第11話 ヘラクレスの意味

 ロビーのソファーに座っているイザナギは、リーサの名探偵ぶりに喜び、盛大に拍手している。


 観念した岸本は、小さい声で「すみませんでした」とリーサに頭を下げる。赤木も続けて頭を下げた。


 支配人の宮川は、岸本と赤木にこれ以上問い詰めることはせず、巻き込んでしまったことをリーサに謝罪した。


「全然いいよ!」


 にっこりと笑顔で答えるリーサ。別に岸本を吊るし上げたりするつもりなどなかった。たまたま居合わせたこの場所で、問題を解決をしただけ。


 ホテルの従業員たちは、この一見どこにでもいる小さくて可愛らしい女性が見せた、鋭い推理力と洞察力に驚いていた。


 全員が「何者?」と、心の中で思ったに違いない。


「あの、すみませーん」


 ホテルの入り口付近から声がして、一同はその方向を振り向いた。


 そこには汗だくでヘロヘロになった、おかっぱ頭で眼鏡をかけた一人の男性が立っていた。いつからそこにいたのだろう。足元には自身から出た汗が数滴落ちている。


 それをいち早く察知した金子は、急いで男性の元へ駆け寄った。


「大変お待たせいたしました! ようこそホテル・ヘラクレスへ」

「あ、どうも。なんだかお取込み中かと思ったので、終わるまで待っていました」

「それは大変申し訳ございません。直ぐにお部屋へご案内致しますので、お名前頂戴してもよろしいでしょうか」

「はい。中島です」

「中島様ですね。少々お待ち下さい」


 金子は駆け足でフロントへ入る。


 中島悟なかじまさとる(32)は、淡々と言葉を発しているが、今にも倒れそうなほど疲弊していた。


「中島っち! こっち来て座りなよ!」


 イザナギの声は、当然誰にも届かない。


 宮川は、矢吹に急いで荷物をお持ちしなさいと指示を出す。矢吹は中島の元へ行き、自己紹介して荷物を持った。


 リーサの探偵ぶりにテンションが上がっているのか、矢吹の動きは先ほどより機敏きびんだ。


「矢吹君! 中島様のルームキー」

「うっす」


 矢吹は金子からキーを受け取ると、中島をエレベーターへと案内した。


 リーサは中島がエレベーターに乗り込んだのを確認すると、宮川に尋ねた。


「支配人さん」

「はい、なんでしょう?」

「私ここに行きたいんだけど」


 宮川に旅行雑誌を見せる。


「トゥドゥマリの浜ですか」


 【トゥドゥマリの浜】そこは「月の島」と呼ばれているビーチだ。ウミガメの産卵地として有名なトゥドゥマリの浜は、歩くとキュッキュッと音がする“鳴き砂”で、きめ細かい砂の上を裸足で歩くのが気持ちいい、人気のスポットだ。


「どうしてもここに行きたいんだけど、ここから近い?」

「えーっとですねぇ。名主畑様」

「なに?」

「遠いです」

「うそー」

「ホテルヘラクレスとトゥドゥマリの浜は、ちょうど端と端です」

「まって、あり得ないんだけど」

「西表島に観光に来られる方のほとんどは、トゥドゥマリの浜は絶対に行きたいとおっしゃいます」

「……それが分かってて、どうして真逆の位置に建っているわけ? ふざけてるの?」

「申し訳ございません。それには深い理由がございましてね」

「なによ?」

「ここから離れた小島。波照間島はてるまじまというのをご存じでしょうか」

「知らない」

「有人島として日本最南端の島であるとともに、民間人が日常的に訪問できる日本最南端の地。でございます」

「へぇ。そうなんだ。それがどうしたの?」

「その波照間島には、日本最南端【平和の碑】が建てられています。沖縄県というのは、戦争とは切っても切れない、悲しみの過去を背負う島でございます。そんな日本最南端の島に建てられた平和の碑を、ひと時も忘れぬよう、更には見守るという意味で、この場所にヘラクレスは建っております」

「いや、最後ヘラクレス出てくんのかいっ」


 話の内容から、まさかヘラクレスが出てくるとは夢にも思わなかったリーサは、咄嗟につっこんでしまった。それも使ったことのない関西弁で。


「ギリシャ神話、最大の英雄ヘラクレスが、平和の碑を見守れる位置、それがこの場所でございます」

「そ、そうなんだ」


 なぜ、見守る人物が日本とは関係の無いヘラクレスなのか。全く理解できなかった。それを言うなれば、あそこでずっと能天気に過ごしているイザナギこそ相応しい人物ではないか。リーサはそんな風に考えていた。


 このよく分からないホテル・ヘラクレスの意味を、初めて聞いた人間はリーサ一人ではなかった。従業員の赤木、岸本、金子でさえも今聞かされたようだ。何故か赤木は一人、興味を示して目を輝かせている。


「と、まぁそのような深い意味があり、当ホテルはどうしてもここに建てなければいけなかったのです」

「分かったわ。教えてくれてありがとう。なんだかとても感慨深い様子で話してくれたけど、支配人さんは沖縄の人だから?」

「いえ、東京生まれです」


 きっぱりと答える宮川であった。


「ち、違うんだ。なんのゆかりも無いじゃない……」


 最後の言葉は、宮川には届かないほど小さいボリュームだった。


 そして同時に思ったのである。


 このホテル。


 変な人ばっかりだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る