第3話 フルーツケーキバー

「何かもう、全部が嫌になるよな」


 世間話をしたい気分になって、アリョンはヒョクに軽い調子で話しかけた。


「突然侵略されて南に逃げていると思ったら、今度は偉いさんの作戦が成功したから北へ進めと言われる。それで奥地まで行って敵に出くわしたら、また南に逃げなきゃいけない。あっちに行ったりこっちに行ったり、まったく不毛な気分だよ」


 アリョンは不満をそのまま、ヒョクにもらした。まったくの他人が相手であり、弱音に制裁を加える上官もいないため思ったことを口にできる。

 その率直すぎる言葉に、ヒョクは小さく笑って、アリョンと同様に自軍や戦況を批判した。


「そうだな。ソビエトから銃を借りて同胞を撃った結果、アメリカ軍がやってきた。そして気付けばなぜか、俺たちではなく中国軍が敵と戦っている。もう何の戦争なのかわからないな」


 ヒョクの言葉にはやんわりと、戦争を始めた祖国への批判が込められていた。お互い、敵味方はどうでもよくなりつつある。


 朝鮮人の土地であるはずの朝鮮半島で、余所から来た異邦人同士が戦っている。アリョンとヒョクは間違いなく同じ民族であるはずだが、属する国は違って敵同士だ。


「同じ血が流れているのに、何で戦争でしか一つになれないんだろうか」


 ヒョクがそっとつぶやいた。

 それは難しい問いで、思考がぼんやりとしてきたアリョンにはなかなか答えることができなかった。その「一つになる」という発想がそもそもの争いの種である気はしたが、その考えを上手に言葉にする気力はない。


「それにしても、腹が減ったよ……」


 アリョンは複雑な問題に向き合うことをあきらめて、もっと単純な話題に移った。人と会って話して頭を使ったためか、アリョンは急に空腹を感じていた。


「俺は何も持っていないぞ」


 両手を上着のポケットに突っ込んで、ヒョクが肩をすくめる。


 自分の方はどうだったかと、アリョンはベルトに付けたままになっていたポーチを開けみた。かじかんだ手で不器用に金具を開けると、中にはアメリカ軍が支給したCレーションのフルーツケーキバーが一本入っている。

 アリョンはその包装を開けてバーを半分割って取り、残りが入った包みをヒョクの前に差し出した。


「これ、やるよ」

「いいのか?」

「ここまで来たら、もう一本も半分もそうたいして変わらないね」


 投げやりに笑って、アリョンはヒョクにバーを渡す。


「……そうか。じゃあ、ありがとう」


 遠慮がちに、ヒョクはその包みを受け取った。

 木の下に座り込んだ二人は、一包みしかないレーションを分け合ってかじる。

 フルーツケーキバーと言っても、中にイチジクのジャムが入ってるだけの焼き菓子である。


 アリョンがバーにかぶりつくと、ぼろぼろと口の中で大味な小麦の生地が崩れた。中から現れるジャムはねっとりと歯に絡みつき、生地と合わさって飲み込みづらい食感が生まれる。

 いかにも外国製らしい甘ったるいその味は、アリョンの舌にはあまり合わない。

 だが良いことが何もない夜の寒空の下では、その過剰なほどの甘さが体に染みた。冷えて固い塊でも、よく噛んで胃に収めれば少しは温かい気がする。

 それはアリョンの未来を伸ばすほどではないが、この凍るような空気の中で生きる力をわずかに与えてくれた。


「これはアメリカのものだよな。思ったよりは、美味いな」


 ヒョクも興味深げに味わっていた。もらいものだからお世辞を言っているのかもしれないが、それなりの高評価だ。

 ゆっくりと噛みしめて飲み込む合間に、アリョンはヒョクに自国の裏事情を明かした。


「アメリカ軍は確かにいろいろくれる。でも途中に横領するやつがいて、俺たちには回ってこないこともあるって噂だよ」

「ありそうな話だな、それは」


 からりと明るい声でヒョクは笑った。おそらく、北にも似たような事情はあるのだろう。

 二人は時間をかけてフルーツケーキバーを食べたが、元々少ししかなかったのですぐに食べ終わってしまった。

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