表情を見せる。まるでこちらが見えていることをお見通しのようにである。

 金色鳥のモウリョウがくるりと円を描いて光の粒を残し消えると、その主はもう一度、志野に厳しい表情を見せてから物干し台を降り、家屋の二階に入っていった。ガラガラピシャンという、木製の窓を閉める音が聞こえた後は、今の時間が夜更けも夜更けであることを思い出させてくれるくらいあたりはしんと静まりかえっていた。

 もはや隠れる必要はないと思い、志野は通りに出て物干し台のある家屋まで歩いてく。肌がざわっとする嫌な覇力は感じられないので、ここいらに敵意のあるモウリョウはいないと考える。

「骨董商『鳳凰堂』って、この店だよね間違いなく」

 掲げられた看板を横目に志野は人気のない道を歩いていく。こんな時分に女子高生がひとりでとぼとぼなど、補導対象もいいところだが、万が一でもそんなことにならないよう今は祈るしかない。

「うーん…」

 色々なことがあった夜だが、結局、事情は麻里子さんに聞くしかないと志野は思う。とりあえず早いところ家に帰って眠りたい。今はそっちのほうが可及的速やかな欲求に違いなかった。


 ジジジジジという端末のバイブレーションが着信を告げ、志野の左手に伝わってきたことは十分に承知していたが彼女はあえて無視した。今の自分には睡眠以上に必要なものがあるのか。そういう理屈である。

 それが三度ほど続いたところで、何かを思い出したというアクションで志野はベッドから身を起こした。

 同時に四度目の着信報告がに入る。つかさず開き、発信者の名前を確認して志野の眠気は完全に吹き飛んだ。

「詩織っ!ごめええええーんんんんん」

 ブチという音と共に切られたスマホを握り締め、志野はうなだれることしか出来なかった。

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