三国志・呉書演義

木島別弥(旧:へげぞぞ)

第1話 名臣袁術

 西暦一八九年、長くつづいた後漢の王朝が滅びようとしていた。度重なる住民反乱の中、圧倒的な軍事力を背景に、董卓が後漢の皇帝に賢帝を擁立した。

 董卓は粗暴で、民を虐げ、都で横暴を振るった。そのため、董卓は群臣の信用を失い、対董卓討伐軍が挙兵した。

 勘違いしてはいけないが、反乱軍は、時の丞相であった董卓に背いたのであって、決して、皇帝たる献帝に背いたのではなかった。ここから、献帝の徳の高さがうかがえる。

 滅びゆく後漢という国家において、必死に善政を敷こうとする献帝の気苦労がうかがえるというものである。

 献帝からしてみれば、董卓は、自分を皇帝にしてくれた大恩人である。その董卓を、少々の粗暴なふるまいがあるからといって、罷免することはできない。献帝にとって、董卓は最大の自分の後見人なのであって、大切な恩人であった。

 反董卓の反乱が起きた時、献帝は己の人徳の少なさを嘆き、後漢が自分の代で滅ぶのではないかと危惧した。

 献帝はいった。

「董卓、また反乱が起きたと聞いたが、果たして我が国は大丈夫であろうか」

「我が君、ご心配には及びません。反乱軍といっても烏合の衆。すぐに目先の利益に踊らされて、離散するでありましょう。腐っても、後漢の正規軍は、反乱軍などに負けるほど弱くはありませんよ」

 と董卓は献帝に申し上げた。

 しかし、そのぬくもりのある後見人である董卓は、宮廷内の謀略で殺されてしまった。これには、献帝も心痛はなはだしいものがあった。

 献帝は考えた。

 後漢の徳は尽きた、と人々はいう。これから、時は乱世を迎えると聞いている。いや、すでに乱世は始まっている。蒼天すでに死す、と民が歌っているのを知らない献帝ではなかった。献帝は、

「余が頑張らねばならぬ。偉大なる高祖からつづく漢の時代を終わらせてはならぬ。余は、誰よりも人徳を示し、天下の信を得なければならぬ」

 と、近臣の者が涙するほどの聖人君子ぶりを実行したのである。

 ある臣が献上していった。

「天下、すでに後漢のもとにはなく、群臣が勝手に政治を行っております。これも、陛下の威光の衰えた証でございます。願わくば、天下から、徳の高い人物を探し出し、新たな王朝に禅譲なさるのがよろしいでしょう」

 なんという暴言であろうか。しかし、献帝は怒らなかった。

 逆に、献帝は涙を流し、その臣に問うた。

「余の徳の衰えておるのは知っておる。しかし、我はまだ、天下を任せるに足る聖人君子を見たことはない。急いで、人徳高きものを天下より集めよ」

 そういわれてみれば、献帝の代わりになる人材を推挙する宛てなどどこにもない臣は、うろたえて、

「申し訳ございません。急いで、天下から、皇帝にふさわしい人物を探してみます」

 といって、退席した。

 宮廷は、秘かに大騒ぎになった。皇帝陛下直々に、後漢を滅ぼして、もっと徳の高い者に天下を譲るといったのである。

 いったい、誰を皇帝に推戴したら良いだろうか。

 群臣の間で、次の皇帝にふさわしい者を選ぶ選別が行われていった。

 その中で、群臣の複雑な駆け引きの中、これは傑物と思われる人物が、後漢の宮廷で急出世していった。

 その者の名を袁術といった。

 袁術は、親戚の袁紹を追い抜き、いっきに宮廷の中核にまで出世していくのである。

「次の皇帝にふさわしいのは、袁術ではないか」

 そういう噂が流れ始めていた。

 献帝も、袁術の名を聞いて、近臣に尋ねてみた。

「その袁術という者は、人徳天下一であろうか」

 なんと驚くべきことばであろうか。

 人徳天下一の人物など、この後漢のどこに現在存在するのかもわからない。いったい、献帝はなぜ、そのようなことを問うのか。

「恐れながら、袁術は、人徳高き人物でありますが、天下一とまでは申し上げられません」

 近臣は答えた。

「それならば、皇帝にはふさわしくない。別の者を探せ」

 献帝はそう臣下に命じた。

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