4・《幕間》木崎
シャワーを浴び終えてダイニングに戻る。一直線にテーブルの元へ。その上に置かれたスマホを見る。私用、社用どちらにも藤野からのメッセージはない。
時刻は二十三時。レストランの予約は十九時で、三時間食事にかかったと考えてももう店は出ているはずだ。その後、バーにでも行ったのか。だが藤野はレストランで宮本に告白すると言っていた。
バスタオルでガシガシと頭を拭きながら、キッチンに向かう。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、その場で開けてのどに流しこむ。
告白はどうなったんだ。
何で連絡が来ない。
――苛々する。
藤野が宮本についに告白すると宣言したのは、先週の金曜だった。
◇ Last Fliday ◇
居酒屋で藤野とふたり、差し向かいで飲んでいる。仕事抜きの酒は久しぶりだ。そう言うと
「合コンは潰れたんだっけ?」と藤野。
「二回、立て続けにな」
「接待とバッティングだったか?」
「そう」
「残念だったな」
「ほんとだよ」
「でもお前、総務の子の告白を断ったんだろ? 噂になってるぞ」
「彼女は好みじゃない」
「可愛いのに」
「あれはダメ。真面目だから」
藤野は肩をすくめ、お通しのこんにゃくのピリ辛和えに箸をつける。
「木崎は女の好みが悪い。『真面目だからダメ』だなんて」
「ひとの好みにケチつけんなよ」
「でも 珍しいだろ。こんなに長く彼女がいないの」
「たまにはこういうのも悪くない。時間も金も自分のことだけに使える。そういう藤野こそ。宮本、どうするんだ?」
彼女を巡る藤野のライバル高橋は、かなりの策を弄している。鈍感激ニブアホの宮本は全く分かっていないからいいが、のんびり構えていられる状況じゃない。
ビールを一気に飲んだ藤野はジョッキを置くと、深いため息をついた。
「今日の昼間さ、宮本を晩飯に誘ったんだよ」
「へえ」
で、今現在俺と飲んでいるということは、断られたってことだ。気の毒に。
「断られたんじゃないぞ。彼女に先約があっただけだ。来週火曜に約束したから。問題は、別」
「問題?」
「そう」藤野はまた、ため息をついた。「『今晩、食事どうかな?』って誘った返事、なんだったと思う? 『相談事?』だぞ」
思わず口に入れていたタコワサを吹き出す。
「汚ねえっ!」藤野が叫ぶ。
「悪い悪い、相変わらずナナメ上すぎて」テーブルに飛んだ残骸をペーパーで包む。「さすが宮本だな」
「めちゃくちゃ心配されたよ」
「良かったじゃん、無関心よりは」
藤野はまたため息をついた。
「勘違いの理由が最悪。また高橋」
「へえ?」
「高橋が晩飯を誘ってくるときは、必ず相談があるかららしい」
「あいつ、細かい策略を巡らせまくっているな」
フラペチーノやらチョコやら。他にもあるのかもしれない。
「あの鈍感喪女は、慕ってくれる可愛い後輩としか認識してないみたいだが。ほんと、鉄壁の鈍さだよ」
藤野が
「それな」
と言いながら、出されたばかりの唐揚げにマヨネーズをかける。
「聞いた話じゃ、どうもトラウマがあるっぽい」
藤野は同期で宮本と仲のいい女子を、最近、味方につけた。その彼女から昨日得たばかりの情報だと言う。
「宮本に?」
「そう。詳しくは教えてもらえなかったけど。そのせいで、男が自分を好きになることはないって思い込んでいる節があるって」
「……その原因、もしかしてあのクズの元カレか」
「かもな。ま、とにかく、そういうこと。だから普通のアピールじゃ、分かってもらえない」
「ふうん」
ホッケの身を箸でほぐし、口に運ぶ。
宮本はアホ喪女だが可愛くないことはない。女を捨てたような地味な格好や負けん気の強さは俺的には可愛いくないが、藤野や高橋はそれも良いらしい。特殊な一部の男にはモテるのだ。
だというのに、宮本のくせに何があったら、そんな思考に陥るんだ?
仕事はあんなに自信満々にやってるのに。
「そういや宮本の男の好み」
「真面目で誠実、頼れて守ってくれる男だっけ?」と藤野。
「それ。多分、クズ男の反動だ」
「そんなに酷かったのか?」
「第三のお荷物以下」
「それは相当だな」
藤野には、遭遇した宮本の元カレがクソ野郎だった、としか話していない。
「藤野がそんなタイプになれば、話は早いんじゃねえの?」
「俺は既にそのタイプだぞ?」
「よく言う。人の良さそうなふりをしているだけのヤツが」
「宮本はそれが真実だと思っているから問題ない。それに好みと実際好きになるタイプは違うことが多い。つまり両面ある俺は、どちらにしろ彼女に好かれる訳だ」
「それを言ったら高橋もだな」
「どっちの味方なんだ」
「藤野に決まってる」
「よし。唐揚げをやろう」
「いらねえよ」
「旨いのに、マヨから」
「そうかよ。俺に押し付けるな」
「そういう訳で」と藤野。「宮本には婉曲は通じない」
話は宮本に戻ったらしい。ヤツを見ると視線が合った。
「真剣に告白する。好きだから付き合ってほしい、って。宮本が逃げも誤解もできないよう、はっきりな」
「……へえ。頑張れ」
目をホッケに戻す。
「いいのか?」と藤野。
再びヤツを見る。
「何が?」
「……」
藤野が手を添えている卓上のグラスが空だ。
「ああ、じゃあ、俺も」
残っていたビールを飲み干し、店員に声をかける。
「来週の飯のときに言う。もう、良さげなフレンチの予約もした」
藤野がやけに真剣な声と表情で言った。
「唐揚げにマヨネーズをかける藤野がフレンチかよ」
「雰囲気を作るんだよ。変な勘違いで逃げられないように。バレンタインの二の舞はしない」
「ふうん。――ちゃんとその日に結果報告しろよ」
「できるかな。朝まで彼女と一緒かもしれないだろ」
「前向きだ」
「自信はある。宮本にとって俺は良い男だ」
「『オトモダチ』で終わらないといいな」
「終わらせないね」
◇◇
あれから四日。宮本との約束当日。藤野は自信満々で、
「祝ってくれよ」
と言って退社していった。わざわざ第二まで宮本を迎えに行き、高橋に見せつけもして。
だけど一向に結果報告が来ない。まだ宮本と一緒にいるのか、告白していないのか。それとも本当に朝までコースになったのか。
――胸がムカムカする。
空き缶をシンク内に起き、テーブルに戻る。スマホに変わりはない。その隣には開きっぱなしのノートパソコン。
仕事をするつもりだったが、ろくに進んでいない。
俺はずっとイラついている。
何でだ――。
息を吐いて、またスマホを見る。
――ついさっき見たばかりじゃないか。何をしているんだ、俺は。
いや、分かっている。
イヤなのだ。藤野が、宮本と付き合うことが。
今まで散々あいつの恋バナを聞いてきたというのに。朝からずっと、苛立ちが消えない。藤野の笑顔が気に障る。何にも感づいていない宮本に腹が立つ。
入社以来、宮本と対等に渡り合ってきたのはこの俺なのに、彼女の隣に他の男が立つのか? そんなのは、おかしいだろ。
藤野、お前じゃ宮本に及ばないじゃないか。
だが藤野は宮本に好かれている。同期の友人としてに過ぎないが、付き合うには十分の理由だ。だからこんな時間まで連絡がないんだ。
俺はどこかで藤野がフラれると思っていたに違いない。いつものように、あいつが空回って終わり。そのエピソードを笑って聞く。そうなると思っていた。だから『当日中に連絡をくれ』なんて言ったんだろう。
永井の入院を知ったとき、水族館の後任は宮本がいいと思った。代打をこちらの想像以上にそつなくこなした彼女なら、この仕事をスムーズに進めることができると考えたからだ。
だが今こうなってみると、多分に私情が入っていたのかもしれない。
信じたくないが、俺はどうやら宮本が――。
スマホに手を伸ばしたい。電話をかけ、待て、と言いたい。
だが、今更?
こんな間際になって藤野の邪魔をするのか?
横槍を入れたとして何になる。宮本は俺を嫌っているじゃないか。
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